その2

 月凛が寝間着に着替えて燭台の火を消そうとした時、水鶴が入ってきた。


「どうしたの? 今夜は約束していなかったはずだけど」


 江若は丸平と炎進のことで頭を悩ませ、今日は白扇を呼んだ。最近、白扇と情を交えることはなく、胸に顔を埋めて眠ることが多いのだという。包容力というものには自信のある月凛だが、白扇にだけは勝てないと思っている。


「……怖くて」


 小さな声で水鶴は言った。


「明日、炎進が来ることを孫式から聞いたのね」

「はい」


 それだけで、水鶴が抱えている恐怖が伝わってきた。月凛は肩をすぼめている水鶴を優しく抱きしめる。


「今の私たちは無力だけれど、必ず反撃するわ。旦那さまも後ろ盾になってくれる方を慎重に選んでいる。だからもうしばらく耐えれば、きっと私たちは炎進なんて追い払える」

「……信じます。本当は、月凛様に風邪を移すかもしれないと不安だったのですが……」

「いいわ。もらってあげる」

「――――」


 月凛は自分から、水鶴に唇を押し当てた。水鶴は目を丸くしている。いつもこの暗殺者の指先に翻弄されてばかりだ。たまにはこちらが驚かせてもよいだろう。


 月凛は水鶴の唇を割って、舌を押し入れた。水鶴が呻く。腰に当たっている向こうの手がかすかに震えているのが伝わってくる。


 ――こんな関係になったのは、いつからだったか。


 水鶴が東江楼に入って、そろそろ二年が経とうとしている。月凛は二十八で、水鶴は二十三。ただ世話を焼いていただけのつもりだったが、水鶴が優しさを受け取ったのはそれが初めてのことだったという。


 舞を教えた時のことが思い出される。広間で披露する舞を水鶴にも教えてやってくれ、と江若に頼まれたのだ。その時、型を伝えるために彼女の手を取って、密着して教育した。水鶴は顔を真っ赤にしていたが、修練で疲れたせいではなかった。あれが今の肉体関係につながっているのではないかと月凛は思っている。


 月凛はもともと人の世話を焼くのが大好きだ。江若の派手で豪快な暮らしを支えることに生き甲斐を感じている。


 生家にいた時からそうだ。二人の兄が家を空にする時間が多かったから、率先して掃除や料理をした。小間使いのいる家だったが、月凛は頼りたくなかった。むしろ頼られたかった。


 何がきっかけだったのか。きっと、父が風邪で寝込んだ日に月凛の性格は固まったのだ。熱を出した父に、月凛は粥を作って持っていった。九歳の時だ。幼い娘が熱い粥を作ってくれたことに感動した父は、涙を流しながら食べた。それを見た月凛は、人の面倒を見ることに楽しさを見出したのだ。


 豪農の家であったから、作業に出た人夫たちに梅雑炊をたびたび振る舞った。大勢から感謝されるのがやはり嬉しく、何度も畑に出向いたものだった。


 月凛が十九歳になったある夏、野菜の取引をするため金持ちの男がやってきた。父は宴席でその男と和やかに会談し、彼の家に毎月決まった数の野菜を送ることを約束した。


 会談後には宴席が設けられた。月凛は客人に酒を注ぎ、男が料理をこぼせばすかさず拾って片づけた。空になった食器を小間使いに渡す動きにも無駄はなかった。


 ――なんという器量の良さ。お前、俺の家に来ないか。


 男はいきなり、そんなことを言った。


 酔った勢いで口にしただけだろうと、その場は受け流した。しかし相手は本気であった。数日後、大量の贈り物とともに月凛の家に押しかけてきて、「俺の嫁になってくれ」と熱い口調で求婚してきたのだった。


 月凛は宴席で男の武勇伝を聞いていたが、その危うさをずっと心配していた。放っておけない男に思えたのだ。


 男――泰江若はずっと街に逗留し、毎日家を訪ねてきた。月凛は折れたのではないし、相手の富に目がくらんだわけでもない。ただ相手の身を案じて求婚を受け入れたのだった。


 東江楼に入ってから、江若はさらに妻を増やした。当然抵抗はあったが、世話を焼く相手が増えた楽しさが勝った。


 富豪家から嫁いできた白扇と青雅は身の回りの管理が苦手であり、部屋の片づけを手伝うことが面白くて仕方なかった。平凡な家に育った景嵐と花悠は日常生活こそ問題なかったものの、馴染みのない宴席では慣習に苦戦した。それらを教えることも月凛は積極的に引き受けた。


 そして水鶴である。

 誰よりも特殊な出自を持つ彼女を、月凛は特に手厚く支えた。飲み込みが早いから教え甲斐もあり、生活に張りが出た。


 水鶴が来て三ヶ月もした頃の夜。

 今日のように、突然水鶴は月凛の部屋にやってきた。


 ――奥様、わたし、旦那さまよりあなたのことを好きになってしまったみたい。


 まっすぐ目を見て告白され、月凛は戸惑った。女が女を好きになることはありえないと月凛はずっと思ってきた。それだけに水鶴の告白は衝撃的だったのだ。


 ――女同士で好き合ってどうするというの。できることなんて何もないでしょう。

 ――そんなことありません。わたし、奥様を虜にしてみせる。


 そして、水鶴はいきなり口づけをしてきた。両手は月凛の体を這った。


 当然、月凛は激しく抵抗した。しかし吸いつかれた唇は離れず、声が出せない。そのうちに、頭がじんじんと痺れていった。腰や背中を這い回る水鶴の指が、得体の知れない快感を月凛にもたらす。気づけば、体から力が抜けていった。水鶴は、それを待っていたかのように舌を入れてきた。秘所を割って指が入ってきた時、月凛は崩れ落ちそうになった。自分がそんなに潤んでいることが信じられなかった。江若との交わりでは味わったことのない、初めての感覚ばかりが月凛を襲ってくる。立っていられなくなった月凛を、水鶴が抱きとめた。寝台に仰向けにされた時、月凛は抵抗をやめた。


 ――どうして、こんなに好かれてしまったのかしら……。


 水鶴の唇と指を受けながら、月凛は必死で声を押し殺した。このことが皆に伝わったら大変なことになってしまう。


 ――それも、背徳的でなんだかぞくぞくするわね。


 そんな気持ちになったのだから、もう月凛は堕とされていたのだ。

 そもそも、兄の不能を治そうとして自分から裸身を晒したことがあるくらいだ。性というものに潔癖であったとは思わない。


 その後も逢瀬を重ねた。

 いつも、水鶴のやりたいように任せた。彼女の絶技に、毎回涙がにじむほど必死で声をこらえた。


 一方で江若にも抱かれ続けた。江若の荒々しさでも、水鶴の繊細さでも、月凛はたちまち絶頂に追いやられてしまう。相手が男だろうと女だろうと同じように快感を得られる自分はある意味で幸せな性格なのかもしれない。


 そんな日々が当たり前になり、今、とうとう自分から始めてしまった……。


「あなたが望んで来たのよ。具合が悪いなんて言い訳、今は絶対にしないで」

「はい……」


 月凛は寝台に水鶴を押し倒した。覆いかぶさって唇をむさぼる。


 ……どこまで堕ちていくのだろう。


 一瞬、疑問が浮かんだ。けれど、高まる熱にすぐかき消されていった。……。

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