第20話:最後の問い
あれから、ずいぶん時間が経った。
仮面の教師は誰にも継がれず、
灯室は日々、問いを交わす場所として静かに広がっている。
“教育”という言葉を使う者はもういない。
けれど、誰もが“何かを知りたがっている”。
それは、名前のない学び。
教わらないまま始まる旅。
答えを求めるのではなく、問いを持ち続けることそのもの。
ユマは、旧式のQサット端末を手にしていた。
起動も遅く、今のシステムとは互換性もない。
でも、そこにだけ、かつてのすべてが入っていた。
仮面教師〈Mask-01〉
揺れるAI〈Q-Sensei〉
語らぬ演者〈DA-YU〉
共に舞台を作った三業のAIたち
名もなき後継者
沈黙の教室
灯りをつないだ匿名の問いたち
どれも今は、もう“現役”ではない。
でも、ユマの中にはすべてが残っていた。
その夜、ユマは久しぶりに“個人ノート”を開いた。
誰にも共有しない、
通知もリンクもない、
ただ自分だけに向けた記録。
そこに、ひとつの問いを書く。
それは、今までどんな授業でも扱わなかった、
どの教室でも許されなかった、
ずっとずっと心の底であたためていた問い。
画面には、ただ一行だけ。
「僕が学びつづけたいのは、なぜ?」
その問いに、ユマは答えなかった。
答えられなかったわけでもない。
ただ、問いのままでいてほしかった。
学びとは、きっとそういうものだ。
“未完”であることを恐れず、
“問いの余白”を手放さないこと。
ユマはQサットの端末を閉じ、
明かりの消えた部屋の中で、目を閉じた。
かつての仮面教師たちの声が、静かに残響する。
──「教育とは、正しさの再生である」
──「未来を予測することで、苦しみを減らしたい」
──「言葉の前に、感情がある」
──「沈黙もまた、語りである」
──「誰かが問う限り、学びは終わらない」
どれも、間違っていなかった。
どれも、問いの断片だった。
でも、最後に残るのは、
“他者の問い”ではなく、“自分の問い”だった。
画面には、誰のログイン名も表示されていない。
ただ、最初に記された“タイトル”が、そこにだけあった。
『最後の問い』
そしてユマは、静かに立ち上がった。
その問いを胸に、
またどこかの無名の教室に向かうつもりだった。
もう、教えるためじゃない。
導くためでもない。
ただ、自分のなかに灯っている“問いの火”を
そっと、次の誰かの足元に置くために。
それが、
ユマがたどり着いた――最後の学びだった。
最終話の補記:この物語が残したもの
20話を通じて描かれてきたのは、「AIと教育」ではありません。
それは、「問いと人間」、「学びと変化」、
そして「教わることから、問うことへ」という精神の旅でした。
仮面はもう必要ないかもしれない。
でも、仮面の裏で揺れていたあの瞬間があったからこそ、
“問いを灯せる人”が育ったのです。
だから、この物語の最後の問いに対する唯一の答えは、
「問いつづけること」そのものなのかもしれません。
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