真壁嵐

 都内某所の雑居ビル。

 何でも屋の看板がかかった部屋の、アナログなテレビで、真壁は棚森重雄のコーチ引退報道を見るともなしに眺めながら、実は書類に集中していた。

 几帳面でも大雑把でもない彼は、三ヶ月前、ちょうど棚森重雄が北海道から依頼の電話をかけてきた数日後、訪ねてきた依頼人の書類をようやく探し当てたのだ。

「……偶然っておもしろいなぁ」

 まさか依頼人の運転手が日を待たずに来るなんて、縁とは不思議なものだ。

 ファイルを開くと、浅野清の名の下に、依頼内容が打たれている。

『棚森重雄のアレルギー症状とは』

 そんなことはネットを調べたら一発でわかる。ましてや運転手という近い存在が知らないはずがない。だのにわざわざ高い金を払って何でも屋に調べてほしいと願う。

 何かあるな、と勘づいたけれど、詮索はしない。それが真壁だ。

 浅野清の態度から、棚森重雄に主従を超えた愛情を注いでいることがわかった。というのも彼らは中学からの同級生の関係。妻を早くに亡くし、フラフラしていた浅野清を拾ったのは棚森だった。

 しかし棚森が運転手を、いい小間使い以上に思っていないことは明白だった。浅野は痩せぎすの、シワだらけの額に青筋を立ててこう言った。

「あの御仁は私に一度も、アレルギーを打ち明けたことはなかった。昔からの友人である私に、一度もです。おまわりさんにはお話していたのに――」

 調べたらわかることだが、二人は車内でしか顔を合わせず、口もきかない関係だった。浅野はネットに疎く、メディアに触れなかったのでアレルギーなど、想像だにしなかったそうだ。彼が現役時代、北海道遠征中にカニを食べてアレルギーを発症したことなど、知る由もなかったのだ。

 そうして何でも屋の《尽力》で彼の病を知った運転手は、ある日隣の少年に吹き込んだ。

 自分に大事なことを隠す人間への復讐――ではない。

 どういうわけがあるのかはともかく、棚森の悪口を言いまくるおばさんの息子に一泡吹かせてやりたかったのだ。

 しかし偶然というのは常々恐ろしい。彼の食事にカニエキスがねじ込まれたその日、彼は直後、乗り込んだ車でカニエキスを頬張った。二時間後にアップが始まるのを想定した時間帯だった。運転席の彼は、後部座席の主人が、何か漢方を飲んでいると思った。

 正体がカニエキスであるのを知ったのは、警察が駆けつけてからだった。

 動転したが、これはある意味都合がいい。警察が来るということは、警察沙汰にできるということ。息子が警察沙汰になるなど、あのおばさんにはいい薬だ。そのためには、この件をただの不幸な事故で終わらせてはならない。

 浅野清が自害を選んだ理由は、誰も知らない。自身のことを運転手に語らない主人の、高校生との秘密の交流を何かの拍子に知り、悔やんだのかもしれない。そんな殊勝なタマかはともかくとして。

 ところで、浅野清が鳥羽家の奥さんに復讐を企む理由はわかる。でも、彼を明確に裏切った不貞の奥様は、復讐対象にならないのか。

「……あ」

 そういえば。

 真壁は立ち上がり、雑多な棚へ歩み寄った。三ヶ月前の書類さえどこかへ行ってしまう。半年も前なら――あった。

 引っこ抜いたファイルを開けると、依頼人の名前と内容がはっきり記してあった。

『桑山皐月』

『一九七X年六月X日当時の、棚森敦子の行動調査』

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