第4話 慄然(空墨十五年 五月)
その1
四月の半ば。孫式は水鶴の実家で束の間の休息を取っていた。
あさってにはまた東江楼に向かって出発しなければならない。
「孫式、私は東江楼に顔を出す時間がないのだ。本当に水鶴のことを頼むぞ。あいつが下手なことをやらかさないよう見守ってくれ」
「承知しております。水鶴様が無茶をしそうであれば、きちんと止めます」
「うむ、頼むぞ。暗殺術に特化しすぎて常識を知らぬところがある。礼儀も付け焼き刃だし、とにかく心配で仕方ない」
当主である銀斗開が、わざわざ小間使いの住む離れまで来てくれていた。
――お前には鋭い感性がある。期待しているからな。
実直な県長官として名高い斗開に評価してもらえたことが、日々の活力になっている。
そんな斗開は、ずっと四女である水鶴のことを気にしている。
結婚などさせるつもりもなかった娘。上の兄、姉たちのために尽くすだけの存在。そうなるはずだった。
しかし定めとは不思議なもので、気づいたら東江楼の第六夫人に収まってしまったのだ。
挨拶に来た泰江若に酒を運んだ水鶴。その顔を見て、江若はいきなり、
――お前、所作が洗練されていてよいな。容姿も磨けば光る。俺の直感がそう言っている。
江若はいきなりそんなことを言って、宴会の最中ずっと水鶴を侍らせていたのだという。彼の言った通り、水鶴は髪と眉を整え、口に紅を引いただけでたちまち別人のように化けた。それを気に入った江若は、後日あらためて開峡県にやってきて水鶴に求婚した。そして今に至る。
上の姉たちがすでに嫁いでいたこともあり、水鶴が残っていたことは銀家にとって運がよかった。今も東江楼から四季折々の貢ぎ物がたくさん届く。
「ですが、水鶴様は楽しそうにしておられますよ。正夫人の湖月凛様とは特によくお話しされています」
「仲間外れにされていないならよいが」
馬蹄の響きが聞こえた。
「斗開様、いらっしゃいますか!」
「こっちだ!」
本邸の横を回って、小間使いの青年が駆け寄ってきた。
「禁軍がセーロの集落を制圧したそうです」
「なんと! 本当か!」
「はっ。明日にも国中に告知されるとのことです」
「ついにやったか。ずいぶん苦戦させられたようだが、よくやり遂げてくれた」
西方の騎馬民族、セーロ。隣国との国境地帯を荒らし、暁国の娘を拐かしたり商人の積み荷を奪うなど悪事を働いていた。
禁軍は鎮圧に乗り出したが、相手に地の利があったため苦戦を強いられていた。それがとうとう征伐を完了したという。
「族長を討ったのは耀六位将軍、湖劉双様だそうです」
「えっ、では月凛様のお兄様が……」
孫式がつぶやくと、斗開は複雑そうな顔をした。
「これは東江楼も盛り上がることだろう。孫式、次に行ったら酒宴で水鶴が粗相を働かなかったか訊いてくれ」
「承知いたしました」
結局気になるのはそこなのだな、と孫式は内心で苦笑した。
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