第7話 有能な工作員
「お前は……!?」
俺の驚いた表情に、ヤズは恥ずかしそうに姉の背中に隠れた。
昼間に別れた少年と、まさかこんな所で出会うとは思わなかった。
俺と大井は、バザールの向こうにある団結路とのあいだの、入り組んだ路地裏に案内された。
そこはバザールで生計をたてている人々の住居になっていて、商人の常で出入りの激しい場所だった。
急造の掘っ立て小屋が建ったかと思うと、ちょっと見ないうちに新しい住民と入れかわっている。
そこに住む住民の把握は不可能に近く、そのためゲリラ組織の本部をおくには最適の場所だった。
「カワ・セ、なに考えてるの」
ヤズの声に、俺は我にかえった。
気がついてみると、ヤズの姉をはじめとして組織の面々が心配そうに見つめている。
大井の野郎までもが、俺の顔を怪げんそうに見つめていた。
「いや。タワーを占領されているんじゃ、思いきった行動は取れないなと思ってたんだ」
俺は照れながら、頭のターバンを外した。
バザールと団結路、それに直角に交差する勝利路で形成される三角形の外れに、ここのシンボルともいえるトルファン・タワーが立っている。
十六年前にトルファン観光の目玉として立てられた、高さ百二十メートルのコンクリート製タワー。
百メートルの地点に展望台があり、その上は無線送信塔になっている。
俺もトルファンに来たばかりの頃は、観光客よろしくそこに登ったものだ。
展望台の望遠鏡を覗けば、火焔山はもちろんのこと、背後のボゴダ山脈まで見通すことができた。
タワーは戦略上、極めて重要な拠点である。
俺はアファンティにタワーのことを聞いてみた。
案の定、降下部隊は最初にそこを確保したという。
展望台から監視されていては、まともな行動はとれそうにない。
タワーと聞いた途端、少女がククッと小さく笑った。
ヤズに似て、目鼻立ちのはっきりした美人。
白人系の顔立ちのくせに、妙に東洋っぽい。
笑みを浮かべるその姿は、思わず抱きしめてやりたくなる。
身長が俺の首までしかないのも好ましい。
「タワーなら心配いらないわ。奴らが占拠しているのはタワーの入口だもの。上の展望台には行けないの。中の階段をあたしが爆破したから。大変だったのよ、秘密の通路を確保しながら敵が登れないようにするのは」
「君が?」
思わず聞き返した。
エテはどう見ても十七、八歳にしか見えない。
今度はラプラが笑った。
つられるように、まわりの皆も笑い始める。
「川瀬さん。エテは腕っこきの行動隊の一員だ。戦果だけを見れば俺よりすごい。ゲリラじゃ目立たないのが一番だからな」
俺はもう少しで、自分の能無し加減を声に出すところだった。
『まさか』と思わせるのが、ゲリラ戦の基本だということを忘れていた。
ちょっと考えれば、むさ苦しい野郎よりも可憐な少女のほうが、敵の目を欺くには適していると判るはずだ。
彼らはそれを実践しているだけで、平和ボケしているのはプロのはずのこっちだった。
大井が俺に向かって「大丈夫ですか」と声をかけた。
よけいなこと言うなと、怒鳴りつけたかった。
俺の窮地を察したアファンティが、食事でもどうぞと助け船を出す。
となりの部屋で、脱出させるべき人物たちが待っているそうだ。
食事を取りながら脱出計画を検討して欲しいと頼まれた。
もともと夜明け前までには作戦を決行するつもりだ。
時間は一秒でも惜しい。
俺は食事の招待をこころよく受けた。
食事は思ったより豪華だった。
ジュアファンという羊肉の細切れの入ったピラフの隣に、ちくわの形をしたシーシカバブが二本。ピラフはおかずのひとつで、主食はナンと呼ばれる窯で焼いたパンだった。
俺は手と口を羊の油でベトベトにして、めいっぱい腹に詰めこんだ。
食後に名物のハミウリが出された。
それにかぶりつきながら、俺は目の前に座っている男たちを眺めまわした。
いずれもトルファンの有力者ばかりだ。
正面には漢民族の顔をした元地区委員長が座っている。
以前は中国の役人だったそうだ。
しかし内部分裂のさい、地元勢の味方をしたせいで、いまもここにいる。
そうでなければ、積年の恨みを買って処刑されていてもおかしくない。
男は中華料理の食べ過ぎで、でっぷりと太っている。
絶えずハンカチで汗を拭いていた。
右側には俺ですら知っている広東政府(と名乗る地方軍閥)のトルファン代表が、左には目つきの鋭い民間人が、じっと見つめている。
俺は最後の民間人に興味を持った。
十中八九、こいつはどこかの秘密工作員だ。
漢民族系の顔をしているが中国人とは限らない。
アジア国家連合軍には、全部で十二か国が参加している。
そのいずれにも華僑は住んでいる。
「脱出は未明に行なう」
俺は出された水盆で手を洗いながら言った。
エテのさし出すタオルで水を拭き取る。
「君たちだけで、安全に我々を連れて行けるのかね」
地区委員長が臆病そうな声を出した。
このぶんでは、吹き出ている汗の半分は冷汗にちがいない。
「出来る限りの努力は約束する。ゲリラ組織と同時行動を起こすことによって、敵を混乱させる。その間に脱出する」
「ゲリラ側の説明がないが?」
元地区委員長が不満そうに言った。
「彼らには彼らの作戦がある。組織の性格上、作戦は隠密理に行なわれるはずだ。我々は彼らの指示に従う」
「しかし、説明がなくては」
男はなおも食い下がった。
「皆さん御存じの、観光用軽トラックを使って脱出します」
エテがはっきりと言った。
俺の横に立っている少女は、この一言で自分が作戦の立案者であることを明示した。
「あんたが司令官なのか?」
それまで沈黙を保っていた秘密工作員風の男が聞いた。
声の端々まで不審感で凝り固まったような男だ。
エテは質問を無視して説明を続けた。
「郵便局をへて勝利路を横断、オアシスホテルでトラックに便乗して、葡萄溝方面へ脱出します。一番危険なのは勝利路を横切るときなので、それに併せて陽動作戦を実行します。軽トラックがなければ、トルファン駅にたどり着くことは不可能です」
「陽動作戦については、教えちゃ貰えんだろうな」
あまり期待もせずに聞く。
「ええ。微妙な作戦なので」
エテはにっこりと微笑んだ。
「絶対、安全なんだろうな」
地区委員長が、しつこく念を押すように聞いた。
ともかく自分の安全だけが気にかかるような連中だ。
エテは微笑みを浮かべたまま、さりげなく答えた。
「あなたたちを逃がすために、確実にあたしたちの仲間が死にます。それ以上の見返りが必要ですか?」
俺はエテの横顔を見つめ、久しぶりに笑った。
決行の時間まで、わずかだが余裕ができた。
仮眠を取るように薦められ、別の建物の寝室へと案内される。
寝室は個室になっていて、大井はまた別の部屋に連れていかれたようだ。
眠れと言われても、そうやすやすとは寝つけない。
岩城隊長はどう思っているか知らないが、俺にはこんなゲリラみたいな真似よりも、ライフルをぶっ放しているほうが似合っている。
今ごろ部隊は火焔山に向かって転進しているはずだ。
山を越えたところで敵をうまく殲滅できればいいが、そうでなければ俺たちは孤立してしまう。
二十一世紀初頭に起こった第三次大戦後。
世界各国は戦術核をも含めた核兵器の全廃に調印した。
あまりにも多大な核被害に、各国が仰天したためだ。
むろん、その後に弾道ミサイル迎撃システムで無効化されたことも大きい。
つまり核兵器は、すでに時代遅れになってしまったのだ。
核兵器の全廃。
それは極めて画期的な出来事だったが、こと戦争に関してはマイナスに働いた。
その後、通常戦力をもちいた紛争は後をたたず、今回のユーラシア大戦もいたずらに長引いている。
核運搬手段はすべて廃棄されたが、核弾頭自体は、少なからずどこかに保管されているはずだ。
しかし俺たちには配備されていない。
もしあれば敵の機甲師団など一発で吹っ飛ばすことが可能なのに。
だがその前に、自分たちの頭上で炸裂しないという保障はどこにもない。
また一発でも使えば、たちまち起動要塞に察知され、確実な死が訪れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます