その2
「江若様のおかげでみんな上手い飯が食えて本当に素晴らしいことなんですなあ」
その日の夜。東江楼の広間では酒宴が繰り広げられていた。
工事長の弓達は現場で働いているだけあって、江若にも負けない大柄な男だった。豪快に酒をあおり、大声でしゃべっている。
「しかしながらね、わたくしめはあれだけの人数をまとめているわけです。だったらね、もうちょっと給金を上げてほしいなあって思うんですがね、どうですか江若様」
隣の江若は苦笑いしている。
「だいぶ酔っているな。俺にそんな口の利き方をするとは」
どん、と弓達は杯を置く。勢いよく。
「俺たちが必死で掘り出した金はみんな江若様のところに入っちまうんですよ。そりゃ俺たちはたくさん給金もらってますけど、あの苦労に見合うかって言われるとねえ!」
「なんだと? あれでまだ足りないと言うのか」
「はい!」
「こいつ、堂々と答えおって。他に俺ほど金払いのいい主人がいるか? いないだろう! お前は俺を讃えるべきなのだ!」
江若もかなり酔っている。夫人たちは関わりたくないようで、誰も二人の方を見ていない。手元に視線を落とし、自分の料理に集中している。
「あのままでよろしいのでしょうか」
「酔っているだけだから、放っておきなさい」
孫式も末席につかせてもらっているが、上座で言い合いが起きているので止めに行くべきか迷っていたのだ。
一方で隣の水鶴は平然として温野菜を食べていた。
「しかし、見苦しいわね。この国の情勢を考えたら破格の給金で雇ってもらっているはずなのに、まだ高望みするなんて」
「過去には朱国が和平を蹴って侵攻してきたこともあったそうですからね。急に戦になることも考えたら、今がどれだけありがたい環境か」
「お前はよく歴史を学んでいるようね。楽しい?」
「そういうわけでもないのですが……途中の宿に昔話の好きな主人がいて、暁国の歴史を得意そうに語ってくるのです。それで覚えてしまいました」
「意識せず聞いただけで覚えられるのは才能ね」
そうなのだろうか。あまり気にしたことはない。
「どうして上げてくれないんです?」
「もう充分だと言っている! がめついそお前は!」
江若と弓達はまだやりあっている。二人とも顔が真っ赤だった。
「ええい、埒が明かん! 江若様、後悔しますよ。こうなったからには仲間を率いて反乱を起こしてやります。東江楼もただでは済まさない!」
「ふん、ただの脅しだろう。俺はそんな脅迫に屈しない」
「今にわかりますよ」
弓達のしゃべり方はだいぶ怪しい。自分が何を言っているのか理解できていないのではないか。
「弓達様、そのくらいにしておいた方がよろしいですよ」
不意に割り込んだのは水鶴だった。全員が第六夫人に視線をやる。
「あなたは恵まれた環境で働いている身。それ以上を望むと天罰が下って、何もないところでいきなり転ぶかもしれませんよ?」
弓達はぽかんとしたあと、いきなり馬鹿笑いを始めた。
「天罰で転ぶとは! いやはや、なんともかわいらしい発想ではありませんか奥様。気をつけなければいけませんねえ」
水鶴の発言が場を和ませたのか、男たちのどうしようもない言い争いは止まった。月凛も微笑ましそうに水鶴を見ている。
その後は静かに食事が進められ、夜宴はお開きとなった。
「ううう……胃が痛い……。江若様、しばらくここにいさせてくださいませ……」
弓達は苦しそうにつぶやき、台に突っ伏す。江若は大げさにうなずいた。
「みろ、やはり飲みすぎたのだ。今日も寒いし、頭を冷やして帰るんだな」
「では、わたしがついております」
水鶴が言うと、みんな驚いた顔をした。
「水鶴、酔っ払った男の近くほど危ないところはない。関頼に任せておけ」
「いえ、わたしは大男が相手でも取り押さえられるよう修行を積んでおります。こういう方のそばにはわたしがついているべきかと」
月凛や青雅が心配そうな顔をしている。
「ご安心を。弓達様の意識がしっかりしたら門まで送ってお別れいたします。これだけ酔っていますし、危険なことなどないと思います」
小首をかしげて笑う水鶴に、強く反対する者はいなかった。
「まあ、まともに歩けない奴のために馬車を呼ぶのも馬鹿馬鹿しいからな。シャキッとするまで見ていてくれるか?」
「お任せを」
「孫式、お前は西小房で待機しろ。水鶴は何かあったらすぐ大声で誰かを呼べ」
孫式と水鶴はそろって返事をした。
「では解散だ」
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