きっとあまくち

メンボウ

きっとあまくち


 みんながわたしを可哀想だと言うから、その時のわたしは自分のことを可哀想な子だと思っていた。

 それがすごく嫌で。だからわたしはその時も泣いてなかったし迷子だということを悟られないように、ただの退屈している子供を演じていた。きっと大丈夫。目印だっていくつか覚えてる。

 半分に折れた電柱、電線付きで危ないからよけて歩いた。さびた金網に立てかけられた自転車、赤かった。めくれたアスファルトから立ち上がる蜃気楼の形だってはっきり覚えてる。一度戻って駅からやり直せば次は上手に出来る。

 落ち着いてこの足の痛いのが治ったら目印を見つけに行こう。

 うん。痛いのが治ったら、もう少しだけ痛くなくなったら歩き出そう。なんにも心配いらない。

――

 その手は雪のように真っ白で、背景の黒いアスファルトの中に夏の日差しを反射してまぶしく輝いて見えた。差し出された手を見てはじめて自分がいじけたようにうつむいていたのに気付いた。あわてて足が痛いのがばれないように平気そうな顔を作って顔をあげると、少し首を傾げた男の人がわたしの荷物をとりあげる。

「荷物はこれだけ?」

 りょうちゃんはこの時わたしが泣きそうな顔をしていたと言う。ぜったい嘘だ。まだ泣いてなんかいなかった。

 海軍福祉協会、通称置き去りボックスの建物は本当にボックスだった。あかあおみどり、カラフルな一辺五メートルの立方体が横に三個、縦に三個、奥行きに三個で一セットになって規則正しくそれが九つ、目立てば勝ちのような目に痛い配色で黄色いひまわりの花の丘の上に並んで、あんまり痛いんで涙が止まらない。そういうことにしておこう。

 元々は本当に福祉施設だったらしい。今では通称のとおり、もう未来のない地球を逃げ出す人たちに置き去りにされた自活能力のない子供たちの受け皿になっている。

 あぜ道を登るとブロック塀の外にあるひまわり畑で、じょうろを振り回して背の高い女の人がくるくる踊ってる。脱色しすぎて肩のところで溶けたような髪がおひさまを透かして、それがクロスフィルターを通したように幻想的で、随分と大きな妖精も居るんだなと不思議に思えた。

 でっかい妖精はこちらを見つけるとくるくる回りながらこちらに駆けてくる。まるで曲芸だ。

「わあ、りょうちゃんが女の子を泣かしてるよ! いじめっ子やん、いじめっ子!」

「これがひなた。ちょっと鬱陶しいけどわるい奴じゃないから、面倒くさかったら無視していいから」

 たぶん自分が面倒くさかったんだろう。りょうちゃんはひなたさんを無視してわたしの手を引っ張っていく。

「ほ、本当にいじめっ子! ひどいと思わない。えーっとお名前を教えてくれるかな?」

 わたしが自分の名前を告げるとひなたさんはまわるのをやめ思いっきりこちらを覗きこんでくる。

「いい名前だなぁうらやましいぞ。よし、いい子には、あめあげよう。今日はカレーの日だから一個だけだよ」

 ひなたさんはごしごしとわたしの涙の跡を拭いてから、わたしの手にあめを握らせる。

「今日、金曜日だっけ?」

 そだよーと言って、また、ひなたさんはくるくる回りだす。もうじょうろからは水が出ていない、それでもくるくるくるくる、ひまわり畑で踊り続ける。

「足は、平気? もうすぐだから」

 りょうちゃんはずっと前を向いていたけれど、何故だか笑っているのがはっきりわかった。

――

 IDカードと替えの下着しか入ってない荷物を案内された部屋に置いて簡単な施設の説明を聞き終えると今日の用事は全部済んだらしい。

 今日からここがわたしの家なのだ。

 実感なんてなかった。優しかった両親に置いて行かれるなんて想像だってしたことなかった。

 怒りのようなものはあるけれど、でも優しかったんだ。大切だったんだ。

 わたしは自分を可哀想なのか知りたい。いや、知らなければならないんだ。

「ここからロケットは見えますか?」

 同情されるかもしれない、それがほんとうに恐かった。

「今日は天気がいいから、海の方からだったら見えるね」

 ――誰か知り合いでも乗ってる? ええ、うちの両親が。まあ、親御さんは自分だけ、それは可哀想に、可哀想、可哀想――ここに来るまで何百回となく言われつづけた同情の仮面を被ったあざけり、手を差し伸べないくせに自分よりみじめなものに向けるあわれみ。そんなもの……

「どうした? 見に行くんだったら案内するけど」

 りょうちゃんはもう玄関を出て夏の日差しの中当たり前のように待っていた。逆光で今度は黒いシルエットだけがわたしに手を差し伸べている。

 何で何も聞かないんだろう……みんなは聞きたがったのに。

 不思議そうに少し首を傾げていたシルエットだけの影絵のりょうちゃんが何故だか優しく笑ったのがわかった。

「見た方がいい。僕も見たよ」

 いつだってりょうちゃんが笑うのはわかりやすい。すごく幸せそうに笑うからなんだかすごく簡単なんだ。

 靴の中の砂利を取り出して、つま先を二回地面に叩きつけて、よし、もうどこも痛くない。どこにだって行ける。


 ロケットは暗くなってゆく夕空へ火を吐いてのぼって、あっけなく雲の中に消えた。

 軌跡の雲が形をなくすまでじっと見つめていると、いつの間にかひなたさんとりょうちゃんがわたしの手を握ってくれていた。三人のながい影が海に消えて星が空を埋める頃、やっとひなたさんが口を開いた。

「おうちにかえろう」

 金曜日は家族みんなでカレーの日だ。難しいことはわかんないけど、大昔から、そう決まっている。

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