その3

 広間で江若の隣に座っていたのは青雅だった。月凛は上座にもっとも近い左奥の席。そこは月凛以外の夫人が酒の相手をする日、彼女が座る席である。


「最近は青雅に慰めてもらってばかりだ。俺があんな小悪党にへこへこしているのは不愉快なことだろう」

「仕方ありません。相手は県央府という後ろ盾があるのですから。さあ、せめて今だけは苛立ちを忘れてお酒を飲んでください」

「うむ、すまん」


 疲れているのか、江若は酒を飲んでも弱気なことばかり口走っていた。


「こうして青雅が隣にいてくれるのはありがたいことだ。あの時、お前と偶然出会っていなかったらこうはならなかった」

「懐かしいですわね」


 孫式の知らない話が繰り広げられている。隣をうかがうと、水鶴も手が止まっていた。お互いに青雅の話は聞いていないようだ。


「旦那さま」


 月凛が話を止めた。


「水鶴はそのお話を知らないのです。少し聞かせてあげてはいかがでしょう」

「おお、そうか。前に話した時は花悠までしかいなかったな」


 おほん、と江若は大げさに咳払いをする。


「俺は東江楼を建てたあと、すぐに月凛を迎え入れた。その後しばらくして白扇だな。俺は今まで思うようにできなかった分、嫁もたくさん取ると決めたのだ。そのために自分の好みに合う女を探していた。そんなある日!」


 急に大声になったので孫式はビクッとする。


「裏路地で隠れた名店を探していた俺は、饅頭屋の外で真っ昼間から酔い潰れている女を見つけたのだ。その酔った顔はたまらなく俺の趣味に合った。そこで!」


 今度は驚かない。


「さっそく声をかけてみると、女は言ったのだ。武人になるため腕を磨いてきたのに、古い決まりのせいですべてが無駄になった。もう何もやりたいことが見出せないと泣きながら語ってくれたのだ。その瞬間、俺の心はもう決まっていた。やりたいことがないなら俺の嫁になれと。女は「好きにしてくれ」とやけっぱちのように言ってうなずいた。それが!」

「青雅様だったのですね」


 水鶴が静かに返した。江若はうんうんとうなずく。隣で青雅が薄く笑っている。


「あの時は本当に心がすさんでいたわ。ここに入っても、最初はあまり面白くなかった。でも旦那さまのおかげでだんだん居心地がよくなってきたの。奥様や白扇さんが優しくしてくれたことも大きかったわね」

「わたしも、皆さんのおかげで東江楼に馴染むことができました」

「でしょう。ここはいいところよ。でも、ちょっと乱れつつあるわ」


 仲炎進や済丸平のことを言っているのか、水鶴や月凛が魚を飼っていることを言っているのかは読めない。


「わたくしのナマズが気に入らないようね」


 月凛が涼しげな顔でつぶやいた。青雅も笑顔で受け止める。


「そうですわね。あのような生き物を部屋で飼うのは行きすぎかと。奥様が旦那さまの一番手なのですから、皆の手本になっていただかないと困りますわ」

「ずいぶんと嫌われたものね」

「ナマズはかわいいのに」


 水鶴が小声でぼやいている。

 少し、広間の雰囲気が悪くなってきたように思える。月凛と青雅が笑顔のまま火花を飛ばしているせいか、他の夫人たちは話に加わろうとしない。いつも明るい陽景嵐ですら自分の手元に視線を落としている。


「み、皆様! 今宵はスイカがございます! ぜひとも楽しんで味わっていただきたいと思います!」


 料理人の関頼が大声で言った。この空気の中で次の料理を持ってくるのは勇気のいることだっただろう。

 雪羅と蓮雨と関頼が切り分けたスイカを持ってきて、皆の前に置いていく。


「スイカとは久しぶりだな」

「東のしゅ国にて採れたものでございます。市場にたくさん出ておりましたので、迷わず買い込んでまいりました」

「俺に一つ、まるごとくれ。部屋で切って食べる」

「はっ、承知いたしました。おい蓮雨! 旦那さまの部屋にスイカを運んでくれ!」

「お任せください! ただちにっ!」


 関頼の指示に、謝蓮雨は間髪入れずに答える。張り切った足取りでスイカを抱え、西邸へ歩いていくのが見えた。

 孫式はスイカを初めて見る。見た目が面白い果物だ。

 食後の果物が出されたこともあって、空気は少し和らいだ。江若もうまそうにかぶりついている。皮が分厚く、思ったよりも食べられる場所が少ない。そんな文句を小間使いが言えるはずもないが。


「私はごまかされませんわ。話はきちんとつけておかないと」


 青雅が話を続けた。


「わたくしも、ナマズを湖に戻すつもりはないけれど」

「奥様がそれでは、他の人たちも勝手にいろいろ持ち込むかもしれません。白扇さん、一番年上なのだからあなたからもちゃんと言ってもらわないと」

「私は気にしていないけど。それで私が困るわけでもないし」


 青雅は呆れた顔をした。


「そもそも、青雅さんが話をまとめようとしているのがおかしいのではありません?」


 張花悠も白扇に味方した。


「青雅さん、奥様が水鶴さんの真似をしているのが面白くないだけなのでしょう?」

「なっ、なんですって?」

「あら、わかりやすい反応。前からそうでしたものね。わたしたちとは育ちが違う水鶴さんを、あなたは不気味に思っている。その水鶴さんが存在感を増してきたものだから、ますます気に入らないのでしょう」

「ちょっと花悠さんっ、言っていいことと悪いことがあるわ!」


 青雅が噛みつくように怒る。話題にされている水鶴は会話に加わらない。


「ナマズを飼うくらいで騒ぎすぎですよ。奥様だって面倒を見るのが大変になったら曹湖に帰すのでしょう?」

「そうね。今は見ているだけで面白いけれど、ずっと飼っていられるかはわからない。逃がすということも考えてはいるわ」

「ほら。であれば何も気にすることはないでしょう」


 花悠が得意げに言うと、青雅は諦めたように姿勢を正した。


「わかったわ。私は奥様を信じておりますから」


 そこで、なんとか話はまとまった。孫式はいつ火の粉が飛んでくるかとビクビクしていて、スイカの味がほとんどわからなかった。

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