アイにとっての幸せ

心届あやね

第1話  不慮の出会い

 薄暗く、どんよりとした曇り空は、洋平(ようへい)の心中そのものだった。


 洋平は、シャツの上に紺色のカーディガンを羽織り、細く冷たい道を不服そうに歩いていた。


 小説家という職業をしていると、何も浮かばなくなった日々は、毎日頭の中がもやもやして、苦痛であった。


 すれ違う人はまばらで、みな足早に去っていく。    

 家に帰って、夕飯の支度をしなければならない主婦や、ようやく仕事が終わり、わが子が待つ温かい家庭に帰るサラリーマン。理由は様々だろうが、洋介の目には、みなが目的を持って歩いているように見えた。

 冷たい風が、服の中まで入ってきて身震いしてしまう。昼間は暖かいが、夕方から夜にかけてはまだまだ冷える季節だ。


 悩みを抱えているときは、寒さも、空模様も、さっき躓いた段差も、この世の全てのものが敵に見えてくる。虚ろな心に苛立ちだけが募る。


 そんな気持ちを鎮めようと、洋介は俯き加減で橋の上まで歩いた。


「はぁ」


 橋の手すりに手をかける。洋平は行き詰まったとき、この橋の上からみなも河の激しい流れを見つめる。


 ザーという荒々しい音と、ピチャピチャという小さな音が、心地よいハーモーニーを生み出す。水の流れる音は、心の淀みを洗濯機のように洗い流して浄化してくれるような気がした。


 洋平は、今年で二十八歳になるが、天然パーマと濃い髭のせいで三十五、六歳に見られることが多い。瘦せ型で、サラリーマンというよりは、無職で覇気(はき)が感じられない、そんな印象だ。 

 職業はなんだと聞かれて、小説家だと答えれば、それっぽいな、とみなが頷いた。怖そうだけど、笑うとえくぼができて可愛いと言われたことがあった。学生の頃はそれなりにモテていた。


 しかし洋介は、不思議なことに、付き合った女性にはいつも振られてしまう。


私にはもう気持ちがないんでしょ、今はあの子の方が好きなんでしょ、なんて勝手に決めつけられて振られてしまう。大切に思っていると伝えてみても、あなたは自分自身に嘘をついている、などと言われて泣かれてしまうので、どうしていいか分からなくなる。乙女心は秋の空なんて言うが、晴天後の夕立くらいはっきり変わりやすい。


 別れを告げられる度、自分は人を上手く愛せない人間なのだと改めて気づかされるのだった。


 河の流れに耳を澄ませ、自然を感じていると、ほんの少し気持ちが落ち着いた。近所に河があってよかったと思う。


 橋を渡り終えると、その先に、三畳ほどの小さなごみ置き場がある。


「ん?」


 いつもは何気なく通り過ぎる場所に、大きな物体の影が見えた。黒いビニール袋から何かが突き出ている。座り込んだ人のようにも見える。 


 ――まさか、死体じゃないよな?


 洋平は恐るおそる物体に近づくと、その正体があらわになった。

 緑色の髪に、サファイヤのような青い瞳。

黒いビニール袋に入りきらなかった頭が生首のように出ていた。


 ロイだ。女性型アンドロイドの、ロイだ。ロイは皆、作り物のように可愛い顔をしていて、家事育児を手伝う家政婦のような存在だった。目の前にいるロイはひと昔前に流行った旧型のものらしかった。

旧型の見た目は、ブリキ人形をより人間らしくしたものだった。ボディには、清楚なワンピースが描かれている。

 このロイは、だいぶ古くなっていて、燃料切れで動けないようだ。


 ―誰かに捨てられたのだろう。


 人間の勝手で必要とし、用がなくなればあっさりと捨てられる。ロイはきっと、傷つく心すら持ち合わせていないだろうに。

 心がないことがロイにとっての救いであり、人間にとっての都合の良さなのだろう。

人間の身勝手さは、様々な場面で顕著にあらわれる。洋平は、人間に生まれたことを得だと思ったことはあっても、誇らしいと思ったことは一度もなかった。

ゴミと一緒に眠る廃れたロイに同情の眼差しを向けながらも、自分は買わなくて良かったと思った。

 ロイの目がぱちっと開いた。


「お腹が空きました」


 ロイの首がギギギと動き、洋平と視線があった。驚いた洋平はバランスをくずしてよろめいた。


「おまえ、動けるのか?」


 洋平の口から頓狂(とんきょう)な声が出た。


「お腹が空きました。燃料の補給をお願いします」


 ロイは、ポストの投入口のような口をパクパクさせて、途切れ途切れの声を出した。声はかろうじて出せるようだが、体全体を動かして袋から脱出するほどの燃料は残っていないようだった。


 旧型ロイの燃料は高額で、月に二回以上の給油が必要だと聞いたことがある。おまけに半年に一度、メンテナンス費用もかかる。この先、このロイと関わっても、何のメリットもない。

 洋平は、賃貸マンションで一人暮らしだ。贅沢をしなければ、小説家だけで何とかやっていけるだけの収入があった。経験やこづかい稼ぎのために短期アルバイトもやっているが、大切なお金をロイのために使う気にはなれなかった。

 洋平は見なかったことにして、その場を立ち去ろうとした。


「お待ちなさい。あなたは美少女アンドロイド、ロイが野垂れ死ぬのを見て見ぬふりするのですか?」


 ロイってこんなに図々しい機械だったのか、と思いながらも洋平は聞こえないふりをした。 

 正直、面倒なことには関わりたくない。


「このままだと死んでしまいます。助けてください。私を見捨てないでください」


 痛々しい声で、救いを求めるロイ。


「おい、やめろよ。俺が捨てたわけじゃないだろ」


 それでもロイは、訴えをやめようとしなかった。カタコトで、壊れかかったような声で捨てないでください、と何度も言う。

 洋平を見る通行人達の視線が痛かった。

まるで、ロイを捨てたのが洋平であるかのような言い方をする。


違う。誤解だ。これは俺のロイじゃない。たまたま通りかかっただけで……。


ここで何を言っても、ロイが洋平に向かって助けを求めてしまっている以上、周囲の誤解を解くことは難しいだろう。助けを求めたいのは、こっちのほうだというのに……。


「ああ、もうわかったよ。そこで待ってろ」


 洋平は観念して、ここから一番近い店で燃料を購入して、ロイに与えることにした。ゴミ置き場に戻ると、買って来た燃料を給油口であるロイの口に流し込んだ。

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