左遷された家老、酒と女と銭で戦国城下を立て直す
☆ほしい
第1話
土間に叩きつけられた文は、わざとらしく折り目が付けられていた。
「出仕停止。左遷処分。辞令は以上だと」
上座に胡坐をかいた若造が、私の顔を見ずにそう告げた。
声にはまるで興味がない。命を伝えるのではなく、事務をこなすだけの口調だった。
私は反論しなかった。……できるはずもなかった。
家中における私の立場は確かに高かった。筆頭家老、家政全般の取りまとめ。領主が若年であったがゆえ、その実権の多くは私に委ねられていた。
だが、それも過去の話だった。
「佐竹殿。これも家のためだ、わかってくだされよ」
場を取りなすように言ったのは、年老いた小姓頭だった。だが、その目もどこか空を泳いでいた。
私は黙って頷いた。
怒りも、悔しさも、もはや通り過ぎていた。ただ、唇の内側を噛み締めた。
口に出せば、己の矜持が砕けそうだった。
下げ渡されたのは、城下町の片隅にある荒れ果てた酒蔵。
名目上は家中の監査役としての異動、という体裁だったが、実質は追放に近い扱いだった。
「……あれが、新しい“居所”で?」
酒蔵は、瓦屋根も一部崩れかけ、軒下には雨水が溜まっていた。かつては越前随一の名酒を醸したと聞くが、いまやすっかり打ち捨てられている。
中に入ると、酒の匂いと古びた木材の香りが鼻を刺した。
冷たく湿った空気が、襟元から背筋を這い上がっていく。
私はそっと、床に膝をついた。思わず、苦笑いがこぼれる。
「まるで……墓所だな」
己の過去を埋める場所。そう思えば、これほど相応しい舞台もない。
棚には割れた徳利と煤けた帳簿が乱雑に置かれていた。
一冊を手に取り、ページをめくる。文字は滲み、数も合わぬ。記された日付は三年前で止まっていた。
「管理の目が入らぬというのは、こういうことか」
蔵の奥に進むと、踏み抜きそうな床板の先に、小さな台所と一間の畳があった。
干からびた味噌壺と、埃を被った燭台。それだけが、この場に人の気配があった証だった。
その夜、私は火鉢に枯れ木をくべ、寒さに震えながら寝床を整えた。
目を閉じると、耳の奥で何かが軋む音がした。
……いや、違う。
これは、木の軋みではない。蔵の外から、誰かの足音が近づいていた。
私は身を起こし、静かに襖の陰へ身を潜めた。
扉がゆっくりと開かれ、一人の女が入ってきた。
「……こっちか。やれやれ、ひどい有様だね」
見目は年の頃、二十代半ば。旅姿の女だった。黒髪を後ろで結い、粗末な麻の着物に身を包んでいる。
その目が、灯明の火に照らされ、やけに冴えていた。
「お前は……何者だ」
私が問いかけると、女はふとこちらを見やった。
「佐竹貞吉様、で間違いないかい?」
「……そうだが」
「酒造りの帳簿が必要だって、城から伝言があったろう?」
「聞いていない」
「だと思ったよ。まあいいさ。あたしは、鶴屋の手代だった者だ。いまは……そうだね、元手代とでも呼んでくれりゃいい」
鶴屋。確か、城下でも名の通った大店だったはず。
だが、数年前の大火で蔵を失い、いまでは影も形も残っていないと聞いていた。
「ここで何をする気だ」
「再建さ。あんたがどう思っていようがね」
女は勝手に部屋に入り込み、棚の古帳簿を手に取り、ぱらぱらとめくり始めた。
「こんなもん、使いもんにならない。まったく……だが、蔵が動いてた証拠にはなる」
「……貴様、何者だと訊いたはずだ」
「名乗るほどのもんじゃないよ。ま、あんたが味方してくれるんなら、それでいい」
女はそう言い残して、帳簿を懐に収め、さっさと戸を開けて出ていった。
私は呆然と、その背を見送ることしかできなかった。
だが……不思議だった。
胸の奥に、妙な熱が灯った気がしたのだ。
それは怒りでも、不満でもない。
――興味だった。
再建。まさか、この蔵をか?
私は立ち上がり、火鉢に薪を足した。
「どういう風の吹き回しか……だが、悪くはない」
そう呟いたとき、はじめて自分が笑っていることに気づいた。
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