第5話「推薦の哲学者、答えなき命題」

「人は、なぜ学ぶのか。――その命題に、答えられるか?」


声に感情はない。

現れたのは、無機質な黒縁眼鏡に質素な私服、口数も抑えめの青年だった。


名札にはこうある。


天海 静真(あまみ・しずま)

偏差値:?

大学:都立第二教育大学

入試区分:推薦(面接・小論文型)


「偏差値……不明?」

俺が思わずつぶやくと、彼は静かに頷いた。


「僕には、偏差値がない。受験はしていない。けれど、ここにいる」


それはこの“偏差値バトルロイヤル”において、最大の異質だった。


「推薦入学者……ってことか?」


「正確には、“問いに答えようとした者”として選ばれた。偏差値は数値化できるが、思索は数値化できない」


「……なんだそりゃ。哲学ってこと?」


「そう。僕の専門は“教育哲学”。このバトルにおいて僕が問うのは、ただ一つ」


静かに手を伸ばし、彼は空間に問いを刻んだ。


【命題展開:《人はなぜ学ぶのか》】


世界が静まり返る。

そこにあるのは“問い”だけ。敵意も攻撃も存在しない。代わりに、圧倒的な“沈黙”が押し寄せる。


「……何だこの空気……!」


「この空間では、君の“答え”がスキルになる。そして、君の答えを他者が否定したとき、君の存在が揺らぐ」


「存在が……?」


「そう。“学ぶ理由”を言葉にできない者は、ここでは“学んでいない者”として扱われる。君のすべてが、虚無とみなされる」


【スキル発動:《存在の問答(クエスチョニング・ゾーン)》】


(マジでやべぇ。物理でも論破でもない……!)


「さあ、答えて。風間くん。君は――なぜ学ぶ?」


空間に、光の輪が浮かぶ。その中心に俺の立ち位置がある。

“答えなければ消える”。そんな予感がした。


(なぜ……学ぶ?)


俺は、一度言葉を飲み込む。


(“就職のため”?……違う。さっき神宮寺にぶっ壊されたその考えじゃ、通じない)


(“知識が好きだから”?……俺、勉強苦手だし)


思考が空回りする中、天海は淡々と次の言葉を投げかけてくる。


「学びに“正解”はない。だが、“答えようとしない者”は、学びを語る資格がない」


空間がひび割れる。俺の足元から、影が伸びていく。


「やばい……このままじゃ……!」


だが、その時だった。


――ふと、ある“学び”を思い出した。


それは……ゲーム実況の編集を自分でやり始めたとき。

音声に合わせて動画をカットし、テロップを入れて……うまくいったときの達成感。


あのとき、思ったんだ。


「わかるって……気持ちいいな」


(……それだ)


俺は、静かに目を開けた。


「答えるよ、天海。俺が“なぜ学ぶか”。それは――」


拳を握る。


「“わかんねぇ”って状態が、むかつくからだ!」


天海の瞳が、かすかに揺れた。


「正直、俺は学びたいとか、立派なこと思ってねぇよ。でも、“わかんねぇ”ままで終わるのが……一番ムカつく!」


「なるほど……“怒り”か」


「そうだよ! わかんねぇ問題出されたらムカつくだろ!? だから調べる! それが学ぶってことだろ!?」


天海は、ふっと笑った。微笑みは、ほんの一瞬だったが。


【命題への回答、承認】


【空間構造:変化】


【存在値:安定】


「君の答えは、論理ではない。でも――それは確かに、“学びの衝動”だ」


空間が光に包まれ、問いの輪が消えていく。


「この空間では、解にたどり着いた者だけが残れる。君は、学んだ。よって――」


バシュウッ!


《天海 静真、失格》


《偏差値:? → 脱落》


《敗北理由:問いを与え、答えを導かせたことで役目を終えたため》


……勝った。


いや、これは“勝った”って言っていいのか?


俺はただ、思ったことを言っただけだ。だけど、それが――この空間には通じた。


「風間 輝、学歴バトル・第5勝者」


淡いアナウンスが流れる。

観戦者たちの反応は、静かだった。ただ、誰も俺を笑っていなかった。


(ああ……もしかしてこれが、初めての“承認”だったのかもしれない)


そう思った時、俺の前にひとりの男が現れる。


「……次は俺か。“圧”ってやつ、見せてやるよ」


金色のエンブレム。ビシッと整った学ラン。


現れたのは――私立・開城高校出身、体育会系・AO合格者。

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