第8話 喧嘩する方が仲が良い


 お手紙です、と手渡されたのを受け取って、ジョゼットはつい重たい息を吐き出した。

 ランドリック付きの執事が、気遣わしげな顔をした。


「どうかなさいましたか。悪い知らせでしょうか」

「あ、いいえ。そんなことは。ごめんなさい、届けてもらってため息なんて」


 ジョゼットは優しい目をした執事に笑ってみせたが、実家からの手紙を開けるのには勇気が必要だった。

 なるべく落ち着いて見えるようにゆっくりと封を開け、中を確認する。


 案の定、中に書いてあったのは、ジョゼットの手紙への返答ではなく、何故そうなったのかの原因を当て推量したあげく、ジョゼットの出しゃばりのせいではないかと決めつけて責める内容だけだった。


「……返事は求められてないから、大丈夫。ありがとう」


 返事をしなくても、ある意味、喜び勇んで対応してくれるだろう。もともと、父親はジョゼットが侯爵家預かりとなることもいい顔をしていなかった。小生意気な娘には、厳しく導いてくれる年長の男がいいと、自分の友人の中から相手を見繕おうとしていたからだ。

 一生、父のような夫に生意気だ大人しくいろと言われ続けるのは嫌だったので、ジョゼットは密かにあれこれ頼み込んで、系列の家の中での慣習だからと、親類に父を説得してもらったのだ。無事に侯爵家に着いた時には、安堵で腰が抜けるかと思った。


 父の掌の上に戻るつもりなど、絶対に避けたかったのだけれど。

 今となっては、使える手は使わなければと、割り切るほかはない。


「ジョゼット様、この屋敷の者はみな、ジョゼット様の味方でございますので、お忘れなく」


 いつも控えめな執事がそう言うのに、ジョゼットはぐっとこみ上げるものを耐えなければいけなかった。


「ありがとう。その言葉だけで力が湧くわ。私、ここで過ごした時間は宝物だと思ってるの」


 眉を下げて微笑む様子に執事は少し躊躇ったが、結局はそれ以上の私的な言葉は飲み込んだ。


「どうか、お心お健やかであられますよう。……お手紙を読み終えたら、応接室に来ていただきたいと、ランドリック様からのお言伝です」

「応接室? お客様かしら」

「はい、ランドリック様が、たいそうおはしゃぎで」


 執事が意味深長に言うので、ジョゼットの想像の中で、ランドリックに生えた茶色い尻尾が勢いよく揺れた。






 応接室にいたランドリックは、まさに駄犬に見えた。

 つい先日ジョゼットの顔を散々舐めておいて、今は別の相手に向かって見えない尻尾をちぎれそうに振っている。

 誰にでも愛想を振りまくのは、駄犬中の駄犬である。


 ただし、このお相手はいたしかたない、とジョゼットは息をついて気持ちを収めた。

 ランドリックが尻尾を振っているのは、戦略家の男爵令嬢でも、いまだに噂の消えない従姉妹でもその夫でもない。

 半年前に産まれた、ランドリックの小さな甥っ子だ。


「この子に贈り物をありがとう、ランドリック」


 その声は、とても礼を言うような温度ではなかった。


 この従姉妹はランドリックより年若なのだが、綺麗に結い上げた髪と、華やかながら落ち着いた色合いのドレスのせいで同年代か上にも見える。何よりその目は、ランドリックをどうしようもない弟のように眺めている。可愛がるというよりは、呆れたように、だ。


 その気持ち、ジョゼットは半分はわかる気がする。

 あとの半分は、ランドリックも努力しているのだと主張したい気持ちがあるのだが、今は駄犬と成り下がっているので、見ないふりをする。


 従姉妹の話によれば、ランドリックは甥宛に長櫃五箱分もの衣類を贈ったらしい。


「素直にありがとうと言える適度な量というものがあるでしょ? お父様たちやお母様たちだって服をくださりたいとおっしゃっていたのよ。他の方から贈っていただくものがなくなってしまうから、せいぜい三着くらいにしてって、産後すぐの時にも言ったわよね?」


「聞いたかなあ?」


「言ったしね! あんなにあったら全部着る前に大きくなっちゃうわよ!」


「なら、一日三回くらい着替えたらいいだろ?」


 怒れる従姉妹に、ランドリックは準備よく応接間に設置されていた赤ん坊用の揺り椅子に甥を座らせ、奇怪な動きをするおもちゃで構いながら、平然と言った。


 実に、ランドリックらしい考え方。

 だが同時に、ランドリックらしくはない。

 もしこれが社交界なら、相手の発言の意味を取り違えないように気を張って、そして神経を使って返事を吟味するはずだ。相手の言葉を遮る勢いで言い合いをすることなど、絶対にしないだろう。

 ジョゼットだって、こんなに気負わない素の物言いはされたことはない。

 馬が合うのか、誤解を恐れなくていい相手なのか。それだけ、この従姉妹はランドリックの内側にいるのだ。


 いずれにせよ、ランドリックの返事は、火に油をぶち込んだ。

 ジョゼットは礼儀として目を逸らしたが、一瞬遅く、従姉妹の可憐な眉が限界までぎりぃっと吊り上がるのを見てしまった。


「おめかし用の手の込んだ服は、かわいくっても、着せる側も着る子も大変なのよ!」


「じゃあ、好きなのだけ着せたらいい。全部着なくてもいいよ」


「もったいないでしょ! あんな、あんな、私の好きなテーラーの一点物ばかり……!」


 いつものように喧嘩のようなやり取りが始まる中、ふえふえと声が上がった。頼りない、だからこそ皆の注意を引く力のある声。

 控えていた乳母に視線で縋られたので、ジョゼットはランドリックから赤子を取り返して乳母に託した。

 名残惜しそうにするものの、ぐずり始めた赤子を引き止めるのは流石にダメだとわかるようだ。


「大体、あんなに大量にしかも先取りして贈られたら、旦那様が口を出しにくく感じちゃうでしょ?」


「アルバインは、もともと子供の服なんて興味ないだろ?」


「これから、興味が出てくる予定なのよ! 親だって子供と一緒に成長するのだとお義母様がおっしゃってたもの。大体あなた、私の出産の時だって旦那様より先に来て……!」


 もはや赤子そっちのけでぽんぽんと投げ交わされる勢いのいい言葉たちは、ランドリックだけでなく、従姉妹の方でも気を許している証拠だろう。かつてランドリックがしでかした失態は、もうなんの影も落としていないようだ。

 そこに、男女めいたものはなく、やはり横恋慕の噂は嘘でしかないようだが。

 ランドリックにとってこの従姉妹は、家族よりは遠い身内で、教本の女性とは違う、生身で妙齢の女性だ。ジョゼットと同じ。

 けれど従姉妹の方が、心は近いのかもしれない。ジョゼットより、ずっと。


 女性として見られることなく、生身の女性としても一番ではなく。

 中途半端な自分の立ち位置を思って、ジョゼットはため息をついた。


 ところが。

 寝てしまった赤子を寝かせるために乳母を客室に案内して帰ってくると、様子がおかしい。扉が開け放たれた応接室で、ランドリックが声を荒げている。


「ジョゼが、出て行くだって? どこへ? なんでそんなことに?」


 ジョゼットがまもなく屋敷を去るということを、聞き知ったようだった。


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