8.夢の終わり、夢のはじまり

8−1

―――――

 本日、本官が憲兵総監の役職を拝命したのは、かつての父祖の名を復興するためではなく、国民の安寧と治安を維持する責務を負うためである。

 未だ本国の情勢は穏やかならず、他国からの干渉、内部諸勢力の不穏な動向、そして何よりも民衆を脅かす脅威そのものの盾となり、またそれらに立ち向かうための剣となることこそ、国家憲兵隊の担うべき職責である。

 父と定めた恩師の背中を追い、死線を越えて、守るべきものを得て、男となったからこそ、本官は諸君らの範となり、それを示す責任がある。

 今ここに、本官はそれを誓う。諸君らの先頭に立ち、恐るべきものに立ち向かうことを。弱きものたちの前に立ち、卑劣なるものの魔の手からそれらを守り抜くことを。常に諸君らの傍らにあり、行くべき道に導き、目指すべき道標となることを。


 諸君、男たれ。人として、確固たるものであれ。

 守るべきは名ではなく、信念であれ。


ジャン=ジャック・ルイソン・ペルグラン大将

国家憲兵総監就任挨拶より

―――――


 鹿。距離は、遠眼鏡を使ってようやく、という程度。それでもマレンツィオは、構えはじめていた。


 はじめて見るかもしれない構えである。

 あぐらをかくように座り込んでから、前足の膝を立て、その膝を抱きかかえるようにして銃を保持している。

 使うのは旧式の、前装式の施条ライフル銃だった。


 構えてから撃つまで、そう時間を要さなかった。


「お見事」

 ペルグランは、思わず声を漏らしていた。


 ほぼ、眉間である。施条ライフル銃とはいえ、旧式の前装式。しかも遠眼鏡の搭載なし。

 話には聞いていたが、ここまでの腕前とは、思いもしていなかった。


 マレンツィオは、いつもの豪放磊落な様子は一切なく、獲物を仕留めた後も真剣そのもの。打ち終わった銃を従者に渡し、装填済みのものと交換していた。


「あれかな」

 ぼそりと。

 何を見つけたのかは、わからなかった。


 数歩動いてから、またどっかりと腰を据え、先ほどと同じ構え。

 その先を遠眼鏡で見やる。

 兎。それもちょうど、動くところだった。


 銃声。

 標的より、マレンツィオを見てしまっていた。


 使い込まれた、頭巾フード付きの油合羽あぶらがっぱ。小雨の中、あぐらをかいて旧式銃を構える、初老の太った男。


 野生動物に対する、偏差射撃。


「閣下、お見事」

「うむ」

 モルコの声に、やはり真剣な面持ちのまま、返答だけが返ってきた。


 ガブリエリとマレンツィオに誘われ、狩猟に来ていた。


 第三監獄襲撃事件について、親族が関与していたことが明らかになった。

 先遣隊として突入し、そこで出会った信頼できる人をうしなったペルグランとしては、許せないことだった。


 だから実家に対し、抗議声明と絶縁を叩きつけた。


 世論はペルグランに味方してくれた。あるいは他家や宮廷すらも。各方面から追求が行われ、ニコラ・ペルグランの名は今まさに、崖っぷちに立たされていた。


 狩猟の誘いが来たのは、ペルグランとしてのやることが、ひとしきり片付いたころだった。気晴らしにどうかね、ということである。

 折角だしと、射撃に自信があるというモルコも誘ってもらった。


 マレンツィオの射撃の腕前については、ダンクルベールからは、たまに話に聞いていた。一度は見ておくべきだ、ということも。

 精密射撃手マークスマンは数多かれど、ここまでのものは、そうお目にかかれないだろう。それほどの腕前である。

 特に、その構え。手解きを受けたところ、確かに安定性が桁違いであった。これなら伏射よりも早く、行動に移れる。


「いつぞやに人狩りマンハンターを相手取ったときに、向こうがやっていた構えだな。撃ったらすぐ動けるし、なにより俺はこの通りの体だから、伏射よりはこっちの方が安定するのだよ」

「前装式の施条ライフル銃というのは、慣れの都合でしょうか?」

「そうとも。それと後装式の施条ライフル銃というよりは、つまりは金属式薬莢の問題だがな。薬莢を回収しないと撃った場所がばれちまう。場所選びのがわかれば、次に移動する場所が予測される。あとは、他のやつの弾を借りれるのも大きい。まだまだ配備数は少ないだろうしな」

 そこまで言って、ようやく、いつもどおりの豪快な笑いを見せてくれた。


「ご実家と、戦っているようだね」

 別邸に招き入れられた後、ちょっとしたもてなしの中で、マレンツィオはペルグランに、そう問いかけてきた。

「あえてお尋ねいたす。父祖の築いた名と血を閉ざす覚悟や、いかに」


 まっすぐと、見据えられた。だから、見据え返した。

 男の問答。礼を逸してはならない。


「母は、俺を男として産んで下さり、男として育てて下さいました。名乗るべき名は男の名です。嫁いできてくれた女から家名を奪い、陰謀に加担するような家の名なぞ、男が戴く名ではありません」

「ならば不肖、フェデリーゴ・ジャンフランコ・デ・マレンツィオ・ブロスキより、ルイソン・ペルグラン殿に、注文がひとつ」

 咥えていた葉巻を、灰皿に押し付けつつ。


「徹底的に頼む。塵ひとつ、残すでないぞ」

 その目には、強い光があった。圧されるほどに、気高いものが。


「天下御免、ありがたく頂戴します」

 その光を、受け取った。


 国民議会議長、ブロスキ男爵マレンツィオ。

 ヴィジューションでの街道沿い連続殺人を捜査する中で、偶然出会った。その頃は、名の知れた貴族院議員であり、またダンクルベールのもと上司であるという認識ぐらいだった。

 前評判では、嫌味で偏屈な癇癪持ちとだけ、聞いていた。


 顔を合わせるうち、それは改められていった。


 ひとりの、男だった。

 男たることを目指し、愛しき人を守り、共に歩む事ができる男。捜査官としての才覚はなかっただろうが、褐色の巨才たるダンクルベールの公私を支え、その活躍を促した。高貴な生まれながら民衆と接することを好み、国民の顔として選ばれた。幼き親友が憧れた油合羽あぶらがっぱへの道に理解を示し、その道のりを案内した。

 天下御免。世を憚ることなく、己の信念を貫き、己の信ずるものたちが堂々と振る舞えるように差配する、巨大な舞台そのもの。

 男の頼み。そしてこれまでの恩に、報いたい。


「レオナルドが色々と動いている。使ってやってくれ」

 頷いた。それをみとめてか、マレンツィオの隣に座っていたガブリエリが、資料の束を差し出してきた。


いもうとを作って正解だった。貴様の実家を含む、ニコラ・ペルグラン一族の後ろ暗いものが山盛り出てきた。これをマスメディアなり悪党なりに流しつつ、貴様が行動を起こしていけばいい」


 レオナルド・ガブリエリ。いつだって隣りにいてくれた。支えてくれた。ひとりの親友であり、これもまた、男。

 これだけの男が、支えてくれる。これほど心強いことはない。


「まずは女性問題だ。認知していない婚外子を持つ男どもを挙げている。これをそれぞれの配偶者に流し、正規の手順で離婚手続きを行わせるといい。他家から嫁いできてくれた女たちを逃がせるのもそうだし、女性を味方に付けれるのが大きい。貴族豪族となれば数は少ないが、女性となれば人口の約半分だ。これを味方に付けない手はない」

 認知していない婚外子、つまりは隠し子である。そして名前を見ていけば、ほぼすべての家の男が、それを持っていた。


 眉間が痛くなったのは、父、フェルディナンの名が含まれているのを見つけたときだった。

「俺にも、きょうだいがいたとはなぁ」

 思わずで言ってしまった言葉に、周りが苦笑していた。


 ともあれ、これで母にも法的な自由を与えることができる。いいものを貰ったと解釈しておくべきだろう。


「それぞれの配偶者や、これら婚外子と家族たちに危害が及ばないようにすることも考えなければならないだろうが、もはや向こうもそんな暇はなかろう。心配ならば、ヴァーヌ聖教会あたりを巻き込めばいい。ご母堂らの家名を奪われた話などは、配偶者からの暴力防止保護法に抵触する、精神的苦痛を伴う家庭内暴力と見做せるだろうから、裁判所から接近禁止命令も出せるはずだ」

 くわえて、つきまとい行為規制法なども適用できるだろう。これで母やインパチエンスたちの身の安全を、法的視点から守ることも可能だ。


「次に、金銭関係。脱税、収支報告の虚偽申告、資金洗浄など、さまざまな疑いが見つかっている。これはすぐにでも動かしたほうがいいな。財務省国税局なら、うちに伝手がある。同じ傷を持っているやつは多いだろうから、余所からの介入を防ぐ盾にもなるだろう。あくまでニコラ・ペルグランとルイソン・ペルグランの戦いに終始することができるぞ」

「ならば、すぐにでも頼む」

 言う通り、他家が絡むと面倒である。

 一対一、正面切っての大勝負だ。ニコラ・ペルグランの大将首、介錯するのを、余所に任せるなどはしたくない。


「あとは各種汚職と癒着。これは内部告発やマスメディアよりも、悪党を使うほうがいいだろう。ジスカールの親分を通じて、出しゃばってる連中に流して、強請ゆすってもらえばいい。表面に滲み出た分を警察隊でしょっ引けば、表と裏、両方の掃除ができる」

 頷いて、ひとつ合図をした。下女ひとり寄ってきた。貰っていたいもうとのひとりである。

 あしからいもうとへの移行も、着実に進んでいる。いもうとからジスカールたちへ接触することも容易になっていた。


「俺は、ニコラ・ペルグランに憧れて軍人になった」

 ひとしきりの作戦会議を終え、マレンツィオが暗い顔で、言いはじめた。


「海には向かなかったし、捜査官としても大成せず、最後は消防隊の親玉と、結果はいまいちだったが、楽しかった。だが、かの血族がどんな人間かを知っていくうち、迷いばかりが産まれちまった。なんでこんなやつらがニコラ・ペルグランの名を名乗ってるのか。そればっかり、恨むようなものを持ってしまった」

 言われて、こちらも瞼が重くなった。


 ニコラ・ペルグラン。巨大な名。それを維持することしかできなかった、子孫の不明。

 いまやルイソン・ペルグランではあるが、かつてはニコラ・ペルグランでもあった。この老人を苛んでいたもののひとつであった。

 それが悔しく、情けなかった。


「それも、これで終わり。俺の夢ひとつ、これで終わりだ」


 それでもマレンツィオは、そう言って、晴れやかな笑みを浮かべてくれた。


「そして、代わりの夢もできた。ルイソン・ペルグラン。ジャン=ジャック・ルイソン・ペルグランだ。お前がどこまで昇れるか。お前とその周りが、どれだけ豊かになるんだか。それが楽しみで仕方ない」

「夢を、叶えてみせます。俺の夢と、閣下の夢と」

「でっかくなってくれよ。俺の息子、レオナルドと一緒に」


 差し出された手。大きく、がっちりとしたもの。

 それを、握り返した。

 銃手ガンナーの手だった。指の付け根に、硬いのある手。親父の手とは、また異なる男の手。


「俺はなんにも手伝えないけれど、そばにいるよ」

 隣で、モルコが微笑んでいた。

「泣きたい時は、俺とヴィルピン次長に任せてくれ」

「それは何より、安心できるな」

「はは。孫弟子殿は、しっかりしておるなあ。これならヴィルピンめも、泣き甲斐、転び甲斐があろうものよ」

 孫と言われたモルコは、いくらか恥ずかしそうだったが、それでも晴れやかな顔だった。

 天下御免の好漢を祖父に持ち、泣き虫勇者の父を持つ、しっかりものの参謀役。モルコもまた、羨ましいぐらいに男に恵まれていた。


「いよいよ、決戦ですね」

 日を改めて、ラングレーとともに実家に向かっていた。

 ポワソンの件で、法務部のオダン部長から紹介してもらっていた弁護士である。今回は実家を相手取っての戦いということで、いくらか気後れしていたが、なんとか説得できた。

「先生には、ご面倒をお掛けします」

「決心が着いてしまえば楽なもんですな。なんだか、いつも通りです。きっと、ルイソン・ペルグランさんの熱に浮かされただけかもしれませんがね」

「はは。お互い、熱中症にだけは気をつけましょうか」

「それと、風邪ですかな。気温差でやられることでしょうから」

 紹介元と同じように、どこか堅苦しい見た目であるが、話してみれば案外に砕ける人であった。


 久しぶりの実家。執事のギユメットに、父を出すようにだけ、伝えた。


「若さま、ご健闘をお祈りしています」

「ありがとう、爺や。お前も、早く逃げるんだよ」

「そのうちに、こっそりと」

 そういって、昔から変わらない微笑みをくれた。


 応接間で、資料を広げていた。合戦の準備は整った。あとは、ラングレーが進めてくれる。


「ジャン=ジャック。お前、どのつらを下げて」

 血相を変えて出てきた、痩躯の男。しかし、こちらの表情と、既に卓に並べてあるそれらを見て、その顔はすぐに青くなった。

「本日は、事実の確認をしに参りました」

 ラングレーが切り出した。決戦、開始である。


「フェルディナン・ニコラさまが認知されていないお子さまが、少なくとも五人いらっしゃることが、こちらの調べで明らかになっています。またそれぞれに、養育費の支払いもしていないことも調査済みです」

 ざっと、資料を押し出す。それで、フェルディナンの震えは大きくなった。

「それぞれのご家族にもお会いし、フェルディナン・ニコラさまとの交流があったことも確認が取れています。また本件について、ヴァーヌ聖教会ともご相談させていただきましたが、甚だ許しがたいと憤慨のご様子であります」

「要求は、何だ?」

「まずは、配偶者であるジョゼフィーヌさまとの法的離婚。次に、それぞれのご家族さまとの関係を明確にしていただき、これを公表することです。愛妾を持つことが許されている立場でありながら、何故それをせず、ご落胤を成されたのか。公の場でご説明をお願いいたします」


 フェルディナンの唇が、わなわなと震えはじめた。

「お前。ニコラ・ペルグランの顔に、泥を塗るような行いを」

「したのは、あんただよ」

 思わずで、口を挟んでいた。


 見やる。怯えた目。それしか、映らなかった。ニコラ・ペルグランの血であることしか価値のない男ども。

 なら、その名を錨に、海底に沈めてやる。


「お答えいただけないのならば、それで結構。事実を公表するまでです」

「待て。それだけは」

「おさらばです、父上。いや」

 立ち上がりながら。ずっと、目を見据えながら。


「フェルディナン・ニコラ」

 あえて、そう言った。


 育ててもらった。だが、それだけだった。ここはそれだけの場所であり、この男はそれだけの存在だった。

 もはや、この男どもに用はない。


「国家と信義に背き、女を泣かせた家だ。更地にしてやる」


 決別のために、それだけを言い残した。


 館の前には、大勢のマスメディアが居並んでいた。領民たちも、憤慨した様子で集まっている。

「それでは、どうぞ」

 ラングレーが告げると、それは館の中に雪崩込んでいった。少しの間もなく、耳を塞ぎたくなるほどに騒がしくなった。


 事実は既に、公表していた。幼き日より母子おやこに理解をくれたギユメットと結託し、父の行動を監視、制御していた。


 血を分けた息子と戦えないというならば、衆目と戦えばいい。あるいはニコラ・ペルグランの血、そのものと。


 振り返る。生まれ育った故郷。しかし今は、ただそれだけになってしまった場所。

 向き直った。寂しさや悲しさは、特別、感じなかった。


 記入済みの離婚届が届いたのは、三日もしないうちだった。


(つづく)

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