第14話 輪知
ここかしこで爆炎が上がり視界が明滅する。苦悶の叫びよりもこちらに切り掛かってくる足音の方を耳が捉えるのは慣れの賜物なのだろうが、一方で背後に護っているはずの浚帝から随分離れてしまった気がする。親軍に続き全軍が動き出した。左翼を率いる洳将軍、右翼を率いる洌将軍の指揮は確実であるので、既に追いついてきていることには間違い無いが、火を避けながら進んでいるので、恐らく大分横にばらけてしまっている。敵側歩兵の隊列がどれほど厚いか知れないが、こちらも立て直すべきではなかろうか。
「! アインゲル!」
煙幕の向こうから櫓の壁が浮かんで見えた。その頂きに、この辺りの民族帽を被り緋衣の鎧を着けた男が立っている。烏藩の首領アインゲルである。櫓が近い、ということは前方は塹壕だ。工兵たちは戦車が到達するまで仕事に取りかかれない。
「伝令……」
振り向きざま足元が揺れた。櫓の後方から騎馬の一群が跳び出してきたのである。汐は直ぐに企図を察してぞっとした。小栗をあおり踵を返す。狙いは浚帝である。前衛と分断するつもりなのだ。そのために汐たちをここまで引きつけたのだ。間に合わず汐たちの前に一分隊が立ちはだかった。
汐と共に最前を駆けていた部下たちはよく護った。取り巻く敵も大分数を減らしたが、振り切ることができず汐の側には二、三騎が残るのみとなった。
「貴様ら、林を抜けて鈸姫まで駆けろ、陛下を護れ」
少なくない傷を負い体力も限界に達しているだろう騎兵たちを遠ざけるために、汐は敵方数騎に斬りかかった。騎兵たちは許しを乞うて離脱する。助け合えば何とか救護班まで走り抜けるだろう、汐は心の中で祈願した。
「汐!」
多勢の刀に嬲られ、力尽きそうになったその時、呼ぶ声が聞こえた。目を上げれば暁光を弾く銀の甲冑とレノーが駆け上がってくる。レノーの放った矢が汐に刀を振りかざした騎兵を貫く。陛下ご無事で、と紅く濡れた喉元を震わせた汐はしかし、絶望に凍りついた。
「なぜ……」
小栗に縋る汐を庇って立つ二人に向かい、朝日を沸かせて馬蹄の轟きが近づいてくる。銀獅子紋は珀帝国皇帝の甲冑のみに許される。怒声を渦巻きやってくる敵兵たちは、銀の獅子を屠るために血道を上げている。だが、今汐の傍らに立つのは浚ではない。
「汐、この国を出ろ」
囁く声は懐かしい言葉だ。螺鈿に光が溢れるような。
「この国を出て、螺鈿宮を伝えてくれ、頼む」
「すぐ左弦部が追いついてくる、ここは俺が引き受ける」
親軍の後衛にいたはずのレノーが、いつものように落ち着いた声で言う。汐は悟った。全て仕組まれていたことだ。浚帝は、恐らく他の将軍たちも、新皇帝の統治を安定化させるために、国内の不満から目を反らせるために、全ての混乱を異民族との争いに帰結させようとしている。異民族の制覇こそ浚帝の正統性を裏付けるものなのだ。己れも異民族の血を引いていると蔑まれてきたのに-だからこそ、異民族の殲滅によって珀人であると証明する必要がある。否、異民族を排除し純正を重んじる珀帝国を、異民族の己れが支配することを嘲けるためなのかもしれない。いずれにしろ、自分は捨て駒だ。
「…… あいつはあんたが羨ましいんだ。だから憎い。だから希望だ」
レノーが矢をつがえる。炊大将の言葉が頭をよぎる。我々は“相対するもの”だ。異民族であることを受け入れられ、ありのままの自分を慕ってくれる者たちがいる。浚帝にはもはや届かない。姉公主を囮として敵の動きを炙り出し、塹壕渡りと梯子を準備してから一斉攻撃をかける。勝利のためならば銀の獅子も皇家の血も汚すことを厭わない。
「獅子紋を纏う許可を申し出たのは私です。伝える機会は今しかないと」
紅輝を散乱させ人馬が押し寄せる。眼中には銀の獅子しかいない。天輪が幾度回っても、またお会いいたします。兜の影で沫が言う。それから、どう駆けたのか分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます