俺だってそっちで食いたかった①

「え? 多希……?」


 夜の闇に全く馴染まない、ちょっとプリン気味の金髪と、目に沁みるほど鮮やかなオレンジ色のTシャツ。デニムのハーフパンツに、足元はビーサンだ。そしていつも着けている赤いエプロン。こないだはシンプルな赤Tシャツと思ったら一面にケチャップを零したやつだったし、まさか今度はオレンジジュースを零したとかじゃねぇよな? などと警戒してしまう。いや、確かあとはソースとマヨネーズだって言ってたし、オレンジジュースではないだろう。


 そんなことより。


「仕事お疲れぇ」


 満面の笑みで高く掲げられている『もの』が気になる。半透明のレジ袋から透けて見えるのはタッパーだ。


「ヤンベーイーツの差し入れだっ!」


 ……弁当屋さんかな?

 エプロン姿も相まって、弁当屋さんの配達感が凄い。ヤンベーイーツって、うまいこと言いやがる。


「えっ……と、わざわざ? 来てくれたのか?」

「そ。まだ飯買ってねぇよな? これからだよな?」

「おう。でもマジで、良いのか?」

「良いのかも何も、食い切れねぇんだよ」


 家まで送るか? それとも、家知られんの嫌派? と尋ねつつ、後方にある軽自動車を指差す。これまたパキっとしたイエローなのが多希らしい。別にお前にだったら家を知られても良いし、と返すと、「よっしゃ、乗れ! ナビ頼む!」とそれはそれは花丸満点の笑顔を向けて来た。


 そんな顔を見れば、さっきの『多希がさみしがってる。』という八尋の言葉も、あながち間違いじゃなかったんじゃないかと、そんな気がした。




「あ、その角のアパート。UNICOユニコの自販機が立ってる」


 数メートル先に住み慣れた我が家アパートが目に入る。ユニコーンのロゴが特徴的な飲料メーカー、UNICOユニコ=BOTTLINGボトリングの自販機を指し示すと、多希が「あーはいはい」と車を減速させた。こう言っちゃなんだが、見た目に反して随分と穏やかで優しい運転をする男である。


「てかさ、マジでめっちゃ近いな、ウチから」

「だろ」

「コンビニも近いし、好立地じゃん」

「そうなんだよな」


 ほんとは上がってくか? と言いたいところなんだけど、残念なことにウチは多希の家のように片付いていない。ワンルームなので、そもそも人を招けるような広さもないし。


 正直にそう話すと、多希はカカカと笑って、「ウチはまぁ……そういうところだからな。無理すんな」と手を振る。


「それにさ、野郎の部屋なんてそんなもんだろ。散らかってんのがデフォよ」


 どこか遠い目をしてそう話す。

 きっと歴代下宿生達の部屋を思い出しているのだろう。数年の空白期間があるわけだが、果たして陽介さんと八尋の部屋はどうなんだろうか。


「とりあえず、ここで話し込んでてもしゃーないからさ。ほら、とっとと部屋入れ。んで、今日のうちに食ってな、それ」

「おう、サンキュ。ちなみに中身は?」

「ふはは、開けてのお楽しみっつぅことで」

「わかった」

「あとこれ。袋に入れたら傾くから別にしてた」


 そう言いながらドリンクホルダーに刺さっていた保温ジャーを手渡して来る。


「何これ」

「味噌汁」

「手厚い……!」

「ちなみに飯も入ってるからな」

「手厚すぎる……!」


 飯だけは冷凍のやつかカトウのご飯を出すかと思っていたのに、まさかの飯まで用意されていると来た。さては炊きすぎたな?


「タッパー、返すのいつでも良いから」

「何事もなければ明日食いに行くから、そん時に返す」

「おっけ」


 車から降り、ばたんとドアを閉める。エアコンの効いた車から出ると、湿気をはらんだ空気がまとわりついてきて気持ちが悪い。


「んじゃ、また明日」

「ちなみに、明日の献立ってもう決まってんの?」

「はっは、ナーイショ」

「マジか、楽しみにしてるわ」


 そう返すと、多希はにんまりと笑って「そんじゃ」と車を動かした。別れは実にあっさりとしたものだ。こっちとしてはその方は気を遣わなくて良いので助かる。


 いそいそと鍵を取り出して部屋に入る。歩きながらシャツのボタンを外していき、ばさりと脱いでベッドへ放り投げ、スラックスはハンガーへ。朝脱ぎ散らかした部屋着のハーフパンツを履いて、寝間着代わりのTシャツをクローゼットから取り出す。

 

 袋からタッパーを取り出して蓋を少し開け、レンジへ。

 味噌汁の入ったジャーをローテーブルに置く。

 温まるまでの数十秒がもどかしい。中に何が入っているのだろう。


 そわそわしているとテーブルの上に置いておいたスマートフォンが振動した。メッセージかと思ったら、通話である。しかもビデオ通話だ。相手は――。


『おっすお疲れぇ』

「何だよ八尋」

『お疲れ幸路! 俺もいる!』

「どもっす。あの、多希ならいましがた戻ったけど」

『あー、そうなん?』

「多希に用か?」


 電話をかけたけど運転中で繋がらなくて――とか、そういう?


 そう思ったが。


『いんや? 幸路君と話そうと思って』

「何でだよ、俺? 俺に何か用?」


 そう尋ねたタイミングで温めが完了し、レンジがピーと鳴り、ちょっとごめん、と腰を浮かせた。何せワンルームの狭い部屋だから、画面から消えるのなんて一瞬である。ホカホカと蓋の隙間から湯気が漏れ出るタッパーと箸を持って戻ると、通話画面に陽介さんがにゅっと割り込んで来た。スマホの画面は小さいから、どうしても八尋と頬が触れるくらいの距離になる。そんな至近距離で、『一人飯は侘しいだろ!』と馬鹿みたいに声を張った。


『うるさっ! 陽介君声デカいって!』


 うわぁ、0距離でその声量はキツいだろうな。八尋の鼓膜は大丈夫だろうか。

 迷惑そうな顔をして耳を押さえる八尋に同情しつつ、いただきます、と手を合わせる。一人飯は侘しいだろうという配慮でかけて来たのなら、通話しながら飯を食っても問題ないはずだ。案の定、『よっしゃ、宴始めっかー』と画面の外から多希の手作りと思しきツマミと緑茶割の缶が出て来た。どうやら一緒に一杯やるつもりらしい。とはいえ、陽介さんは酒を飲まないらしいので、ちらりと見えるグラスの中身は麦茶だろうけども。お祭り野郎の八尋はもっとトロピカルなチューハイか発泡酒を飲むと思っていたので、緑茶割は少々意外なセレクトである。


 さて、他人の酒より自分の飯だ。何せ相当な空腹であるからして。


 かぱ、と蓋を開ける。この瞬間のためにあえて中は見ていなかったのだ。駄目押しのように、開ける瞬間はぎゅっと目までつぶった。期待に胸を膨らませてゆっくりと瞼を開くと――。


「これは……何だ? 肉ってことまでしか正直わからんな。それからブロッコリーとかつお節を和えたやつ……であってる?」


 角切りの肉を固めて平たく成型したものと、ブロッコリーとかつお節を和えたもの。そして隙間にプチトマトである。ブロッコリーの方はわかるとしても、肉の方が謎すぎる。美味そうだし、実際美味いのは間違いないと思うのだが、謎すぎる。これは何だ。


 正直なところ、俺の飯レパートリーが乏しすぎて正解がわからない。加えて言うなら、実家でも出て来たことがないやつである。肉を箸で摘まんで一口齧ると、味と食感でそれが鶏むね肉とわかった。そして、肉だけかと思ったら、どうやらそれだけではないらしい。さらに細かく刻まれたじゃがいもも混ぜられているようだ。高タンパクな鶏むねとブロッコリーが使われているのは、やはり陽介さんがいるからだろうか。


『正解正解~。そうそう、それも教えてやらんとって思ってさ』

「そうなのか」


 それは作った本人が直々に説明したいやつではないのだろうか。


『多希はたぶん、これが当たり前だと思ってるだろうからチキンナゲットって言うと思うんだけど、普通、チキンナゲットって揚げるじゃん? 揚げないのよ。焼きナゲットなの、多希ん家』

「確かにナゲットは揚げたやつだよな」

『それにじゃがいもだって入らんでしょ』

「言われてみれば」


 ファストフード店のチキンナゲットも、総菜のやつも、どちらも揚げられているし、じゃがいもだって入っていない。ていうかそもそも、こんな角切りの肉でもなかったはずだ。でもそうか、チキンナゲットというのならば、ケチャップが必要だな、これは。さすがにウチにはマスタードなんて洒落たものはないし。いそいそと冷蔵庫へ向かう。


『じゃがいもはいわゆる、【かさ増し】ってやつだな!』


 スマホからわずかに離れた位置にいても陽介さんの声ははっきりしっかりと聞こえてくる。隣にいる八尋はいい迷惑だろうが。席に戻ると案の定、八尋が耳を押さえて苦い顔をしていた。


『それにほら、普通はひき肉使うじゃん。でもさ、ひき肉よりも鶏むねの塊買った方が安いわけよ。下宿ってとにかく質より量じゃんか。つってもまぁ質も良いんだけどな? でもまぁ、食べ盛りの男子学生しかいないからさ、もうとにかく如何に安く、腹いっぱい食わせるかって話になるじゃん。母の愛、ってやつよなぁ』

『ってわけで、山家家のチキンナゲットといえば、角切りの鶏むねとじゃがいもの焼きナゲットなんだ。一般的なチキンナゲットとは別物だがこれはこれで美味い』

「成る程……」

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