chapter4~年上のお姉さんって憧れるよね。ただし異論は認める~

 担任の氷上月子先生がチャイムと同時に教室にやって来た。


 氷上先生は今年で教職3年目。真緒さんと同い年なはずだが,すらっとした長身で,黒いタイトのスーツがよく似合っている。いわゆるリクルートスーツのはずだが,大人っぽい雰囲気がムンムンなので,むしろ面接をする方に見えなくもない。肩で切り揃えられた黒髪も,知的な感じを増幅させている。本当に真緒さんと同い年なんだろうか?

 どちらかが年齢詐称してるんじゃ?


「・・・何だか,随分騒いでたようだけど,何かあったのかしら?」

 ようやく静かになった教室内に緊張が走る。


「なんでもありません。たいしたことじゃないですから」

 山吹さんが立ち上がって答える。みんなギョッとする。

「そうなのか?まあ,山吹がそう言うなら・・・」

 山吹さんは学級委員長なので,先生の信頼も厚い。


「ちょっと,初原さんが取り乱しただけです」

 もうっ!?何故,爆弾を投下するの?!


「なっ!・・・何を言い出すの,山吹さん・・・」

 思わず美咲も立ち上がって抗議する。

「あら,本当のことを言っただけだけど?」

 この緊張感。

 みんな生唾をゴクリと飲み込む。


「取り乱してなんかいません!アタシは,素直に自分の気持ちを言っただけです」

「素直にねえ・・・」

 今にも取っ組み合いが始まりそうだ。

 ・・・胃が痛い。


「まあまあ待ちなさい,二人とも。落ち着きなさい。詳しい話は後で聞きます。まずは着席して」

 先生に宥められ,二人はようやく席に着いた。


「とりあえずSHRを始めるわよ。まずは連絡事項から・・・」

 誰も話が頭に入っていないようだった。


 僕もね!?




 その後の授業は針の蓆だった。休み時間もみんな遠巻きに僕を見て,ひそひそと話している。


 つ,辛い・・・。


 まあ,僕が休み時間に話すのは前の席の巧ぐらいだ。まあ,普段から僕はクラスでは浮いている方なので,いつものことだし。

 でも,美咲は友達と話しながらも赤い顔でこっちを見ているし,山吹さんも本を読みながらこっちを見てニヤニヤしている。




 そんなふうに午前中を過ごし,ようやく昼休みがやってきた。

 僕はいつものように巧と席を向かい合わせて昼食を取る。

 一部の女子がキャッキャと騒ぐが無視無視。


「本当に大丈夫か,衛?」

「・・・大丈夫に見える?」

「すまん。何だか騒ぎになってしまったな」

 今もね!?


「でも誤解すんな。俺は早紀一筋だから!」

「知ってるよ・・・」

「俺の知ってる,お前を好きな子って・・・」

「え?」

「いや,これは俺から話すことじゃないな。うん」

「どういうことだよ・・・」

「機会があれば紹介する!いや,早くしないと駄目だな!」

 巧は一人で納得している。

 どういうこと!?


「・・・ところで体調は大丈夫か?」

「え?」

「騒ぎになる前から顔色悪かったし。お前,今日弁当じゃないじゃないか?」

「あー,そうだね・・・」

 僕は弁当派だ。母さんは仕事が忙しいので,自慢じゃないが毎日自分で作っている。

 でも昨日のことがショックすぎて今日は行きがけのコンビニでパンを買った。


「お前,今日は早く帰った方がいいんじゃないか?」

 出来ることならそうしたい。これ以上,好奇の目にさらされるのは辛すぎる。けど・・・。

「でも今日は図書室の当番だから・・・」

「ああ,そうか。でも無理するなよ」

「あー,サンキュー・・・」


(巧は優しいな。・・・でも惚れないよっ!)


「それはそうと衛,GWはヒマか?」

「GW?今のところ予定はないけど・・・」

「そうか。それは良かった。じゃ,家に遊びに来いよ。栞も会いたがっているしな!」

「栞ちゃん?」


 栞ちゃんというのは巧の二つ下の妹で,今は黄梅の中等部にいる。前に会ったのは3年前か。まだ小学生だったな。社交的な兄とは違って,少し引っ込み思案な女の子で,いつも巧の後を着いてきていたなあ。


「もう中3だっけ。うちの高等部に入るの?」

「まあ,親父やお袋の考えではそうなるだろうな。それに・・・」

「それに?」

「いや,何でもない」

「何だよ。気になるな」

「何でもない!少なくとも俺の口からは何も言えない」

「まあ,これ以上は聞かないけどさ・・・」

「衛,しばらくあいつに会ってないだろ?」

「そうだね・・・」

 中等部校舎は高等部に隣接しているから,すれ違うことがあっても不思議ではないんだけどな。

 今はどんな感じだろう?


「成長期って凄いよな。この一年でずいぶん女らしくなったんだよ」

「言うことが,おっさんくさいな」

「いやあ,変われば変わるもんだよな。会えばびっくりすること間違いなし!」

「そんなに?」

「ああ,身内の贔屓目を抜きにしても,凄い美少女になったぞ!」

「あんまりそんなこと言ってると,早紀ちゃんに怒られるよ?」

「大丈夫!大丈夫・・・だよな?」

「おいっ!」

 何だか少し気持ちが晴れてくる。


 ありがとう,巧。でも,惚れたりしないよっ!?




 午後の授業が終わり,気付けば放課後。

「じゃあな,衛!」

「あー,また明日な・・・。」

 僕は重い足取りで図書室に向かった。

 そう言えば,今日は司書の先生は出張でいないはず。

 職員室で鍵を借りなきゃ。


 ちょっと遠回りでけど,職員室に方向転換した。




「失礼します・・・」

「濱口君」

「氷上先生・・・」

 先生に呼び止められる。

「君,大丈夫なの?何かいろいろあったようだけど,それにしても元気がなかったし」

 あー,氷上先生にも気付かれていたか・・・。

「寝不足?読書家なのは感心だけど,夜は早く寝たほうがいいわ。」

 厳しい先生で通っている氷上先生だが,何かと僕に目を掛けてくれる。

 僕の家庭の事情もよく理解してくれて,ついこの間も家庭訪問に来てくれた。

 実に生徒想いで熱心な先生だと思う。


「心配掛けて,申し訳ありません」

「お母様は相変わらずお忙しいの?」

「ええ,まあ・・・。でも昨日原稿を書き上げたので,少しゆっくりは出来そうです」

「そう。まあ君が家事をしないといけないのは知っているけど,自分の身体は大事にしなさい?」

「はい,ありがとうございます」

 先生がこんなに優しい人だなんて,みんなあんまり知らないんだろうな。




「失礼します・・・。あれ?」

 図書室の鍵が開いている?。僕はおっかなびっくり扉を開けた。


「やあ,衛少年。」

 図書室に入ると,窓際の席に輝紗良先輩が微笑を浮かべて座っていた。

「輝紗良先輩でしたか。こんにちは」


 うちの図書室は試験前以外はいつも閑散としていて,誰も来ない日もある。

 それでも輝紗良先輩はほぼ毎日来るし,司書の先生と仲がいいので合鍵を預かっていると聞いたことがある。


「・・・さて,今朝の話の続きをしようじゃないか。何か悩みでもあるのかい?」

 先輩は,カウンターに腰掛けた僕の隣の席にどかっと座る。


(いや,ここは図書委員の席なんですけど?)


「いえ,別に・・・。」

 先輩はそう言う僕の様子を見て,今まで見たことのない表情を見せた。

「そうかね?そうは見えないが・・・。」

 黒タイツに包まれた長い脚を組み替えた。ちょっと,いや随分と色っぽい仕草だ。


(と,とりあえず話題を変えなきゃ・・・) 


 先輩の優しい声を聞いていると全部話したくなる。

「・・・そういえば先輩。母さんの新作,完成しましたよ。」

「おお,そうか!それはめでたい。出版は3ヶ月後くらいかな?」

「まあ,これから校正作業とかあるので,それくらいですね。」

「そうかそうか!」

 先輩は母さんの作品の話を振ると,すぐ乗ってくる。熱心なファンだけのことはある。

「・・・なんて,誤魔化せると,思ったかい?」

 耳元で囁かれる。


 ダメだった・・・。


 顔を上げると凄い至近距離に先輩の顔があった。

「さすがに1年以上も顔を合わせていると,君の今の状態がとても不安定なのは分かるよ。それもかつてないくらい」

「せ,先輩・・・」

 先輩の真剣な眼差しに,これ以上は誤魔化せないと観せざるを得ない。

「・・・失恋でもしたのかい?」

「・・・っ!」

 巧といい,先輩といい,なんでみんな分かるんだろう?僕はそんなに分かりやすい人間なんだろうか?

「・・・君は,普段はちゃんと自分を律することができる人間だ。辛い時も悲しい時もね。」

 先輩の僕に対する評価はいつも高い。

「でも今日の君は,表情すら繕えていない。まあ,考えられるのは身内の不幸か失恋かと思ってね」

 先輩は作家志望で主に軍記物を書いているらしいが,ミステリの方が合ってるんじゃないか?

「相手は・・・。ああ,あの童顔巨乳の編集さんだね?」


 ズバリ過ぎるっ!?


「先輩,推理小説書けますよ・・・」

 そう言えば去年の夏,先輩がどうしても母さんに会いたいと言うので,一度だけ家に招待したことがあった。

 その時たまたま真緒さんが打ち合わせに来ていて,母さんの小説の話で二人で盛り上がっていたっけ。見る人が見れば僕の想いはバレバレだったのかもしれない。


「・・・初恋だったんだね」

「・・・はい」

「そうか。それは辛かったね」

「は・・・,わぷっ!?」

 頭を柔らかいものが包む。先輩の胸?


「せ,先輩・・・?」

 いい香りがするなあ・・・。


 じゃないっ!

 そんなことを考えている場合ではない。


「こんな時ぐらいは泣いておくれよ。私の胸の中では不服かもしれないが」

「せ,先輩・・・」

 自分の瞼が熱くなる。

「うっ,うう・・・」

 先輩は僕の頭を抱く力を強める。

「うん,うん」

 先輩の手の平が頭を撫でる。

「私は君をずっと見てきたからね。彼女に告白して振られたのかい?」

「・・・いいえ。告白すらさえてもらえませんでした」

「そうか・・・」

 それだけで,全てを分かってくれたみたいだった。

「ところで今朝,君のクラスで騒ぎがあったそうじゃないか?」

「ふぇ?」

「何でも山吹君?お嬢様なのに気さくで人気者らしいね。あとテニス部の,は・・・羽原君だったか?凄い可愛いって有名だけど。その子らが君を巡って修羅場になったと聞いたが?」

「な,なんで知ってるんですか?」

 僕はとっさに先輩から離れた。


「あっ・・・」

 少し残念そうな顔をする先輩。

「もう,学校中の噂だよ・・・」

「そ,そうなんですか?」

「しかも竜崎君?君の親友の。彼まで名乗りをあげたそうじゃないか」

「た,巧は違いますっ!何か,他に僕のことを好きな子がいるって言ってて・・・」

「・・・ほうほう?」

「それを聞いた山吹さんが,それって輝紗良先輩のことじゃないかとか言い出して・・・」

「・・・ほう?」




 先輩の,眼鏡の奥で瞳がキラッと光ったような気がした。

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