その2

「青雅様は、月凛様がナマズを飼っていることをあまりよく思っておられないようです」


 済丸平せいがんぺいの診療所から帰ってきた孫式は、水鶴に打ち明けた。

 青雅には悪いが、孫式はあくまで水鶴の小間使いである。水鶴を何よりも優先しなければならない。


「そう、青雅さんは反対なのね。誰かに言われるのではないかと思っていたけど」


 金魚や鯉なら、また話は違うのだろう。しかし水鶴が飼っているのは辺境の湖に棲む名も知らぬ肉食魚で、月凛が飼っているのはナマズだ。優雅とは言えない生き物たちである。


「青雅さんのご実家は武人の家だし、この街は見ての通り華やかでしょう。こういうものに縁がないのはわかっているのよ」


 紹家の三兄弟は現在、全員が禁軍の将だ。青雅も一緒に武芸を教わったらしいが、女は将になれないという禁軍の決まりがある。青雅の父は娘の腕前を売り込んだが、規則は規則と突っぱねられたそうだ。そのため青雅は将官の道を諦めたと聞いている。


「でも、最近はちょっと周りに口出ししすぎね。自分がみんなをまとめたいという気持ちが強くなりすぎている」

「何かきっかけがあったのでしょうか」

「最近は青雅さんが一番旦那さまに呼ばれているの。昼間も一緒にいることが多いし、一歩前に出た実感があるみたいね」


 ……そういえば、門の前でも一緒だったな。


「以前の江若様は、全員と平等に機会を作っておられたと聞きましたが……」

「仲炎進という役人の話は聞いた?」

「あ、来た時に門の前で江若様と話していました。何やら強引なことを言っていたような気がします」

「お役人なんだけど、旦那さまに難癖をつけてたかっているのよ。役人を怪我させると県央府けんおうふに目をつけられるから、旦那さまも強く出られないの」


 県央府は各地の県をまとめている機関だ。善良な役人もいれば、小悪党のような役人もいる。江若は名家の出身ではなく、一代で成り上がったため、政治的な後ろ盾がないことも弱みになっているようだ。


「仲炎進もそうだけど、実は丸平先生も増長しているのよね……。お前が帰っているあいだに白扇さんと景嵐さんが体調を崩したのだけど、診るのにやけに体を触られたと文句を言っていたわ」


 済丸平にも、江若は借りがある。熱病にかかっていたところを救ってもらい、夫人たちも世話になっている。

 江若は剛毅な男だが、恩人と権力には弱いのだ。


「そこで最初の話に戻るんだけど、要するに腹の立つことが多いのよ。青雅さんはそこで抜け目なく旦那さまを支えた。そういう気づかいなら月凛様が一番だけど、青雅さんは相手の愚痴を遠慮なく言うから、今の旦那さまにとっては青雅さんの方が一緒にいて気楽みたい」


 あとは、と水鶴はかすかに笑う。


「青雅さんは誰より夜が激しいらしいわ。旦那さまも、今は何もかも忘れたいのかもね」


 孫式は顔が赤くなり、何も言えなくなった。

 ともあれ事情ははっきりした。


 ……つまり、青雅様もまた増長しているのだ……。


 仲炎進、済丸平、紹青雅。増長した人間が三人。東江楼はかなり厄介な問題を抱え込んでいる状況だ。


「どうすれば、炎進様は引き下がってくれるのでしょう」

「殺すしかないんじゃない?」

「ええっ?」


 水鶴が平然と言い放つので、孫式は思わず大声を上げてしまった。


「ああいう男は金づるを見つけたら一生くっついてくるわ。旦那さまは県央府と戦う覚悟で追い払うべきなの。自前で戦力をそろえるお金はあるんだから」

「そ、それはさすがに危険すぎるのでは……。内乱になってしまいます」

「そうね。言ってみただけよ」


 冗談だったらしい。あまりにも心臓に悪い。


「まあ、どうにかして相手のメンツを潰すくらいしか思いつかないわね。ひとまず、いい機会が来るのを待ちましょう」


 水鶴は立ち上がった。もう外はだいぶ暗くなっている。


「夜宴の時間になるわ。広間へ行くわよ」

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