ギャル文字クロニクル:AIが照らす二つの青春~Galmoji Chronicle: The Twin Lights of Youth~

Algo Lighter アルゴライター

【プロローグ『ぉレ£∋ぅ、って何だ。』】

放課後の校舎には、妙にリアルな静けさがある。

人の気配が消えた教室に残るのは、机と椅子と、夕陽が引いた長い影。

その隙間に、自分の足音だけが落ちていく。


相沢透は、誰もいない旧校舎の廊下を歩いていた。

理由なんて、特にない。

いや、しいて言えば——今日は、母の命日だった。


記憶の中にある母は、いつも優しかったけれど、どこか遠かった。

そして突然の病で亡くなって、何も話せなかった。

残されたアルバムも、日記も、ほとんどない。

あるのは、遺品として父が引き出しにしまっていた、小さな箱だけ。


「これ、君がいつか気になったら開ければいい」

父はそう言って、箱の封を切らずに預けてきた。

透が開けたのは、それから3年も経った今日だった。


中に入っていたのは、一台の、古びた折りたたみ式携帯電話だった。

——ガラケー。

透は、実物を見るのは初めてだった。

年代的に、ちょうど母が高校生だった頃のモデルらしい。


驚いたのは、電源を入れるとすぐに起動したことだった。

小型ソーラー内蔵型のバッテリーと、超省電力回路が搭載された終末期モデル。

当時は「災害時でも10年後に起動できる」と話題だったと後で知る。


そのガラケーの待受画面には、2005年8月2日という日付が浮かんでいた。


“メモ帳”フォルダがひとつだけあり、中には十数件のテキストが保存されていた。


ぉレ£∋ぅ⊇〃、⊇〃めωナょ±ぁレゝ…

八”T├の面キ妾…マぢ泣キそ:;(

才×〒"├`ノ♪ → ぁリが㌧ゑ…


最初はバグかと思った。

日本語のようで読めない。

記号と文字が混在する、意味不明な羅列。


透は思わず、Com-AIに読み上げさせた。


《このテキストは意味解析できません。エラーコード:構文不明》

《感情データ抽出不能。音声感情翻訳不可》


……AIが、感情を読み取れない。

その事実が、なぜか妙に、生々しかった。


「この文字は……なんなんだ?」


そのとき、ふと背後から声がした。


「それ、“ギャル文字”っていうんだよ」


写真部の茜だった。

透とは小学校からの付き合いで、クラスでは数少ない“AIに頼らない派”のひとりだ。


彼女は埃っぽい空気の中で笑いながら、携帯の画面を覗き込んだ。


「ギャルがね、2000年代にメールとかでよく使ってた文字。

わざと崩して書いて、気持ちを飾ったり、隠したりするの。

“読まれないため”じゃなく、“ちゃんと読んでくれる人にだけ”読んでほしい言葉って感じかな」


「そんなの、初めて知った」


「まあ、今のAIには読めないからね。“機械に通じない気持ち”っていうか」


透は、携帯の裏面に小さく貼られていたステッカーを見つけた。

薄く擦れた筆記体のシールには、こう書かれていた。


SUMI AIZAWA / Class of 2006


……母の名前だった。

「澄」。

彼女が高校を卒業した年だ。


「——これ、母さんのガラケーだったんだ」


透の声はかすれていた。

茜は目を見開き、静かに頷いた。


「じゃあ、これ……その人の青春だね。

この文字のひとつひとつが、残したかった“気持ち”だ」


透は、もう一度画面を見つめる。


雑で、意味不明で、でも、どこか切実な記号の連なり。

それは、言葉というより——感情だった。


ふいに、画面の通知がひとつ浮かび上がった。

“未送信メッセージ”——その文面には、たった一行だけが表示されていた。


愛ιτゑ


透は、ゆっくりと声に出した。


「……あい……してる?」


画面がふっと暗くなる。


——そのとき、透の胸に、奇妙なざわめきが走った。


そして、物語は静かに、確かに、動き始めた。


【ギャル文字解説コラム:Episode 0】

ギャル文字とは?

2000年代前半の日本で、女子高生を中心に使われた、暗号的・感情的な文字表現。

例:「おはよう」→「ぉレ£∋ぅ」、「ありがとう」→「ぁリが㌧」、「好き」→「スキ」など。

記号やカナ、漢字の一部を意図的に崩し、“伝えたいけど伝えきれない感情”を込めたもの。


なぜギャル文字を使ったのか?

「誰にも読まれたくない」ではなく、

「誰かにだけ、ちゃんと届いてほしい」という祈りに似た暗号。

だからこそ、機械には読めないが、人には刺さる“感情の筆跡”ともいえる。


AI社会との対比

この物語の舞台では、AIが言葉も感情も予測・分析する時代。

それでも、“読めない言葉”が残されていた理由を、

これから登場人物たちは少しずつ、読み解いていく。


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