第7話 大悪女(空墨十六年 一月)

その1

 年が明けると、暁国は大寒波に包まれた。

 一月の終わり頃、孫式が白い息を吐きながら東江楼のある成県にやってくると、曹湖が全面結氷していた。柳の木は水滴が凍りついて太陽を反射している。


 分厚い上着をもらって長旅をしてきたが、それでもなお体が冷たい。馬の足もなかなか進まず、先月に比べると到着がだいぶ遅れてしまった。


 安宿に馬を置いて部屋を取り、そのまま東江楼へ向かう。

 門番の海燕が寒そうにしながら立っていた。


「お久しぶりでございます。銀家の孫式でございます」

「おう、ご苦労さん。今日は旦那さまに客人が来ている。騒がないようにするんだぞ」

「水鶴様に関係のあるお方でしょうか?」

「いや、鉱山で採掘の指揮を執っている弓達きゅうたつって男だ。旦那さま、冬は凍死者が出るといけないからって作業を減らすだろう? だから弓達は仕事をしない日でも給金が受け取れるし、旦那さまの酒宴にも招いてもらえるというわけだ」

「なるほど。しかし、鉱山から人が減ったら誰かが奪おうとしてくるのではありませんか?」

「そこは小屋を建てて、重装備の見張り隊を置いてる。奴らは多大な報酬を約束されてるから裏切ったりしない。誰だって、罪を犯さずに金がもらえるならそうするだろう?」


 その通りだ。


「だから人夫たちも冬場の手当てをもらってのんびり実家に帰ったりするのさ。旦那さまは本当に寛大なお方だよ」

「県央府の上役でもそんな手当ては出せないでしょうね」

「まったくだ。そんな偉人に仕えているのは誇らしいよ」


 海燕は白い息を立ち上らせながら笑顔を見せた。

 孫式は門番と別れ、西邸に向かって歩く。水鶴は部屋にいた。


「今月は遅かったわね」


 水鶴は橙色の襦裙を身に纏っていた。よく着ている水色も似合うが、寒い日だけに暖かみのある色合いは安心感を与えてくれる。


「申し訳ありません。寒さで馬の元気がなくなってしまい、さっぱり進まず……」

「今年に入ってからずいぶんと冷え込んだものね。途中で凍死しなくてよかったわ」


 孫式は背負ってきた箱を机の上に置く。水鶴が中を確認し、薬の材料を取りだしていく。そのあいだ、孫式は部屋の中央にある火鉢で手を温めた。


「曹湖は見事に凍りつきましたね」

「そうね、わたしがここに来てから初めてのことよ。いつもどこかに穴ができていたんだけど、今年は完全に塞がっている」


 水鶴は材料を棚に移し始めた。静かに引き出しを空け、白い指で材料をしまう。孫式はその後ろ姿をそっと眺める。


 ……所作の一つ一つが美しい。


 そんなことを思う。何度も目にしている光景なのに、孫式はいつも見とれている。父親の銀斗開は、水鶴が東江楼の仲間に数えてもらえているのか心配している。最初は礼儀も酒宴の作法も付け焼き刃だった。だが、今の水鶴はどんな場所でも洗練された姿を見せている。他の夫人たちと一緒に行動していても、違和感などまったくない。


 ……斗開様も、一度はご自身で東江楼にいらっしゃるべきなんだけど。


 叶うのが一番よいことだが、県長官はそんなに暇ではない。書類仕事から土地の巡回までやることは山積みだ。水鶴の実家がある開峡県からここまでは馬で十日前後かかる。往復で二十日。長官がそんなに県を空にしていたら大問題になってしまう。


「そうそう、今日は鉱山の工事長で弓達様という方が見えているの。酒宴の席では失礼のないようにね」

「はい、気をつけます」


 水鶴には孫式を気づかってくれる余裕すらある。何も心配はいらない。

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