第2話 星と砂の夜



 砂漠の夜空は、ふるように美しい。


 光源がまったく存在しないのと、大気中の水分が限界まで低いために、星の光はその一滴までもが地表へとふりそそぐ。


 そして俺たちも、でそれを妨げることはできない。


 この星空のどこかに、敵の軌道要塞がひそんでいる。


 奴らは天性の密告者だ。

 虎の子の電子ビーム砲こそ容易に発射しないが、そうでなくとも上空から大口径の監視望遠システムで睨みを効かせるだけで、俺たちにはとてつもない脅威となる。


 ずるがしこい変質者のように地上を舐めまわし、俺たちの灯すほのかな煙草の明かりさえ、あきれるほど目ざとく見つけだす。


 そして数刻をまたずして、大量の掃討ドローンや対人戦闘車をおくりこんでくる。


 俺たちは息をつめ、顔さえかくして逃げまどう無力な野狐。


 上空の監視者どもは地上数十センチのものさえ見わけ、紫外線から赤外線まで見とおしてしまう。


 だから俺たちは、体温を表にさらさぬよう戦闘スーツに身をつつみ、野ネズミのように小さくなって移動するのだ。


「奴ら、見てると思うか?」


 真鍋二曹が、青い光線遮断ゴーグルごしに俺を見た。


 眼球だけを動かし、のろのろと上空を見あげる。

 俺は自信なさげに首を縦にふる。


 そうさ……。


 いつだって俺たち地摺り虫は、地面に這つくばったまま、なにも見えずなにも考えられない。


 ただ与えられた餌にむかって突進し、むらがり食いつくし、そして最後には容赦なく駆除されるだけだ。


 あわれな虫には、なぜ自分たちが殺されるのか、簡単な理由すらわからない。

 何も知らされぬまま、無慈悲な指のひとひねりで潰される。


 俺は吐き気のする妄想を噛みしめながら、ふらふらと砂丘をはいあがった。


 ・・ガッ!


 左の頬に強烈な打撃をくらった。


 砂に巻きこまれながら、すべるように砂丘をころげ落ちる。

 あわてて起きあがると砂丘の頂上を見た。


 黒い影が、うずくまっている。


 ・・岩城少尉!


 俺を叩きのめしたのは、少尉の手に抱かれている長銃身レーザー銃の台尻だった。


 少尉は中腰のまま、銃をふりきった格好で俺を睨みつけている。

 少尉の銃が、わずかにゆれる。


(上がってこい。そっと)


 俺はへまをやらかしたことを悟り、背を低くしてふたたび砂丘をのぼった。


「見ろ」


 フードの奥からくぐもった声がする。

 用心のために、通信装置は殺してある。


 俺は銃で示された方向をみた。


 星明かりの下なのに、砂漠はおどろくほど明るい。

 砂にふくまれる多量の石英が、わずかな光も吸いこみ乱反射をおこすからだ。


 俺はさし示された前方に、なにも見つけることができなかった。


 砂丘は眼前で頂点に達し、急角度でくだっている。

 そのむこうには、いくつかの砂丘でかこまれた窪地が形成されていた。


「何も見えませんが?」

「黙れ」


 少尉は前方を見つめたまま、おしつぶした声をだした。


 少尉の視線を、慎重にたぐってみる。


「シュノーケル!」


「黙れ」と、もういちど少尉の声がする。


 俺は慌てて口を閉じた。


 それは窪地の中央、やや右よりに、ほんのわずか顔を覗かせている。


 その数、三本。

 三本のうち二本は同じもので、あとの一本はやや太かった。


 あきらかに砂漠戦用に特注された機動戦車のシュノーケルだ。


「通信機」


 少尉は、俺が背負っているデジタルスキャン送受令機をよこせといった。


 自分がよばれた理由がやっとわかった。

 チャンネルをあわせると、遅滞なく敵味方識別信号を送る。


 信号は内臓のコンピュータにより暗号化され、マルチバンドにわたり定められた周波数を跳躍しつつデジタル信号を発信してゆく。


『ピッ!』と、みじかく応答信号がかえってくる。

 俺と少尉は、同時に安堵のため息をついた。


 少尉は砂丘の下に待機している仲間に、ちいさく集合の合図をおくった。



        ※※※



「ようこそ、へ」


 出むかえた将官は、さっぱりとした開襟シャツ姿をしていた。


 両手をひろげて歓迎の意を表している。


 俺は遊園地にはじめて連れていかれた子供のように、不安と好奇心まるだしの視線で、きょろきょろとあたりを見まわした。


「これは?」

「気に入ってくれたかね。私は陳・・中国陸軍大佐だ」


 でっぷりと太った中年の男が、満面に笑みをたたえながら手をのばす。


 俺はなんと答えていいのかわからず、阿呆のように立ち尽くしている。

 握手することすら忘れ、茫然と相手の顔をみつめた。


 心地よい空調設備に、清潔な衣類……。

 ここは外にくらべれば、信じられないほどの別天地だ。


 そしてそこに住む陳大佐もまた、下っ端兵士にすぎない俺にとっては天上人に等しい。


「堅苦しい挨拶はぬきにしよう。あらかたは岩城少尉から聞いた」


 室内はほどよくクーラーが効いている。

 だがそれでも、水分摂取過剰の大佐の鼻の頭には、汗が玉となって噴き出している。


 大佐は中国陸軍謹製の、バリッとした開襟シャツを着込んでいた。

 とっくに中国軍は消滅したというのに、どこから調達したのだろう。


 それとも『このバケモノ』は、中国軍が健在だった頃から、ずっと生き延びてきたというのだろうか。


 対する俺らは、砂だらけの地ずり虫だ。

 まったくセンスのかけらさえない。


 野暮ったい戦闘服に身をつつみ、地面を死ぬまではいまわる。

 そんな自分がなんとも情けなくて、ようやく敬礼しかけた手をきまり悪そうにおろした。


 手をおろすと同時に、砂ぼこりがはらはらと舞いおちる。


 俺の身体は、どこもかしこも砂だらけだ。

 大佐は愛するものが汚されたみたいに、露骨にいやな表情を浮かべた。


 そんなに汚されるのがいやなら、研究室の金庫にでもしまっておけばいいのに。


 ともあれ……ここは別世界だった。


 シュノーケルの横に螺旋をえがきながら隆起してきたハッチを見たとき、これから狭苦しい戦車の中に閉じこめられるのかと思うと無性に悲しかった。


 しかし内部に入りこんでわかったのだが、これは戦車というよりは、砂の海を巡航する巨大な戦闘母艦だった。


 潜水艦の巨体をもった砂にもぐる機動戦車……。

 そんなもの、この世にあってたまるか!


 俺は心の中でそう叫んだ。

 しかしこいつは、現実に存在している。


 軍隊というものは、いつの世にも常識はずれの奇妙なことをしでかすものだ。


 それは巨大なもの、力にあふれる象徴へのかぎりない憧憬。


 俺を呑みこんでいるこの化物も、奴らの夢を実現するために生みだされた、いわば時代の寵児というわけだ。


 技術将校らしい陳大佐は、誇らしげにこいつを『自走砲要塞』と呼んだ。

 そして愛称を『鉄の檻』とも。


 どうやら最新式の超重戦車のようなものだとは理解できたが、俺の頭の中をいくらさらっても、同盟国のどの装備系列にも該当するものはない。


「君はこいつに、興味がありそうだね」


 陳大佐は可愛いペットを誉められた主人のように、満面に笑みを浮かべながら俺を見た。


 さもいとおしそうに、青光りするチタン合金製の隔壁をなでる。


 その眼は変質的なかがやきに満ちている。

 丸々と太った身体にメタル製の眼鏡をかけた姿は、おおよそ軍人らしくない。


 いつの時代にも、軍隊にはこういう変わり種が存在する。


 ただ奴らと俺たちの接点は、装備改編の時に限定されていたのだが。


 嫌味たっぷりに・・。


『この間抜けな地ずり虫どもめ! どうせおまえらには、我々のつくり上げた高尚な新兵器なんぞ扱えまい。それより釘の飛びでた棍棒のほうが、どれだけお似合いか……』


 いつも奴らは、俺たちを馬鹿にした。


 俺は陳大佐の質問に、もっとも適切な返事をした。

 つまり、沈黙を守ったのである。


 もちろん言いたいことは山ほどある。


 しかしこの腐れ豚のような大佐のおかげで、俺たちはクーラーのきいたチタン製の棺桶で涼んでいられるのだ。


 だから多少の不愉快は宿の駄賃にくれてやる。


「こいつはこの世でもっとも安全で、もっとも危険な場所を我々に提供してくれる。君にこの意味がわかるかね」


「………」


「わからんようだね。地摺り虫の君たちにとっては、敵の掃討ドローンや駆逐戦車から身を護ってくれるものは、いわば守護天使のようなものだ。

 だがこいつは、我々が苦労して開発した最新兵器のひとつだってことを忘れてはならない。もし敵の奴らに発見されでもしたら、躊躇なく軌道要塞からの攻撃がプレゼントされるだろう」


「なぜ?」


 大佐はあんのじょう、いやな顔をした。


「考えてもみたまえ。この要塞は敵陣営の攻撃をすべて跳ねかえし、なおかつ前線を維持する能力をもっておる。戦局を打破できる力は、敵にとって驚異に値するとは考えられんのかね」


(百も承知だぁよ、だ!)


 喉元まででかかった言葉を、あやうく飲みこんだ。


 おまえらが甘い幻想にひたっているあいだに、俺たち地ずり虫がどんな目にあっているのか、いっぺん防護服にまるめこんで砂漠におっぽりだしてやろうか。


 俺はよほど不服そうな顔をしていたのだろう。

 大佐は急に真面目な顔になった。


「有効な武器は有効な時に使うべきだ。この自走砲要塞は実戦研究という名目で単独作戦行動をとっていた。いや、現在も作戦行動中だ。

 まだ大量生産にはいくらか技術的問題点があってな。さらに言えば、技術的難点を克服できたとしても、これを量産する相手がいない。どこかの軍閥レベルでは、とても予算が足りん。

 となれば相手になるのは日本軍あたりだな。インドのやつらは、どうにも信用できん。その他は量産技術が劣る……となれば日本一択となる」


 つまりはってわけだ。


 大昔の我が国で、まるで同じことをやったあげく戦争に敗れたことを、こいつらはすっかり忘れてしまったらしい。


 いくら優秀な兵器であろうとも、それが戦術兵器であるかぎり、単体では絶対に戦局を左右する力にはなりえない。


 こんなことは、兵士訓練学校でも最初にならうことだ。

 それをあろうことか、過去に失敗をしでかした我が国に頼ろうとは……。


 しかし俺は、自分の考えをにも出さず、じっと大佐の話が終わるのを待った。


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