その翡翠き彷徨い【第20話 翡翠の子供】

七海ポルカ

第1話





 十三歳になった。



 相変わらず魔術の師はいなかったが、メリクは近頃は三年前に立ち消えになったままになっていた魔術に関する実戦の練習も、自分でこなすようになっていた。

 場所はサンゴール王城一階にある魔術師用の修練場である。王宮ではこの場所以外でいたずらに魔法を使用することを禁じられている。

 半年前、魔術の勉強を一人で続けていたメリクに声をかけてくれたサンゴール宮廷魔術師きゅうていまじゅつしのエンドレク・ハーレイとは、あれから時折も会うようになった。

 会う度にメリクは魔術に関する色々なことを彼に質問したが、エンドレクはそれに丁寧に逐一答えてくれた。

 だが、彼もメリクの『師』ではない。

 それはメリクも、エンドレク自身もはっきりと一線を引いているところだった。



 バリバリバリバリッ……



 修練場に白雷の轟きが響き渡った。

魔珠まじゅ』がメリクの魔法をうまく吸収してくれる。

 雷の属性の魔石は雷の魔法のみを吸収するため、別の属性だったり不完全だったりすると、色を変えてうまく吸収しないから、自分の魔法の成功と失敗がはっきりと分かるのだ。

 半年間、こうして毎日多少なりともここで魔法を唱えるようにしていたが、今ではもう望んだ魔法をほぼ確実に呼び出せるようになっていた。

 メリクは魔力の余韻を手の平に押しつぶして、腕をゆっくり下ろした。


 その途端、後ろから手を叩く音がしてメリクは振り返る。


 わざわざ人気の無い時間を選んでここを使っているので、誰もいないと思っていたのだ。

 それにそこに立っていた、顎に見事な長い髭を蓄えた老人の姿に、メリクは少し驚いてから一礼をした。


「魔術師長様」


 サンゴール宮廷魔術師団の総帥杖を握る老人とは、エンドレク・ハーレイと話している時に、たまたま出会い紹介されたのが一番最初だ。

 滅多に姿を見せない魔術師長の姿にメリクは驚いたが、彼はその時も栄光ある宮廷魔術師団の長である挟持など、無駄に振りかざすことはなく穏やかにメリクに話しかけて来てくれた。

 彼らの本拠である魔術学院【知恵の塔】を出て、こんなサンゴール王宮の修練場などに本来姿を見せるべきでもない人物の登場に、メリクもさすがに驚いた。


「ああ、よいのです。メリク殿、楽になさって下さい」


 魔術師長が連れて来た深緋の衣装の二人の弟子が、すぐに椅子を整えた。

「お見事ですな、独学でありながら十三歳でここまで魔法を学んでおられるとは」

 メリクも椅子に座り、いえ……と首を振る。

 修練場の隅にはテーブルや魔法書の確認が出来るようなちょっとした閲覧場なども設けられており、そこに魔術師長とメリクは向かい合って座っている。

 魔術師長の少し離れた左右に弟子がそれぞれ立っている。

 エンドレクの姿はなかった。


 メリクが城に来てから、第二王子リュティスの手によって魔法の才を見出されたというのは、城の多くの人間にとって周知の事実である。

 優秀な魔術師の多いサンゴールの中でも一際、異質な存在であるあの第二王子……。

魔眼まがん】が語らずとも明らかな、リュティスの強大な魔力は常人と比べて語れるものではない。

 その第二王子の唯一の手ほどきを受けたのがメリクだけだったのだ。

 当時はその事実は、沈黙のサンゴール宮廷魔術師団内ですら様々な憶測を呼ぶようなものだったのだが、今ではそれも遠い過去になりつつある。

 サダルメリク・オーシェが王子リュティスの師事を受けたのはごく短い間だけであり、二人はすぐに離れてしまったのだ。

 

 メリクは魔術師としてリュティスを尊敬して、今も自分の師はリュティスだけだと思って他の師を心のどこかで拒んでいるのだとも、自分で思う。


 しかしリュティスと公私ともに疎遠になるうちに、今では自分がリュティスにとってちゃんと一人の弟子だったのかそうでなかったのか、自信は無くなってしまった。

 だからメリクは敢えてそのことは口に出さず、考えもしないことにした。

 リュティスが魔法を教えてくれた時期があった、それは確かにあった事なのだから、あとは彼を師と思うかは自分がそう望んでいれば、それでいいと思ったのである。


「才は才を呼ぶと言うが……リュティス王子も幼い頃から類い稀な魔術の才能を有しておられた。貴方は少し、王子に似ておられる」

「とんでもありません。私など……――第二王子殿下の足元にも及びません」

「ははは、謙遜されることはない。ハーレイからも聞いておる。貴方の喜ばしいところは『学ぶ才』にも恵まれていることですな、私の弟子の中にもこれほど早いうちから熱心に魔術を学ぶ者はなかなかおらん」

「……。」

「……ううむ。惜しいことですな、これほどの才が未だ向かう道も選び出せぬとは……」

 メリクは魔術師長の用向きを察して頷いた。

「……お気遣い……、有り難く思いますが……」

「いや、気遣いで言うのではないのだメリク殿。この才をサンゴール王国の名の下に使わぬのは国の損失になり得る、と私が思っているのだ」


 メリクが無位なのはもちろん十三歳という若さもある。

 広い知識と自制心を求められるサンゴール宮廷魔術師団は、最年少の魔術師をあげてみても十八歳だ。

 だが現実では、試験さえクリアすれば何歳でも入団は出来るのである。


 もう一つの理由は彼に常に付きまとっている……立場のあやふやさだった。


 女王アミアカルバの養い子として城に連れて来られたメリクだが、この七年間正式な『養子』として定められることはなかった。

 だがそういうメリクを、女王は自分の娘である王女ミルグレンと何ら分け隔てなく育てた。自分の元で。

 しかし『養子格』という曖昧な立場が尚更いつもメリクの周りを混乱させてもいた。


 女王アミアカルバは裏表のない性格だ。

 そこに彼女の明らかな思惑を感じとる者は少ない。

 メリクもそう思っていた。

 養子にしないのはいつか追い出す為だ、と悪意ある者が口にすることもあるけれどすでにそういう言葉には心は動かなくなっていた。アミアを信じているからだ。

 ただ、そうなるかもしれない、また居場所を失うかもしれない……その気持ちは消したことはない。メリクの心にはその緊張感は常に残った。


 だからこそメリクは学ぶのだ。

 自分の存在意義を自分で確立したくて。


 そのメリクにとって宮廷魔術師団入団は魅力的な話だった。確かに。

 そうすればとりあえず城の中で所在が得られずとも「サンゴールの魔術師だ」とは名乗れることになるのだから。


 ……でも。


 王子リュティスの師事を一度でも受けたことは、自分の中で大きな支えになっていることを感じている。

 周りも第二王子の師事という、恩恵に触れたメリクを無理矢理弟子に取って教えようとする者もいなかった。

 何よりもメリク自身、リュティスに認められる形で魔術師になりたいという願望があるのだ。

 だが城の奥に暮らす第二王子リュティスの目に自分が映ることは皆無だ。

 そしてリュティスはそういった外界の噂には、興味を一切示さない性格をしている。


「メリク殿……貴方のことを、リュティス王子はいかな立場に据えられておられるのだろうか?」


 自分が聞きたいくらいだ、とメリクは思う。


「確かに貴方はこの七年間、無位で魔術に関しては後ろ盾もない……。だがもしリュティス王子がそれになって下さるならば、他の何も必要無い強い後ろ盾となるはず」

「それは……」

 メリクは魔術師長の方を見て、すぐに俯いた。

「それは……。恐らく叶わないでしょう」

「そうか……。残念なことだ……」

 魔術師長としてはリュティスとメリクのはっきりとした師弟の確証が欲しいのだろう。 彼は宮廷魔術師団の長ではあったが、サンゴール最高の魔術師と言えば第二王子リュティス以外の名は挙がらない。


 しかし彼はよほどのことがなければ表舞台に出て来ることはなかった。


 老年を迎えている魔術師長としては、今後宮廷魔術師団の指揮にもっと明確にリュティスに関わってほしいのだ。

 表立っては無理でもメリクが彼の弟子として表舞台に出れば、メリクをパイプ役として、第二王子の言葉がもっと聞こえて来ると考えているのだろう。

 だがメリクはその期待には応えられない。

 応えられるだけの絆がリュティスとの間には無かった。

 メリクは頭を深く下げる。


「……申し訳、ありません。お力になれず」


 魔術師長は瞬きをしてから、瞳を和らげた。

「顔をお上げなさい。貴方が詫びることではないのだから」

「……。」

 魔術師長がエンドレク・ハーレイによって引き合わされた、この不安定な立場を持つ少年に対して抱く感情は、決して悪いものではなかった。

 むしろ第二王子の師事を守り、ここまで魔術師として成長した彼を認めていた。

 心身ともに疲弊する魔術の道を、師をまともに持たぬまま歩くのは並大抵のことではないのだ。

 沈黙の第二王子の真意を探れる者などこのサンゴールには存在しない。

魔眼まがん】を起因とする緊張した環境は、幼い頃からこの第二王子の成長過程に良くない影響を与えていたという。


 現在二十七歳である第二王子リュティスは、非常に気難しい人物だと言われていた。


 彼が出て来るのは公の行事の時だけであり、魔術師長が彼を目にする時も自然と表面のことだけしか見えて来ない。表情と心情を漆黒のローブの内に隠した、氷のような印象しか受け取れなかったのである。

 その第二王子の見えない意図に振り回されている、目の前の少年には哀れみに近いものをむしろ感じていた。


「メリク殿……、これはここだけの話なのだが」

「はい……」


「私の弟子になるおつもりはありませんか?」


 偉大なるサンゴール宮廷魔術師団の長が、本来口にする必要も無い言葉だった。

「もちろんリュティス王子の師事を受けた貴方には、私などつまらぬ師に思えるだろう。周りもそのように見るだろうが……しかし私はこれでもサンゴール宮廷魔術師団の長だ。どうせなるなら、まだ私の方がいい」

 メリクは慌てて頭を下げた。

「そのようなことは……私などには勿体無いお言葉です」


 心の底からありがたく思った。

 それは事実だ。

 ……でも胸の奥底に骨がつかえるような感覚がある。


「言い難いことだが……、第二王子が今後、貴方を立場ある者として扱うという保証も無いのだから……」

 メリクは唇を噛み締めた。


 ――それは一番痛いところを突かれたと思ったからだ。


 リュティスがまだメリクを『未熟』だと思っているなら救いはある。

 その場合メリクがやればいいことは、文字通り死に物狂いで学んで『そこ』まで辿り着けばいいのだ。リュティスに認められるまで。

 恐ろしいのは……リュティスがメリクなど全く見ていないこと。

 そして今のところ、それが一番有り得そうなことだからメリクは思い悩んでいる。


 いつしか近づくことを躊躇うようになった第二王子の奥館。

 メリクの心を二分する、自分の魔法を見出してくれたリュティスと、お前は疎ましいと自分を拒絶したリュティス。


「……申し訳ありません……、胸が震えるほど有り難く思う言葉なのですが……私はもう少し、時を待ちたいと思っています」


 自分達の師が、しかもサンゴール宮廷魔術師団の長がわざわざ弟子に、という破格の待遇を持ちかけたというのに返されてムッとしたのか、後ろに静かに控えていた弟子の二人が口を初めて開いた。


「メリク殿、よくお考え下さい。『時』とは一体何なのかと」

「え?」

「貴方はご自分の才能を分かっておられぬ。第二王子殿下は貴方の優秀さこそを、疎んでおられるのかもしれないではないですか」

 メリクは驚いた。そんなことは考えたことも無かったからだ。

「そもそも貴方の立場が定まっておられぬことは、弱さでもあるが強さでもある。先代グインエル王亡き後、後継の意味でリュティス王子と並び立つ可能性があるのは貴方だけなのですから」

 男の言葉の意味が分からずに十三歳の少年は混乱した。


「これ! 何と言うことを口にするのだ!」


 さすがに魔術師長が諌める。

「しかし、総帥……」

「確かに、このまま殿の才が埋もれるのは惜しいと私が言った。だからといって第二王子の名を貶めるようなことを口にしてはならん」

「しかし、もし女王陛下が今後メリク殿を正式に養子に迎えられれば、状況は一変しますぞ!」


 メリクは顔色を変えた。

 今度は意味が分かったのだ。

 恐ろしいほどの早さで。


「サンゴール王国は例え養子と言えども、女王のご寵愛深きもう一人の王子を戴くことになる。そしてその方がリュティス王子に劣らぬ魔才に恵まれていたとしたら……!」



「止めてください!」



 メリクは叫んだ。

 三人がメリクの方を見る。

「メリク殿……」

「そんなことにはならない。……絶対になりません!」

 手が震える。

 考えもしなかったのは、それが一番恐ろしい現実だから?

「しかし貴方も王家の末端なのだからこれからのことを」

 魔術師二人は顔面蒼白になっていくメリクの様子には注意を向けずに、言葉をまくしたてて来るだけだ。

「いつでも曖昧な波に流されるのではなく、もっと自分から歩き出していっていただかなくては……」

「第二王子殿下には【魔眼】という非常な難しい問題があるのですよ。その点、貴方には養子にさえなれば、血脈上の問題も全て無くなるのです」


「よさぬか二人とも!」

 

「しかし誰かが言わなければ」

「これは貴方の為なのです、メリク殿」


 メリクは胸を押さえた。

 苦しくなって来る。

 一度離れた第二王子との道がいつかもう一度交われれば……それが叶わないなら、近づくだけでもいい。

 それだけを思ってこの七年間生きて来たのだ。

 その道の終着点に書き加えられた残酷な、もう一つの道に初めて気づきメリクの幼い心は強く揺さぶられ、愕然としていた。

 道の先に第二王子と戦うことが出来るのだと、それをまるで幸せに思って選べと言って来る魔術師二人の言葉を聞くまいと、メリクの意識は自分の奥へ奥へと逃げていった。

 そしてやがてその意識は、一番心の奥にあった大切な光景に辿り着く。


 あの日あの礼拝堂で、

 初めて見つめたリュティスの瞳、その手、

 交わした数少ない言葉――記憶の底から吹き出して来る。


「……メリク殿?」


 一番最初に気づいたのは魔術師長だった。

 彼は痛みを抑えるように前屈みにになったメリクに気づく。

 そのとき、チリッと頬に痛みを感じた。

(これは――魔力?)

 そしてハッとする。



「いかん! 離れろ!」



 魔術師二人もその時には気づいた。

 メリクの身体を淡い光が包んでいる。

 それは魔力の光だ。

 自然に派生するものではなく、メリクの感情に呼応する形で、急速に目の前の少年の周りに、精霊が無造作に集まっていく。

 叫んだそのまま宙に魔法の盾を呼び出す印を切ったのは、さすがに衰えない魔術師としての判断力だった。

 だが魔術師長が詠唱を全て唱え終わる前にカッ! と目の前で光が弾けたのが見えた。



 サンゴール王宮全体が地の底から突き上げられるような強い衝撃に襲われたのは、その直後のことだった。


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