【2】かさ増しレシピは母の愛

手がかかる憎めない後輩①

【side:幸路】


 梅雨が明け、気温の高い日が続く六月後半である。

 あの後陽介さんと八尋とはメッセージアプリ『COnneCTコネクト』のIDを教え合い、連絡を取り合う仲になった。その流れでもちろん多希ともである。


 多希とはこれまで通りSNSのDMでのやり取りでも良かったのだが、コネクトなら四人でグループトークが出来るため、そっちの方が便利だろうということになったのだ。


 その定期連絡によれば、八尋は六月末で現在住んでいるアパートを解約し、七月一日から山家やんべ家へ入居する流れになっているらしい。六月の頭から細々とした荷物が頻繁に届いているようで、さすがに荷解きまではしないものの、その届いた荷物を玄関から八尋の部屋に運ぶだけでも地味に大変だと多希がぼやいている。そこで、見かねた陽介さんが休みの日に山家家を訪れ、荷物や家具の移動を手伝うことになった。


 いや、それだけのためにわざわざ天童から来る?!

 俺じゃない? むしろ俺じゃない? そこは俺じゃない?

 そりゃあさ、陽介さんに比べたら貧弱だとは思うよ?! でもそれはさ、現役ジムインストラクターのあの人と比較してって話だから! 俺だって男だしな? それなりに力はあるしな? いや、それを言ったら多希だって男だけども!


 だから、『俺が手伝おうか。』と名乗りを上げたのだが、『もともと仙台に行く予定があるから、そのついでだ。気にするな。』と返されてしまった。やっぱり俺はまだ付き合いの浅い『友人』なのだ。離れたところに住んでいる、家族未満の気の置けない友人に頼む方が気が楽なのだろう。それは俺にだってわかる。


 ということで、陽介さんはちょいちょいと山家家を訪問しているらしい。俺だって駆けつけようと思った。何も金曜しか行っちゃいけないなんて決まりはない。ないのだけれども、こういう時に限って厄介な仕事が舞い込んできたりするもので。


「先パァイ! ちょっと良いすかぁ!」


 安田やすだである。

 入社三年目。やる気だけはいつもみなぎっている男、安田李一りいちである。自他共に認める健康優良児で、こいつが風邪や体調不良で欠勤するのを見たことはない。去年、社内でインフルが流行った時すらもどこ吹く風と仕事をしていた。まだまだミスも多く、何なら新卒もやらないようなミスをしでかすが、ポンと思いついたアイディアがするっと採用されることがある。なんやかんや首の皮一枚で繋がっており、迷惑をかけられっぱなしなのになぜか憎めない。そんな男だ。


 その安田から、俺はどういうわけかかなり頼りにされているのである。元々、彼の教育係は俺の先輩である向山田こうやまださんだった。もちろんそれは新卒時の話だからいまは違うんだけど、通常はその縁でそのまま彼を頼るはずなのだ。何となく、そういう流れになっているのである。まぁ向山田さんも教育係時代にさんざん迷惑をかけられたから関わりたくないんだろうな。現にいま、ちらっと向山田さんに視線を合わせてみたが、サッと逸らされてしまったし。こうなればもう仕方がない。


「どうした、安田」

「あのですね、俺、すっごい仕事任されちゃったんすけど!」

「エッ。おぉ、そうか」


 誰だよ、こいつに『すっごい仕事』を振ったやつ! そう思ったけど、こいつだってここで三年頑張っているのである。そろそろ大きな仕事を任せる時期なのかもしれない。


「その件でちょっと先輩に相談したくて」

「良いけど、向山田さんは?」

「ヤマさんは『佐藤に聞け』って」


 あの野郎……っ!


 どうせこの流れになるのはわかりきっていたけど、一応は顔を立てて話を通しておかないといけないからな。予め話をしておく辺りはさすが三年目といえるかもしれない。


 内容としては、まぁ言うほど『すっごい仕事』ではなかった。そりゃそうだ。さすがにそこまでの重要案件を託すわけはない。とはいえ、大きい仕事ではある。


 ウチの筆記具ラインに、『E to WRITEイツライ』というキャップ式万年筆型ゲルインクボールペンがある。単品売りもあるが、それよりは三本セットの方が売れ行きが良い。それで今回、単品の販売を終了させ、セット売りに絞ることになったのだが、そのタイミングで商品名も変え、それに合わせて外側をさらに洗練されたデザインに変更することになったのだ。商品名は『E to WRITE』から『SLUCKYスラッキー』へ。『スラやすい』からつけられたネーミングである。ちなみに『E to WRITE』の由来はEasy to write、こちらも訳すと『書きやすい』だ。そこは変わらない。


 とにもかくにも、見た目だろうが商品名だろうが、何かが変更となると、当然我が広報部・販売促進課に仕事が回って来る。小売店の文具コーナーに置いてある販促物もそれに合わせて変更しなくてはならないからだ。文具店の試し書きコーナーに置くような商品陳列用の透明プラスチック什器については『E to WRITE』のものがそのまま使えるが、販促ポップやミニポスターなどはそうもいかない。総入れ替えである。デザイン案は本部が勝手に決めるパターンもあるが、社内コンペの場合もある。今回がそれだ。


「ええとですね、販促物のデザイン案については出来上がってるんです。ちょっと見てもらって良いすか」

「どぉれ。――おぉ、良いじゃないか」

「マジすか! あざっす!」

「いや、ほんとマジで。デザインに関してはお前はすっごいよ、ほんと」


 デザインに関してはな、と心の中で強調する。


 美大卒の安田はこういったデザインのセンスを買われての採用である。本人は「東京の藝大とかすっごいトコじゃないっすけどねぇ」と謙遜しているけれども、その辺は関係ないと俺は思う。こいつはセンスがあるのだ。


 『E to WRITE』は元々、敷居の高いイメージのある万年筆をカジュアルに使ってもらうために生まれた商品だ。最近は何でもデジタル化が進み、書くことそのものの機会が減りつつある。だからこそ、『【書く】をもっと楽しく、気軽に。多少の遊び心をプラスして』というコンセプトで誕生したのが、万年筆型ボールペンE to WRITE、というわけだ。

 ちなみに、その対極となる商品もある。それがA-premiumエイ・プレミアムという上位ライン。ボディに樽材を使っているものや、重量感のあるメタリック素材を使用したりと見た目の高級感にとことんこだわったものである。とはいえ、他社の高級文具と比べると価格はかなり抑えられている。替えインクがあるとはいえ、やはり筆記具は消耗品だ。安っぽくはないが、馬鹿高いわけでもない。サラリーマンの胸ポケットに収まるのにはなかなかちょうど良い価格設定とのこと。ウチでも営業部の主任以上は皆この辺を愛用している。


 話が逸れたが、この、『【書く】をもっと楽しく、気軽に。多少の遊び心をプラスして』をうまく表現しているデザインだと思う。安価ラインの商品ではあるものの、安っぽくなく、かといって高級品でもない。そんなブランドコンセプトを正しく理解出来ているからこそのデザイン。訴求効果もばっちりである。


「俺はめっちゃ良いと思うぞ。自信持って仕上げて課長に出して来い」

「あざっす!」


 ぶぉん、と勢いよく礼をし、晴れやかな顔でデスクに戻っていく。

 そうだよ、こいつだってもう三年目なのだ。あとは新商品のロゴを配置させたものをサイズ違いで複数作成して上長に提出し、承認をもらったら、本社に提出だ。安田の案が採用されるかはわからないが、良い線は行くんじゃないだろうか。何も難しい仕事ではない。そろそろあいつだってこれくらいの仕事、一人で出来るはずだしな。


 そう思っていたのだが、やはりそこは課内一のトラブルメイカーである。何が起こるかわからない。一応向山田さんにも二重チェックを依頼しておいた。これで俺はお役御免のはずだ。というか、俺にも自分の仕事はあるわけだし。

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