chapter10~母の愛は偉大だった。母の日じゃないけどね~
「逃げるぞ衛っ!」
栞ちゃんを小脇に抱えるようにして,巧が走ってくる。
いや,妹をそんな風に運ぶなよ。
ガッと腕を掴まれて,僕は氷上先生から解放された。
またしても黄色い声援が起こるが気にしてられない。
「濱口君!?」
「少年!?」
「衛クン!?」
「衛!?」
「衛さん!?」
引き摺られるようにして,とりあえず巧と栞ちゃんと一緒に,その場から逃走した。
「はあ,ほんとにヤバかったなあ,衛」
「いや,その,意味分かんないんだけど!?」
僕らは学校から少し離れたコーヒーショップで,一休みしていた。
「まあ,明日学校に行ったら,呼び出し食らうのは間違いないけどな。」
「そうだね・・・。他のみんなはうまいこと逃げ出せたのかな?」
「なんとなくだけど,大丈夫だと思うぞ。」
巧の意見には同意だ。
「巧,部活は大丈夫なのかよ?」
「さっき,早紀にメールで休むって送っておいた」
巧の彼女の早紀ちゃんは,サッカー部のマネージャーだしね。
「それにしても・・・。」
巧の横には,栞ちゃんが黙って座っている。
「えっと,栞ちゃん?」
「はい」
栞ちゃんは頬を赤らめたまま返事した。確かに声は栞ちゃんだ。
「本当に栞ちゃん?」
「そうですよ。もう見忘れましたか。衛兄さん」
「いや,その,見忘れたんじゃなくて,見違えたっていうか・・・」
そういや栞ちゃんは,僕のこと『衛兄さん』って呼んでいたっけ。
「そうだろ衛。言った通り,見違えただろ」
「あ,ああ,うん・・・」
さらに頬を赤らめる栞ちゃん。
「こいつはな,お前に振り向いてもらうために女を磨いてきたんだぜ!」
「ちょっとやめてよ,兄さん・・・」
栞ちゃんは頭でお湯が沸かせそうなくらい赤くなっている。
「それはそれは涙ぐましい努力でな。俺としてもなんとかしてやりたくてなあ・・・」
「もういいから,兄さん!」
しかし,なあ・・・。
「巧,さっきの話って・・・」
「どの話だ?」
「そ,その,僕の嫁にやるって・・・」
「おお,言った通りだぞ!」
「両親お墨付きってのも?」
「ああ,俺が話したら,父さんも母さんも大乗り気だったぞ!」
「ええ・・・?」
「会社は俺が継ぐが,衛なら系列会社の社長を任せてもいいって,父さん言ってたぞ」
おじさんまで?
いや,確かに何度か会ったことはあるし,僕のこと気に入ってくれてたようだけどさあ・・・。
「栞ちゃんの気持ちはどうなるんだよ?」
「栞?栞は・・・。うん,この際だ。栞,自分の口で言え」
「・・・。」
栞ちゃんは口を固く結んで僕を見つめる。
「わ,私は,衛兄さんのこと,大好きでした。いえ,今でも大好きです!」
「よく言った,栞!」
「兄さんは黙ってて!」
「はい・・・」
「私は衛兄さんにふさわしい女性になるために,お料理とか,茶道や華道の習い事も一生懸命頑張ってきました!」
「あ,ああ・・・」
栞ちゃんの気迫に気圧される。
「GWには,別荘に衛兄さんをご招待して,その成果を見ていただこうかと思ってたのに・・・」
あー,巧がGWに僕を誘った理由ってこれ?
「私は,あんな人たちに負けません!絶対衛兄さんを振り向かせて見せますっ!」
「は,はあ・・・?」
僕はどう返事をしていいか,全然分からなかった。
「ところで衛。確認したいんだが・・・」
「何?」
「あの中に,お前の付き合いたい相手がいる,とか言わないよな?」
「・・・」
栞ちゃんが固唾を飲む。
「いるとかいないとか,そんなのまだ考えられないよっ」
「どういうことだ?」
「・・・僕は,まだ失恋から立ち直れていない」
「!」
「やっぱり失恋してたのか・・・。まさか前に言ってた巨乳の編集者さんか?」
「巨乳・・・」
栞ちゃん,自分の胸を揉まないで!?
「・・・そっか。つまりあれだ。お前の傷心を癒やすことができる相手ならいいってことだな?」
「はあ?」
そんなこと言ってないけど!?
「栞,聞いたな。これはチャンスだ!」
「はい,兄さん!」
いや,二人で盛り上がらないで!?
「ぼ,僕の意見は・・・?」
「兄さん,私が衛兄さんの失恋を忘れさせてみせます!」
「ああ,ああその意気だ。期待してるぞ,栞!」
「はい,兄さん!」
「あの,僕の意見は・・・?」
「明日から,アンナコトやコンナコトで,衛兄さんを籠絡してみせます!」
なに,言ってんの!?
「あの,僕の意見は・・・?」
「明日からと言わず,今夜からでもいいぞ!」
「いいんですか?兄さん!?」
「では,作戦を伝えよう・・・」
「ぼ,僕帰るからね・・・?」
当人をそっちのけで盛り上がってる兄妹を置いて,そっと席を立った。
お金は明日,巧に返そう・・・。
巧達と別れて,どうにかマンションに帰宅する。疲労(主に精神的に)はMAXだった。
「ただいまあ・・・。」
玄関の扉を開けると,母さんの靴以外に二足のパンプスが並んでいた。
「お客さんかな・・・?」
リビングに行くと,そこには母さんと向かい合って真緒さんと原さんがお茶を飲んでいた。
「お帰り~。」
「お帰りなさい,衛君。」
「久し振りね,衛君。昨日はありがとっ!」
久しぶりに会う原さんは,年甲斐もなく語尾に星マークを付けそうな相変わらずの口調だった。
「いらっしゃい。真緒さん。原さんまで今日はどうしたの?」
僕も自分のお茶を持って食卓に着く。
「いやー,さわぐっちゃんから昨日の話,聞いてねっ!お礼を言いに来たのよっ!」
「はあ・・・。」
「しかしあれだねぇ・・・。あの小野先生を墜とすだなんてやるねっ,この色男っ!」
「先輩,やめて下さいっ!」
真緒さんが諫める。
「でもあの後,小野先生ったら『新作を書くわ!』って急に連絡してきてびっくりしたのよっ。いあやあ,恋の力は偉大だねぇ・・・。
「本当にごめんね,衛君。この件は私がなんとかするから」
「真緒さん・・・。」
くーっ!やっぱり好きだあ・・・。
「いやいやさわちゃん,衛君のおかげで小野先生は新作が書ける,しかも小野先生ったら,『彼は絶対すごい編集者になるわ!マルミヤ文庫で必ず採用しなさい!』って!未来の編集者としてのお墨付きまでいただいてっ!我がマルミヤ文庫にとっては,いいことずくめじゃないっ!」
「でも,衛君はまだ未成年ですよ!」
「もうすぐ成人じゃん」
「ぐっ・・・。」
真緒さん,つくづく口喧嘩に弱いなあ・・・。
「ははっ。衛も大変だったね~」
「母さん,まるで他人事だね」
「いや~,だって就職どころか嫁のなり手まで決まったら,親しては安心だよ~。」
「あー・・・。」
さっきまで栞ちゃんとの話を思い返すと,なんと言っていいのやら。
「衛君,何かあった?」
複雑な表情をしている僕を見て,真緒さんが真剣な顔で聞く。
「今日,透子さ・・・小野先生が学校まで押しかけてきて・・・」
「ええっ?」
そりゃ驚くよね。
「ヒューっ,やるうっ!」
「先輩っ!?」
「で,何だって~?」
「新作読んでって原稿を渡されました・・・」
「え?もう完成したの・・・?」
さすがの原さんも驚いている。
「これです・・・」
鞄から,茶封筒を取り出す。
「すっご・・・!」
「それは騒ぎになったろうね~。あのビジュアルだしね~」
「大騒ぎどころかっ・・・!」
しまった!?
「何があった?キチンと話なさい」
母さんが真面目モードの口調になる。
これは誤魔化しようがない・・・。
とりあえず,かいつまんで説明した。
「凄いね衛君っ!5人から求愛されるって,どんなラノベだよっ!」
原さんが茶化すように言う。
「先輩っ!」
「で,衛。あんたはどうするんだい?」
「どうするも何も,全然考えられないよ。でもみんな真剣に告白してくれたし・・・」
翼さんはそうでもないが。
「・・・うん。私はね,衛。あんたが誰と結ばれようが構わない。聞く限りではみんな素敵な人ばかりのようだしね。でもね,私はあんたが不幸になることだけは許せないよ。私と父さんのように,悲しい思いはして欲しくない」
「母さん・・・」
「若いうちに恋愛はたくさんしたほうがいい。それで将来が決まるとか考えなくていい。ちゃんと相手に向き合って,どうすればいいかちゃんと考えなさい」
「うん・・」
母さんの言葉が心に染み入る。
「は~っ!真面目に話すのはやっぱりしんどいね~」
母さんはいつもの口調に戻ると,気の抜けた顔をした。
「お邪魔しました。」
「じゃあまたねっ!小野先生には釘を刺しておくから安心してっ!」
玄関で真緒さんと原さんを見送る。
最後まで真緒さんは心配そうな表情をしていた。
あなたに失恋さえしなければ・・・いや,他人のせいにするのは良くないな。
母さんの言う通り,ちゃんと相手に向き合って,ちゃんと考えよう。
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