その6
「あの二人は追放されました。もう安心でございます」
水鶴の部屋で孫式は報告する。
「そう」
第六夫人は静かに返事をしただけで、ぼんやり寝台に座っていた。寝間着のまま着替えておらず、調子は悪そうだ。あんなことをしたのだから無理もない。
「水鶴様、普通にお話しできるのですよね? あなたは諜報のため演技の修行も積んでいます。かすれた声も、意図的に出せるのではありませんか」
問いかけると、水鶴はきつく睨んできた。
「…………」
「すべては以前から仕込まれていたのですよね? 声が出せないと奥様方に伝えておくことで、炎進様の耳にも入ります。そしたら、好色な炎進様のことですから好機とみて夜這いをかけてくることも予想できます。実際に手の込んだ侵入の仕方をしてきました。水鶴様は、それを待ち構えていたはずです」
「わたしが何をしたというの」
水鶴は、今までのかすれた声はなんだったのかと思うほどはっきりした発音で返事をよこす。
「炎進様は部屋の中に潜んでいた騒蛇に噛まれたのよ。わたしは押し倒されただけで、あの人が勝手に事故に遭っただけ」
「いえ、そうではないと思います」
「……なんなの、お前は。いちいち真実を明らかにしないと気が済まないの?」
「はい、はっきりさせておきたいのです」
「だったら言ってみなさい。わたしが、襲われるふりでもしながら隠していた蛇に仲炎進を噛ませたとでも言いたいの?」
「いいえ。私は床にいた蛇を掴んで外に出しました。その時、蛇の表面がやけにべたべたしていることに気づきました。土の上にいたならともかく、床の上に潜んでいた蛇なら表面は乾いているはずです」
そして、と孫式は隙を与えずに続ける。
「新しいお医者様の孟潮涼様はおっしゃいました。炎進様に噛まれた痕跡が見当たらないと。これをつなぎ合わせると、答えが見えるのです」
「もったいぶらないで」
「水鶴様、あなたは夕食のあとから炎進様が夜這いを仕掛けてくるまで、ずっと口の中に蛇を入れていましたね? 尻尾から飲み込んで、口の中に顔だけが残るように」
「…………」
「暗殺者が色仕掛けで相手を殺す時の手段です。炎進様は当然、強引に口づけをしてきたでしょう。そのとき水鶴様は口を開けて、相手の口の中に蛇が飛び込むように仕向けたのです。潮涼先生は炎進様の口までは調べておりません。噛まれた痕は舌についていたのでしょう」
だから、炎進は痙攣が治まってもしゃべることができなかった。
「騒蛇の毒は体に回ると息が毒気を帯びるといいます。であれば、毒は汗からも染み出すでしょう。昨日の夜は気温が高く、医療房はろうそくもたくさん灯していたのでとても暑かった。その中で痙攣していた炎進様はひどく汗をかいていたはずです。あの時、医療房には騒蛇の毒気が汗から染み出して漂っていた」
「それが何かまずかった?」
「まずいことはありません。水鶴様はこれも狙っていたでしょうから」
「…………」
「医療房に溜まった毒気は、室内に潜んでいた紋蜂を刺激しました。これもあらかじめ捕まえたものを持ち込んでおいたのだと思います。暴走した紋蜂によって丸平先生はあっさり刺されてしまった。ここまでが水鶴様の狙いだったはずです。蛇と蜂を使って、東江楼を苦しめる役人と医者を同時に追放する。見事なお手際です」
「黙りなさい」
水鶴は低い声で言った。しかし、苦し紛れに言ったような様子であった。
「水鶴様、蛇をずっと半分飲み込んだ状態だったせいでお体の具合がよくないのではありませんか。あまり無理をなさらぬよう……」
「うるさい。お前にそんな気づかいはされたくない……」
「ということは、やはり私の推理は正しかったのですね」
「……本当に不愉快だわ。上手くやったはずなのに、どうしてそんなに正確に見抜けるの。なんでそれほどの才がありながら、小間使いなんてやっているの。お父様もさっさと格上げしてやればいいのに……」
「私にはこの仕事が合っているようです」
「欲がないわね。出世に興味のない男なんてつまらないわ」
水鶴は寝台に横になった。白い寝間着は巻く形式ものであったから、衣がずれて生白い右足が覗いた。
孫式はドキリとする。見てはいけないと思いつつも、水鶴の引き締まった太腿に目が行ってしまう。
……い、いけない。水鶴様にそんな気持ちを抱くなんて。
「お前は襲ってこないのね」
「そ、そのようなこと、できるはずありません」
「ふうん」
水鶴が見つめてくる。目を逸らすのは無礼だ。視線を合わせつつ、孫式は自分の中に生まれた劣情を抑えることで必死だった。
☆
蛇と蜂事件から数日が経った。
水鶴は月凛の部屋で横になっている。枕はもちろん月凛の太腿だった。正夫人は、優しい手つきで水鶴の髪を梳いている。
「仲炎進の話、聞いた? 泰江若の妻に夜這いした挙げ句、蛇に噛まれて死にかけたと街中の笑いものになっているそうよ。県央府も辞めさせられたらしいわね。これでもう、東江楼には絶対に近づけないでしょう」
「よいことです。あんな男はそれくらいの罰を受けるべきなのです」
「それもこれも、あなたのおかげね」
「……わたしは何もしておりませんよ。襲われただけです」
「でも、それを予期して蛇の毒を隠していたのでしょう? 潮涼先生がね、炎進の体には噛み跡がないと言っていた。だから、もしかしたら蛇から毒液を搾り取っておいたんじゃないかって思ったの。あなたは毒に耐性があると言っていたわね。口に含んでおいて、炎進が口づけをしてきた時に飲ませた。あなたはそれくらいやるでしょう。どう?」
月凛は自信ありげに言う。水鶴は思わず笑いそうになった。
推理に関しては孫式の方が上だ。しかし、見破ったつもりで得意そうにしている月凛はとてもかわいらしく感じられた。
……あまり、見たことのない表情をされている……。
月凛のことが、いつも以上に愛おしく思えた。
「そういうことにしておいてください」
「あら、面白くない返事」
髪を梳く手が、水鶴の頬に触れた。
「でもあなたがやったことは確信しているわ。それも東江楼のためだったのよね。本当に感謝しています」
「……ありがとうございます」
「不安だったことが一気になくなって、私も最近はすごく気が楽なの。今日はあなたの好きにしてくれていいわ」
「いいのですか?」
「全部受け止めてあげる。さあ、かかってきなさい」
水鶴はたまらなく満たされていた。やったことは無駄ではなかった。孫式は誰にも言わない。誰も水鶴の功績を知らない。そのはずだったが、月凛は気づいてくれた。愛する人が感謝を伝えてくれたことが、心から嬉しい。
「では、覚悟してくださいね」
水鶴は飛び起きて、月凛を寝台に仰向けにさせた。もちろん、優しく。紅潮している月凛の頬は、これから起きることを待っているかのよう。水鶴は迷わず、唇を近づけた。
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