小さな物語
ハバイマ
第1話 ひとりぼっちの少女
1.1 若い女の死体
女の死体だ。
川岸に赤いワンピースを乱して転がっている。
辺りにはどす黒い血と黒革のハンドバッグの中身。
薄紅の口紅や鶯色の香水瓶といったコスメ、ティッシュ、ポリ瓶、手袋、財布、ともかく若い女の持ち物。
まるで見せびらかすような散らばりようである。
青白い顔の眠たげな薄目は濁った夜空を見つめている。
辺りで激しく光が点滅した。
鑑識が闇夜に写真を撮りまくる。互いの手際で警官の怒鳴り声が響く。
イエローの規制線テープを跨いで一人の警部が現れた。現場検証に訪れた彼は女のすぐ側でしゃがむ。
野ざらしのその女に見覚えがあった。
自分が差し向けられた理由を知る。
女から少し離れた水辺に黙々と仕事をする鑑識の男がいた。作業服がはち切れんばかりのその小太りの男に警部は声を掛けた。
猫背で地面のゴミを採取する男は集中していたので気づかない。警部に直接肩を叩かれて驚き振り返る。太い足だ。見上げると見知った強面の男だった。
「警部。公安警察の……どうして……」と鑑識の男は驚く。警部は構わず問うた。
「モランド。死因は?」
モランドと呼ばれた鑑識の男は三十路の童顔で微笑むと立ち上がる。相手の警部は三十代後半だ。見上げるような大男である。
モランドはピンセットをタクトのように振り回しながら身分証不所持で身元は調査中と語った。警部が知りたかったのは死因だ。モランドは調査中と前置きし推測を伝える。
「刺突による動脈損傷、出血死です。えーと、凶器は……ナイフ。
腹部を何度か突き刺されてます。
最初は腹部前方から、被害者が倒れた後は背中の背骨の脇を……私の身体で言うと、ここですね。
ここ。
大動脈狙いかと。確実に殺したかったんじゃないかと。
ナイフを刺したときに……ひねってまして。こんな風に。殺し方が惨いので怨恨の線でしょうか。
血を嫌ったのか犯人が着ていた外套が向こうの草むらで見つかりました。外套は軍支給品の冬服。
今の季節には合いませんが町中で来ていても違和感はないですね。他にも同じく軍支給の手袋が片方だけ。もう片方は捜索中です」
その間警部は頷いただけだった。肩透かしのモランドは彼の名を呼ぶ。
「ガルゾ警部?」
警部は既にモランドに背を向けていた。半顔で応じる。
「周囲を聞き込みする……本庁から何か言われたか?」
「今回は報道管制だそうで。若い女性の不審死は市民に動揺を与える、だそうです。珍しく即決でした」
それを聞いたガルゾはまた頷くだけだった。ぷいと顔を背けてどっかに行ってしまう。彼はいつからかそうだった。モランドは胸をなで下ろす。
公安警察特別監督室のガルゾ警部。
いわゆる秘密警察の上級公務員だった。その彼が出張ってきた。国の英雄として祭り上げられた哀れな男。世間では過去の人だ。組織では扱いづらい厄介者である。
囁かれる悪口は、腑抜けのガルゾ。
それが聞き込みなどとやる気を出すのは珍しい。
モランドは身をこわばらせる。くしゃみ。さっさと仕事を終えたいと証拠探しに戻った。
彼の不運は二つあった。
やんでいた雨がまた降り出す。証拠が流れると舌打ちした。目の前で女の流した血も流れていった。
もう一つはこれから起きる。今夜の鑑識は忙しい。
夜が明ける。
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