7日目①


(7:30〜11:30)


朝の空気は、まだ静かだった。


窓の外から聞こえるのは、蝉の鳴き声。

ジジジジ……ジリジリジリ……と、目覚ましの代わりに夏が鳴いている。


レースのカーテン越しに差し込む光が、部屋の床をやわらかく照らしていた。


私は、ベッドの上で伸びをひとつした。


(あつ……)


薄手のパジャマの背中に、うっすらと汗がにじんでいる。


天井のファンは回っていたけど、冷房はまだつけていない。

あの事故のあと、なんだかぐっすり眠れた気がする。


「ふぅ……」


窓を少し開けてみる。

風がそっと入り込んできて、カーテンがふわりと揺れた。

外の緑の匂い、どこかの庭から漂ってくる洗濯洗剤の香り、遠くで小学生の笑い声……今日が休みだっていうことが、体の隅々まで染み渡る。


鏡の前に立つと、眠たげな顔が映った。

肩まで伸びた黒髪は少し寝癖がついていて、首筋に貼りつくように汗を含んでいる。


シャワーを浴びて、髪を乾かして、下着をつける。


――そこまでは、もうすっかり慣れた手つきだった。


服を選ぶ時間が、ちょっとだけ楽しいと思ってしまった自分に、ふと気づく。


今日は真由と買い物の約束がある。

夏らしいワンピースもいいけれど、歩きやすさ重視でいこうかな。

鏡の前で、淡い水色のトップスを胸元で合わせながら、少し考える。デコルテのあたりが綺麗に見えるようなカットで、汗をかいても涼しそう。


(……これにしよ)


トップスに白いタック入りのスカートを合わせる。

ゆったりと風を含む素材で、歩くたびに裾が揺れる。

動くたび、肌が空気に触れて、ほんの少しひやりとする感じが心地いい。

鏡に映る私の姿は、昨日の制服姿とはまた違って、なんだか軽やかで、ちょっとだけ女の子っぽい。


「……よし」


スマホを手に取ると、ちょうどLINEの通知が来た。


《おはよ〜! 30分後くらいにそっち行くねー!》


真由からだ。

いつもの絵文字付きの軽い口調に、思わずふっと笑みがこぼれる。


《了解!冷たい麦茶用意しとく》


返事を送ってから、リビングに麦茶を注ぎに行った。


玄関のチャイムが鳴る。


「はーい!」


ドアを開けると、真由がニコニコしながら立っていた。

白いシャツワンピースにサンダル姿、髪はいつもより少しだけ巻いているみたいで、ふんわりとした雰囲気があった。


「おお〜夏っぽい!そのスカート、涼しそう〜!」


「真由こそ、そのサンダル新しいでしょ?」


「よくわかったね!ネットで買ったんだ〜、歩きやすいし、今日のお出かけにちょうどいいかなって」


ふたりで軽口を交わしながら、部屋に入る。


「麦茶あるけど飲む?」


「飲むー!あっついもん、今日!」


私が差し出すグラスを受け取りながら、真由は部屋をぐるりと見渡した。


「なんか、理彩ちゃんの部屋ってすごく“女の子”って感じするよね〜。でもスッキリしてて落ち着く~」


「……そう?そんなに“女の子”かな」


「いや、変な意味じゃなくてね?空気感というか……“らしいな”って感じ?」


(らしい、か……)


なんとなく、その言葉が胸に残った。


待ち合わせの駅前は、朝からにぎやかだった。


改札口の前で少しだけ立ち止まって、私たちは周囲を見渡す。

部活の高校生、家族連れ、友達同士で遊びに来たっぽい女子グループ——

夏らしい喧騒のなかに混じると、自分たちもほんの少し“街の一部”になったような気がした。


「じゃ、行こっか。今日の目標は〜?」


「え、目標あったの?(笑)」


「私はね〜、新しいサンダルとポーチと、あと可愛いTシャツがあったら欲しいなって」


「多いな……」


笑い合いながら、私たちは駅ビルのショッピングモールへ向かった。


雑貨屋さんでは、ガラス細工のアクセサリーに目を奪われた。

小さなピアス、髪留め、イヤーカフ……


カラフルな光が店内に散って、見ているだけでちょっと楽しくなる。


「これ、理彩ちゃんに似合いそう〜。ちょっとつけてみ?」


「えっ、私?」


「うん、その髪型にぴったりだよ〜!」


真由に勧められて、耳元にそっとイヤーカフをつけてみた。

鏡に映る自分を見て、思わず「……あ」と声が漏れる。


(……ほんとに、女の子みたい)


いや、“みたい”じゃないか。

今の私は、女なんだから。


当たり前のように女性用のアクセサリーを選んで、違和感なくつけられて、店員さんにも「お似合いですよ〜」なんて微笑まれて。


(……私、もう“この姿”で自然に笑ってるんだな)


そんなことを考えているうちに、真由が隣で「これも可愛いよ〜」と別のアクセを指さしていた。


ランチは、モール内のカフェレストランで。


冷たいパスタとサンドイッチをシェアして、ジュースで乾杯。

日差しの差し込むガラス窓の外には、子ども連れの親子やカップルの姿が見えた。


食後、ストローをくるくると回しながら、真由が言った。


「ねぇ、あのとき話してたカフェ、行ってみよっか。チーズケーキのとこ」


「……ああ、あそこね。いいね、午後からゆっくり行こっか」


「うん、決まり!」


ふたりで顔を見合わせて、笑った。


この笑顔も、日差しも、さっき試着したイヤーカフも——

全部、今の“私”の一部だ。


(少しずつ、ちゃんと馴染んでる気がする)


ゆっくりと、だけど確かに。


私は、“今の私”を受け入れてきているのかもしれない。

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