1−5

 ダンクルベールが帰ってきたのは、夜遅くだった。それも、あちこち傷だらけの痣だらけ。加えて、ベーゼの跡までくっつけていた。

「何やってるんですか、あんた」

「あはは。ちょっとやりすぎちゃいました」

 しこたま飲んだのであろう。頬が赤くなっていた。


 ひとまず、何かしらの温かい飲み物を用意して、話を聞くことにした。


 “明けの明星”亭にたむろしている連中と、一番、仲の悪い悪党たちを、味方につけたようだった。

 細腕ほそうでのアキャールという、喧嘩賭博をやるような酒場の親分だという。喧嘩賭博で稼いでるなら、喧嘩で勝てば仲よくなれるだろう。そう考えたそうだ。


「で、勝ったってわけですか」

「何とかですねえ。いやあ、すごいやつもいたもんです。背格好なんか大したもんじゃないけど、とびっきり強い。それに気っ風もよくてね。気持ちのいいやつです」

「そうですか。あんたもまあ、無茶をしますよね」

 ビゴーは、頭を掻くことしかできなかった。


 才覚は走る。腕っぷしもある。他者への理解も示せる。それでもときたま、こういった無茶をする。特に悪党相手だとその傾向が強い。他の悪党を味方に付けたり、情報をもらうため、相手の流儀で信頼をもぎとってくる。

 律儀、といえば、それまでなのかもしれない。

 自分もそうだが、貧しい産まれである。だからこそ、悪党や裏社会に理解が強かった。もしくは憧れとか、自分もそうなっていたかもしれないという、ある種の同情や共感を持っているのだろう。

 体丸ごと相手の懐に飛び込んで、心を通わせる。ビゴーからすれば、ダンクルベールのそれは、やはり危なっかしく思えていた。


「こちらも、収穫ありでしたよ」

 ビゴーの方は、貧民窟の調査である。それは、すぐに見つかった。


 劉均りゅうきんという、ずいから流れてきたという男。

 もともと、交易で財を成した富豪だという。その財を元手に、法の加護を受けられない貧しいものたちのため、救貧院や孤児院を建てたり、仕事を作るなどいうことをやっていた。

 悪党との交流も盛んに行っており、立ち上げた事業が安定次第、それらへ移譲するということもしている。仕事がなく、食い詰めていた悪党たちからしても、非常にありがたい存在だそうだ。


 そして、その劉均りゅうきんの出現した時期が、メタモーフがこちらに流れてきた時期と、ほぼ同じだった。ふた月ほど早いぐらいである。


 劉均りゅうきんがメタモーフだとすると、各地の裏社会を安定させることも目的のひとつと考えることができた。義賊というよりは、任侠のそれである。


 悪党とはもともと、貧しいものたちの互助会のようなものである。出自や環境に恵まれず、食うに困ったものたちが、いかに生活していくべきかを見出すため、手を取り合って形成される。

 社会に適合することを望まないものは、賊となる。社会に適合したいがその手段が見つからないものは、身を売るなり、非合法なものを売るなりする。そうやってある程度、稼ぎの目処が立てば、今度は人を使った仕事ができる。出稼ぎの斡旋、賭博場、娼館、あるいは大衆興行の元締めなりで、金と人を回すことができる。中には、その中で培った情報網や人脈を使い、強請ゆすりや恐喝など、酷薄な手段を取るものも出てくるだろう。


 そして、そういった貧しい人々の生活を保証し、治安を維持しようとするものもまた、現れる。それこそがおとこを任されたものたち、任侠である。

 法の庇護を受けられないものを守り、法を振りかざすものたちの前に立ちはだかり、そして、法で裁けないものたちをぶちのめす。裏社会における、ある種の警察機構である。


「このガンズビュールには、任侠者が少ないですね。中尉殿の見つけた細腕ほそうでさんが近いのかもしれませんが、話を聞いている限り、そういうことはあまりやっていないようですし」

「そうですね。だからこそ、“明けの明星”亭のような連中がのさばっている。それを叩きのめすというのは、目的として考えられるかもしれません」

「となれば、劉均りゅうきんさんは後継ぎを用意するはずですな。裏の治安を安定させたあと、それを維持するための人間です」

 近々、劉均りゅうきんは、誰かと接触するだろう。裏の人間に信用があり、理解のある人間。そして、治安を維持する力量を備えている人間である。


「アキャールかな」

 ダンクルベールが、ぽつりと漏らした。


「あいつは、喧嘩賭博を中心とした、法に引っかからない程度のことしかやりません。警察隊との関係もいい。積極的に任侠のようなことはやらないとはいえ、神輿みこしにするには、十分以上でしょう」

「余所に任侠の機能を任せて、自分はそのまま。腕一本で、名前だけを稼いでいく。確かにまあ、神輿みこしですな」

「明日もう一度、行ってみましょう。その劉均りゅうきんという男と会ったことはないか、そういうことを、触りだけでも聞いておく。いっそこちらから、神輿みこしになるよう、提案するのもひとつでしょうし」

「やってみましょうか。私は引き続き、貧困層を見ていきます。それと」

 あえて一息、作った。

「明日は、喧嘩しないでくださいね?」

 言われて、ダンクルベールは照れくさそうに笑った。


 翌日も、歩いた。今度は貧困層の中でも、悪党を中心に回ってみた。


劉均りゅうきんさんのおかげで、うちもようやく汚いことから離れる目処が立ちましたよ」

 任侠者のひとり。もともと密造酒や薬物を取り扱っていたというが、劉均りゅうきんからいくつか仕事を引き継いだという。おかげで、だいぶ余裕ができているようだった。

「すごいもんですねえ。たった数ヶ月で、色んな仕事、色んなしくみを整えている。相当に才覚と資金がある方なんですね」

「特に、しくみですな。人を育てるしくみ。それをまず、整えていく。その上で、仕事を見つけていく。そうそう。あのお方、貴族とも繋がっているみたいですぜ。マクロン男爵さまだったかな?このあたりの別荘持ちどもと顔が広いご隠居さんでねえ。その人を軸に、庭師とかの使用人を紹介していくってさ。ご隠居さんが、そのための教育もして下さるみたいでね。いやあ、仰天しましたよ」

 困ったように笑う親分に、こちらも笑うしかなかった。


「時に、親分さん。劉均りゅうきんさんを、ここの玉座に付かせるつもりはありますかね?」

 腹を割れるところまで歩み寄ったので、ビゴーは大きく、踏み込んでみた。

 親分はいくらか、困惑を見せた。

「ないですな」

「でしょうね。どうなさいます?」

「それこそ今、任侠連中で、劉均りゅうきんさんと話してるんですよ。あのひと、来月あたりで別のところに行くっていうから、後継ぎが欲しいってねえ。引き留めようかとも思いましたが、もとより人に頼らず、自分たちでやっていかなきゃあいけないことですもの」

 親分の言葉は、読み通りだった。来月あたりとなれば、ガンズビュールの裏の基礎は、ほとんど組み上がったのだろう。

 不思議なことをする男、劉均りゅうきん。そしてあるいは、メタモーフ。


「候補としては、細腕ほそうでですかね。ご存知かしらい?」

 思わず、という顔をしてしまった。ダンクルベールの読みである。


「名前だけ。喧嘩屋さんでしょう?任侠さんじゃあない」

「そう。だから、神輿みこしですよ。あいつは名前がでかいから、それ使って緩やかな繋がりを作るっていう。仕事としくみの維持は俺たち任侠がやって、あいつがその顔をやる。出しゃばるやつをぶちのめすぐらいは、頼むかね」

 緩やかな裏社会。ある意味、理想的なもの。貧しいもの、食いっぱぐれたものたちが手を取り合い、助け合いながら生きていく。

 その象徴しての、任侠ではなく、喧嘩師。細腕ほそうでのアキャール。


「“明けの明星”さんは、やはりよくないですか」

 とりあえずのことを、言ってみた。


「よくないねえ。あれが一番、悪いからね。どうにかしたいと思っちゃあいるんだが、自分の身を守るので手一杯ですわ。情けない話ですが」

「いやいや。皆、まずはそこからですから。自分が食えなきゃあ何にもはじまりません」

 その言葉に、親分は顔を綻ばせた。色々、話を聞く中で、この親分も、ほんとうは汚いことなんてやりたくないのだろう。そういうところは、ちゃんと見えてきた。


 誰だって、普通に生きたい。普通の暮らしをしていきたい。それができない人がいる。それができない人が産まれるしくみが、この国に存在する。

 国のしくみに属するものとしては、歯がゆいことだった。それでもそういう部分を、こういった、ちゃんとした悪党たちが補おうとしてくれる。それが何より、ありがたいことだった。

 表と裏。ふたつの社会によって、この国は成り立っていた。


「ビゴーさんは、話していて気が楽になりますわ。俺たち悪党のことまで、ちゃんとわかって下さるんですもの」

「あたしも、貧しい産まれですからね。たまたまこっち側にいるだけですよ」

 笑ってみせたつもりだった。それで、向こうも笑ってくれた。


 一度、ダンクルベールと合流することにした。おそらくまだ、アキャールのところにいるだろう。


「喧嘩はやるなって、言ったでしょうに」

 アキャールの酒場にいたダンクルベールを見て、思わずため息が出た。顎に手当の跡が残っている。


「すみません、先輩。ついつい楽しくなっちゃいまして」

「で、今回は負けたんですね?」

「いやあ、何とか勝たせていただきました。手前てまえ細腕ほそうでのアキャールとはっします。先輩さん、よろしくお頼申たのもうしますわ」

 ダンクルベールと同じ卓にいた、細面ほそおもての男。にこにこと挨拶してくれた。確かに、からっとした、気持ちのよい男である。

 ふたりを含め、周りはどんちゃん騒ぎだった。きっととびきりの大喧嘩だったのだろう。

 確かにこれなら、神輿みこしには適任かもしれない。


 劉均りゅうきんは、アキャールとも接触していたようだった。アキャール自身、金回りは安定しているので、仕事を貰ったりはしていないようだが、他の悪党との交流を頼まれているそうだ。もとより、このあたりの悪党界隈では名が知れているので、積極的な介入はせず、挨拶をする程度で済ませているらしい。


 ガンズビュールの裏は、アキャールを顔として、緩やかに繋がっていく。ゆっくり時間を掛けて、貧民層の暮らしをよくしていく。そのためのしくみと仕事を、劉均りゅうきんは整えていた。

 こういうことを、メタモーフは各地でやっていくのだろう。単純に金をばらまくということはせず、しくみを整え、貧しいものたちの自立を促していく。そのための資金調達、あるいは治安維持として、悪人を狙った攻撃的な行為と、それの目を逸らすための悪戯をやる。


「任侠さん含め、悪党の状況も、劉均りゅうきんのおかげでよくなっている。貧しい人々も、仕事が貰えるしくみができあがってきた。あとは、悪いやつらをどうにかするぐらいでしょうかね」

 化粧の濃い年増さんから酌を貰いつつ、状況を整理していく。アキャールも、劉均りゅうきんについては信用をしつつも、その出現と、手並みの鮮やかさから、いくらか不気味なものを感じていたそうだ。

「となりゃあ、あとはそこの“明けの明星”ですか。あいつら、ただの賊ですからね。とはいえ、下手には手を出せませんぜ?どこそかの隠し子を吹聴してやがる。嘘か真かを調べるにゃあ、時間もかかりましょうし」

「今のところ、余所から強請ゆすりをかけられている様子もないようです。動くのはこれから、といったところでしょうか。それと今回、遊びのほうがほとんどない。それだけ、このガンズビュールの裏の状況が大変だったというのもあるでしょうが」


 そのあたりだった。

 にわかに、外が騒がしくなった。アキャールが手下を出して、様子を確認してくるようだった。


「“明けの明星”で、何かが起きてる」

 アキャール。真剣な面持ち。


「アキャール。すまんが警察隊支部所にひとり、走らせてくれないか?俺とビゴー先輩の名前を出してくれ。それと、この周辺の安全の確保。できる限りでいい」

「任せとけ。お前たちは?」

「乗り込みましょう。中尉殿、行きますよ」

 それだけ伝えた。もう足は、動いている。


 斜向かい。怒鳴り声と、喧騒の音。入口には、誰も立っていない。そのまま乗り込む。

 酒場の中は、ぽつぽつと人がいた。こちらを見るなり、竦み上がっていた。

 音はもっと、奥から聞こえる。

「失礼しますよ」

 一言だけ。そして、奥へ。


 蔵のようになっていた。随分、荒らされている。割れた陶磁器。破れた絵画。その他、美術品や、開けられた金庫などが散乱していた。

 おそらくすべて、盗品だろう。


「何だあ、てめえら」

 巨躯の、醜い顔の男。これが首魁だろう。その周りに、へたり込んだのが何人か。

「まあ、落ち着いて下さい。そんなぁ騒いでちゃあ近所迷惑ですよ」

「てめえらには関係ねえだろうがよ。こっちは空き巣に入られたんだぞ」

「そうですか。じゃあ、ちょうどよかったです。被害届は後でいいので、現場の検証だけさせていただけますかね?」

 見据えた。首魁が、怯む。


「神妙にしてくれりゃあ、それでいいんです」

 そうして、一歩ずつ、一歩ずつ。懐に、手を忍ばせながら。


「じゃないとあんた、戻れなくなっちまいますよ?」

 見上げながら、目を見る。

 懐に忍ばせていたものを、突きつけた。


「あたしら、こういうもんですから」


 国家憲兵警察隊手帳。

 巨躯が、戦慄わなないた。


 拳。飛んできた。頬にぶつかるが、さほどの痛みはない。

 体から先に出ている拳は、そういうものだ。つまりこいつは、喧嘩に慣れていない。口先だけで成り上がってきたような、小狡いやつだということだ。

 床に、唾を吐き捨てた。口の中が切れていると思ったが、そうでもなかった。もう一度、見据える。それだけで、相手は動けなくなった。

 この程度の連中が、のさばっていたのか。侮蔑が強く出ていた。それだけ、貧しいものたちへのしくみが機能していなかったということになる。


 横から、大きなものが飛んできた。ダンクルベール。一気に押さえつけた。

「公務執行妨害の現行犯、確保」

 吠え声。


 そのうち、何人かが、どかどかと入り込んできた。ガンズビュールの支部隊、その先遣隊であろう。かなり早い。アキャールの手下も、馬とかを使ってくれたのかもしれない。

 状況を伝えて、後は任せることにした。


「俺たちがアキャールと接触するのを、見計らってましたね」

 外に出たあたりで、ダンクルベールが小声で言ってきた。

「でしょうなあ。まだ見られているか、あるいは別のところに行ったか」


 何かが、引っかかっていた。

 三つの顔。怪盗、悪人、義賊。義賊と悪人の仕事は、これで終わりだろう。ただ、悪人としての顔が、あまりに淡白すぎる。賊ひとつ炙り出して、警察隊に付き渡しただけ。

 現場は荒らされているだけだった。無論、盗品だらけだろうから、金に替えづらいというのもあるだろう。


 利益にならないことを、ふたつもしている。

 となれば本命は、怪盗の顔。


「ボドリエール夫人」

 ダンクルベールだった。

「夫人が、本命です」

 声に、圧が乗っている。


「今ですかね?」

「おそらくは、もう向かっている」

「なら、行きましょう」


 先遣隊の馬。近くにいたものに声を掛け、二頭、貸してもらった。手早く跨る。踵をくれると、それで走り出した。


 メタモーフ。ボドリエール夫人の、何を盗む。何をはずかしめる。高名な女流作家。翻訳家、文化人としても名高い。その何を、傷つける。

 よもや。夫人という女、そのもの。


 陽が陰りつつあった。邸宅が、見える。


 悲鳴。それも、女の。


「夫人っ」

 ダンクルベールが、飛び降りた。続く。


 邸宅は、暗かった。馬に備え付けられていたランタンに火を灯し、中へ入っていく。

 人の気配は、ない。

「夫人。ボドリエール夫人」

 ダンクルベールが声を上げながら、進んでいく。居間にはいない。食卓、台所も。

「夫人。いらっしゃいますか?ダンクルベールです」

 寝室の前。扉は、閉まっていた。鍵も閉まっている。

 ダンクルベールが、扉を蹴りはじめた。三回。それで、開いた。

「夫人」

 薄暗がりの中。誰かが、へたり込んでいる。

「いかがなされた」

 ダンクルベールが駆け寄る。ビゴーは、あたりを明るくすることにした。オイル灯がいくつか。それで、部屋が光を取り戻した。


 荒らされた部屋。割られた窓。そして、中央でへたり込んでいたのは、ボドリエール夫人だった。

 怯えた目。髪は解け、服は破かれている。ちらと見える肢体には、下着が着いていた。

 間に合った。


「ああ。ダンクルベールさま、ダンクルベールさま」

「夫人、もう大丈夫です。どうか、お気を確かに」

「ダンクルベールさま。わたくしは、わたくしは」

 屈み込んだダンクルベールに、夫人が震える身体で抱きついていた。落ち着くまで、暫く掛かるだろう。


 その場はダンクルベールに任せ、外に出た。


「先輩さん。大丈夫ですかい?」

 アキャールたちだった。

「まず、何とか。ご面倒をお掛けして申し訳ありませんね。あたしが応援を呼んできますので、見張りだけ、お願いしてもよろしいでしょうかね?」

「わかった。いや、しかし」

「そうですねえ」

 憤然としたものが、こみ上がってきていた。


 許せねえ。何が怪盗だよ。顔も名前もないのに、欲だけはあるってか。馬鹿馬鹿しい。

 許しゃしねえぞ、メタモーフとやら。


「女に手ぇ出すようなやつだとは、思っちゃあいませんでしたよ」

 抑えるだけ抑えても、それだけは出てしまっていた。


(つづく)

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