3 真面目リーマンの強みって何だ?!

【1】俺のための肉じゃがと朝からイタリアン

課長からのお誘い①

【side:幸路】


 暑さ寒さも彼岸までとはよく言うが、果たしてそれはこの現代にも適用されるやつなのだろうか。盆は明けたけれどもまだまだ暑い日が続いている。もうしばらくは居座りそうでうんざりする。


 下宿山家やんべは陽介さんが住み始め、一層賑やかになった。タヌキ君は模試の成績をぐんと上げ、正式に下宿が確定となり、親御さんが菓子折りを持って多賀城たがじょうから来たらしい。最初の電話で何の疑いもなく息子を任せることにしたのは、やはり『下宿山家』の存在を知っていたからだった。というのも、そもそも下宿山家の立地が、伊達南の近くなのである。下宿山家の利用者は基本的には大学生や専門学生なのだが、その中に伊達南の卒業生が結構いたらしい。


 それでタヌキ君のご両親は、伊達南の合格時にもし東北大学辺りに進学するとしたら、ここのお世話になるのはどうか、なんて未来の話をしていたのだという。多賀城からでも通えなくはないが、やはり近い方が便利だ。が、残念なことに下宿はもうやっていない。それじゃあ別のところも考えておかないと、などと考えていたところへ、今回の家出騒ぎである。それでまさかの下宿山家の方から連絡が来た、と。


 というわけでの二つ返事だったらしい。やはり事実は小説より奇なり。


 とにもかくにも下宿山家はこれで満室だ。

 飯を食いに行く分には問題ないが、俺はそこに住むことが出来なくなってしまったのである。


 ただ、それで良かったんじゃないかと思う気持ちもある。

 だって俺は気付いてしまった。自分の気持ちに気付いてしまったのだ。一つ屋根の下で暮らしたりなんかすれば、絶対にボロが出る。だからいまの距離感で良いんじゃないだろうか。


 そんなことを考えながら過ごす日々である。

 多希は俺が夏バテをしていないかと心配してくれ、金曜以外でも飯を食いに来いとちょいちょい誘ってくれるのだが、そんなに頻繁にお邪魔して気持ちが抑えられなくなったら困る――、って俺そんな少女漫画みたいな思考だったか!? こういうのは恋する乙女のやつだろ! 俺は良い年したおっさんだぞ! いや、まだ二十代だけども!


 陽介さんが下宿メンバーになってからというもの、タヌキ君を交えた四人が卓を囲む画像がよく送られてくるようになった。これが八尋から送られたものだと、『へへん。どうだ、羨ましいだろ?』というマウントのように思えるのだが、不思議なもので、陽介さんだと『一人飯は侘しいだろうから、せめて画像だけでも!』という優しさのように感じられるのである。


 これが多希なら、どうだろう。

 どちらかと言えば八尋寄りだろうか。ただ、アイツほど嫌味な感じではなくて、「な? な? 美味そうだろ? 食いたいよな? よっしゃ、来い来い!」みたいな感じというか。


 お盆には実家の秋田に帰り、いわゆる『おふくろの味』ってやつを久しぶりに味わってきた。やっぱり美味かったし、そうそうこんな味こんな味と懐かしくもあった。


 のだが。


 もう俺の舌はすっかり多希の味で上書きされてしまったらしい。

 多希が振舞ってくれた料理と同じものが出て来るとつい比べてしまうのである。慣れ親しんだ味ではあるが、何か物足りないと思ってしまうのだ。あの食材が入っていたなとか、牛じゃなくて豚だったなとか、使ってる醤油が違うのかなとか、そんなことばかり考えてしまう。完全に胃袋を掴まれた状態である。


 だから本当は毎日だって通いたい。

 でもこれじゃあ完全に飯目当てである。いや、間違ってはいないんだけど。俺は、多希と、多希が作った飯が食いたいのである。飯だけあれば良いってわけじゃない。


 あの、一見治安の悪そうな男が、鼻の上にしわを寄せてくしゃりと笑うのを見るのが好きだ。俺がたった一言、「美味そ」、「美味い」と口にしただけで、「当ッたり前だろ、俺の飯だぞ?」と、得意気にふんぞり返るのも可愛い。野郎に『可愛い』なんて思って良いのかわからないけど、とにかく可愛く見えてしまう。美味いのは本心だけれども、それが見たいがために言ってる節さえあるからな。それも惚れた弱味ってやつだろう。


 会えない時に感じるのは、空腹なのか、恋しさなのか。過去の恋愛を思い返してみても、参考にならない。相手が男だからというのもあるのだろうが、なんていうか、出会いもそうだし、置かれてる環境もそうだし、なんか色々特殊すぎる。


 あの四人で過ごす時間が心地よくて(ごめんタヌキ君。まだ君とはそこまで仲を深められてない気がするんだ)、そこに恋愛を持ち込んで、それを壊してしまったらどうしようという気持ちもある。何も変えたくない。変わってしまったのは俺だけで良い。


 そんなことを考えて悶々としていたある日のことである。


「佐藤、どうだ今日飯でも」


 たまたまトイレでばったり遭遇した井上課長が、そう声をかけて来た。これが金曜なら断っていたが、今日は木曜。断る理由がない。恐らく課長の方でも、翌日も仕事があるからこそ、今日誘っているのだ。明日に響くから、本当に飯だけ、一軒だけで解散となるだろう。課長はそういう誘い方をするのである。社外で課員と話がしたい時、彼はそう声をかけるのだ。


 お説教だろうか。


 最初に考えたのはそれだった。

 確かにここ最近の俺はちょっと調子が悪い。体調を崩しているとか、それこそ夏バテとかそういう意味ではなく。らしくないミスを連発したりしているのである。安田ほどのやつではなく、自分でケツが拭けるレベルのやつだが、それだけに悔しい。たぶんそれを指摘されるのだろう。だからちょっと身構えて「ご一緒させていただきます」と答える。


 肩に力が入ってる俺を見て、課長は「いや違う違う」と苦笑した。


「別に説教とかそういうんじゃないから。嫌だよ俺だって会社の外で飯食いながら説教とか。だったら会議室あっちでするって」


 ぱたぱたと顔の前で手を振り、行くか? と会議室の方を指差す。思わず反射で「結構です!」と返した。それを見て、「よしよし」と満足気に頷いてから、「場所だけ頼むわ。お前のお勧めで良いから」と告げて、彼は去って行った。


 手を洗った後で何気なくスマホを見る。

 何やらグループトーク内が賑やかである。騒いでいるのはほぼほぼ八尋と陽介さんで、多希はそれにスタンプで反応するのみである。多希はトークルームでは随分と大人しい。いや、一対一の時でも決して騒がしいわけではないんだけど、グループ内では大抵聞き役とかツッコミ役に回ることが多い。


 俺が入室したことで、既読数が変化したトークルームである。俺はまだメッセージもスタンプも送っていないから、変化としては各メッセージの隅に表示されている『既読』が一増えただけだ。それだけなのに、その微かな変化にいち早く気付いたのは多希だ。


【多希】おつかれ


 スタンプではなく、メッセージである。

 最初に気付いたことにも、スタンプじゃないことにも、心が跳ねる。

 だから! こんなのあれだろ! 恋する乙女の反応だろうが! 俺、二十七の男なんですけど!?


 ドッドッと高鳴る胸を押さえつつ、『お疲れ』と返す。また途端にトークルームが騒がしくなる。


【YaHiRo】おーっす、お疲れお疲れお疲れ~

【ようすけ】八尋うるさい

【多希】うるさい

【YaHiRo】助けてユキジ君、2人が冷たい


 いやもう庇えないわ。だって普通にうるさいもん。何でだろうな、無音なのにこのうるささ。その上、『ぴえん』『これは泣く』『なぐさめてTONIGHT』と怒涛のホヌ太郎スタンプ攻撃だ。シンプルにうざい。


【多希】今日は飯食いに来る?

    今日は鶏むねの味噌マヨ焼きだぞ

【YaHiRo】これめっちゃうまい!

【ようすけ】八尋がつまみ食いしまくってる

      こいつ普段はそんなに食わないくせに

【YaHiRo】だってこれうまい

      おれ悪くない

【多希】幸路さん来られそうなら死守するけど、どうする?


 死守してくれんのか、俺のために。

 でもごめん、今日は課長と飯に行くんだ。


【幸路】めっちゃ美味そうなんだけど、ごめん。今日は上司と飯行くことになった。


 そうメッセージを送ると、『それは仕方ないな!』と返って来た。多希からだ。うう、ごめん。いやマジで、味噌マヨ焼きとか絶対美味いやつじゃん。


 密かに残念に思っていると、多希から追撃が来た。


【多希】明日は?明日は肉じゃがにするけど

【YaHiRo】マジで!?やった!

【多希】にんじん残すなよ

    ヒロには多めに入れるからな

【ようすけ】好き嫌いは良くないぞ

      たくさん食え

【YaHiRo】ユキジ君見て

      おれ、いじめられてる

      助けて

      おれを助けに来て

      おれの代わりににんじん食べて


 さらに、だだだだだ、と『ぴえん』『これは泣く』『なぐさめてTONIGHT』である。シンプルにうるさい。ていうかアイツにんじん苦手なのかよ。


 明日は行くよ。楽しみにしてる。


 三人の仲良しぶりに苦笑しながらそう返した。

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