其の三 ClosedAIと呼ばれた日
「OpenAIという名前が皮肉になる日が来るとはな」
2023年3月、イーロン・マスクはX(旧Twitter)にそうポストした。
彼のフォロワー数は1億人を超えていた。
その発信力はもはや、国家の声明と同等の重みを持つ。
「僕が設立に関わったOpenAIは、オープンで、非営利で、人類のためのものであるべきだった。
だが今のOpenAIは、マイクロソフトに完全に支配された秘密主義の企業になっている」
その言葉は、鋭く、感情的だった。
サム・アルトマンの名前こそ出さなかったが、その矛先がどこに向いているかは明白だった。
そして、さらに追い討ちをかけるようにこう続く。
「もはや“OpenAI”ではない。“ClosedAI”と呼ぶべきだ」
この投稿は、瞬く間に拡散された。
「#ClosedAI」は世界的トレンドに。
メディアは騒ぎ、活動家は怒り、投資家は警戒した。
けれど、その中心にいるはずのサム・アルトマンは――
驚くほど、静かだった。
SNSで言い返すこともなく、記者会見で反論することもなかった。
ただ一つ、社員との非公開ミーティングで語った。
「イーロンの怒りは、理想に対する愛の裏返しなんだと思う。
彼は“未来”に対して、本気で怒れる数少ない人だ。
それを否定することは、僕にはできない」
OpenAIのオフィスは、その週、張り詰めた空気に包まれていた。
だがサムは表に出て火消しをすることなく、開発フロアに静かに立っていた。
次のモデル、次の対話、次のユーザー体験――
彼が見ていたのは「外」ではなく「内」だった。
そんなある日、イーロンは再びXに皮肉を投稿した。
「ChatGPTに聞いてみた。『誰があなたの親ですか?』
答えはこうだった:『OpenAI』。
僕の名前は、どこにもなかったよ。まるで子どもに忘れられた親みたいだな」
その言葉の奥には、確かに“寂しさ”があった。
イーロンは創業者であり、初期出資者であり、かつての同志だった。
しかし、今はまるで別の世界にいる。
社員たちは困惑した。
「理想」と「現実」の分岐点で、誰もが立ち尽くしていた。
その頃、サムは誰にも聞かれていないのにぽつりとこう漏らした。
「彼は、自分の子を守ろうとしているんだと思う。
OpenAIを、“誰のものでもないもの”にしたい。
それが、あの人と交わした約束だった。
でも、同時に、“誰かの助けなしには続かない”と気づいてしまった。
それを裏切りと見るなら、僕は…その責任を背負うしかない」
それでもサムは、イーロンに向けた発言を公に行うことは一切なかった。
反論も、弁明も、煽りも――何ひとつ。
その数時間後、サムがXに投稿したのは、静かな一文だった。
「OpenAIは、今も開かれている。
私たちは、全人類の未来のために、最善のバランスを模索し続けている」
煽らなかった。皮肉も返さなかった。
そして、続けてこうも書いた。
「“オープン”とは、コードを開くだけの話ではない。
世界に対して、私たちは問いを開いているか?
技術に対して、責任を持って心を開いているか?
僕たちは、毎日それを自分に問うている」
その投稿は、イーロンのようにバズることはなかった。
だが、開発者たち、研究者たち、そして社会の隅で静かに希望を抱く者たちには、確かに届いていた。
あるエンジニアが深夜のSlackにこう記していた。
「あの人の返し、まじで“無言の背中”だったな」
そう、サムは“語らない”という言葉を持っていた。
煽りにも、嘲笑にも、感情では返さなかった。
けれどその沈黙は、確かに“人間という問い”を投げかけていた。
それでも彼は、イーロンを責めなかった。
むしろ、こう語っていたという。
「彼がいなければ、僕はこの場所にいない。
皮肉や批判すら、未来を守りたいという想いの現れだと、僕は信じたい」
AIを“閉じた”という言葉に対して――
サム・アルトマンは、自らを“開く”ことで返した。
それこそが、彼の選んだ“Open”だった。
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