第19話 カフェオレとオムライス

「僕はここにいます。文句はないですね?」


 僕は『Cafe confection』の店先で,黒服の男女に向かってそう言った。

「はい。我々は聡二様の安否さえ確認できれば,特に文句はございません」

 女性の方が言う。

 ぴっちりしたパンツスーツだが,その雰囲気はただ者ではない感じを匂わせていた。


「僕がマンションを離れたのは,付き合っている彼女の事情です」

「存じております」

「では,笹宮家の方への情報のリークはしないと約束してくれませんか?」

「・・・笹宮家については,我々とは関係がありません。ですが・・・」

「何か?」

「聡二様が,笹宮家とトラブルを起こした場合の・・・。いえ,もうトラブルになってますね?」

「ここにいることは,笹宮家も知っている?」

「それはまだ大丈夫なようです」

「では,笹宮家へのリークはやめて下さい」

「それは構いませんが,我々に何か利益が?」

「・・・もし笹宮家に知られたら,僕達はまた行方をくらましますよ?」

「・・・逃げ切れるとお思いで?」


「では祖父の遺産は,どこか慈善団体に寄付,ということになりますが?」


「・・・」

 切り札は切った。

 スーツ姿の女性はしばし考えて,男性の方に向き直る。


 今度は男性が話しかけてきた。

「いいでしょう。笹宮家へのリークはしないとお約束します」

「・・・できれば,邪魔をしてくれると助かるんだけど?」

「それは無理な相談です。まあ,情報の攪乱くらいはサービスさせていただきましょう」

「それで十分です」

 なんとか有利な交渉ができた。


「・・・聡二様は,いつまでこちらに滞在される予定ですか?」

「・・・夏休み明けには学校に戻ります」


「かしこまりました。ではくれぐれもお身体をお大事に・・・」

 そう言って,一組の男女は去っていた。




「はあ・・・っ」

 店内に戻った瞬間,身体の力が抜けた。

「聡二君っ!?」

 まどかさんが,僕の身体を支えようとして失敗する。

 そのまま二人して,床の上にへたり込んだ。


「聡二君,まどかちゃん!?」

「大丈夫っ!?」

 向陽さんとひとみさんが。慌てて駆け寄る。

「だ,大丈夫です・・・。緊張しすぎたみたいで」

「聡二君・・・」


 向陽さんが僕の後ろに回って,腕を持ち上げて,立たせてくれた。

 まどかさんも一緒に立ち上がる。

「よく頑張ったね」

「はい。なんとか,こちらの要求は呑ませることが出来ました」

「うん」


「・・・聡二君が,私のために無理することないのにっ!」

「・・・いいんだ。ここに来ると決めたときから,考えていたことだし」

「そんなっ!?」


「・・・自分を交渉材料に,まどかちゃんの安全を守る,か」

 向陽さんの言う通りだ。

「でも,ほんの時間稼ぎです」

「そうだな・・・」

「夏休みが終わるまで,という期限ですが,そこまで笹宮家の追跡をまければ・・・」

「なんとかなるのかい?」


「正直,分かりません。最悪の場合は,二人で逃げます」


「・・・」

「聡二君・・・」


「ホントに,どうにもならないの?」

 ひとみさんが,向陽さんに詰め寄る。

「僕としては,いつまででも匿ってあげたいが,こればかりは・・・」

「もし笹宮家が感づいたら,お二人が未成年略取の罪に問われることになります。それだけは避けたい」

「・・・そうだね」


「わ,私が悪いの・・・?」

 まどかさんが涙を流す。

 僕は何度,彼女を泣かせてしまうだろう・・・。


「まどかちゃんは悪くないわ。今時,親の決めた縁談相手と無理矢理結婚させようなんて親が悪い!」

 ひとみさんが憤る。

 やはり彼女も,実の親から酷い仕打ちを受けていたんだろう。

「うん。まどかさんは悪くない。これは僕の勝手でしたことだ」

「でも・・・」

「いいかい,まどかさん。僕は生存確認さえされていれば,とりあえずは放置される。でも君は見つかったら,間違いなく連れ戻される」

「・・・うん」

「君と一緒に姿を消すことが出来たら,楢崎家は,あの女は血眼になって僕達を探し始めるだろう。笹宮家の力を利用してでもね?」

「・・・うん」


「なるほどな。聡二君がうちに身を寄せたのは,楢崎家に対するデモンストレーションというわけか。ついでに笹宮家に手を貸さないようにするために,あえて味方に付けようと・・・」

「はい。ですが遅かれ早かれ,笹宮家はここにたどり着きます。そうなった時,どうするか・・・」


「まどかちゃん?お家の方はどうにもならない感じなの?」

「母が・・・。父はどうにも出来ませんが,母がせめて味方になってくれればいいんですが」

「・・・あとは桜さん次第か」

「桜さん?」

「私の親友で,桜真里花って子がいるんですが,『全てなんとかする』って言ってくれてるんです」

「『全て』?」

「はい。どういう意味かは,私にもよく分からないんですが・・・」

「そうか・・・」


 桜さんは,何かをやろうとしている。

 少なくとも桜家は,こちらの味方だと言ってくれた。

 本家である笹宮家に対抗しうる存在。

 笹宮本家より総資産が多いとも聞く。

 果たして,どうするつもりなんだろうか?


「笹宮の家の問題も,楢崎の家の問題も,『全て』か・・・」

「そうですね。今は,真里花を信じるしかないです・・・」




「とりあえず,椅子に座ったら?」

「は,はい・・・」

 ひとみさんに促されて,テーブル席に座った。

「お昼,まだ食べてないでしょ?賄いを用意するわね」

 昼の部が終わった時間に,あいつらがやって来た。

 向陽さんとひとみさんには,先に食べてもらっていたはず。

「まどかちゃんも少し待っててね?」

「あ,いえ。私もお手伝いします!」

「そう?じゃあ,よろしくね?あなた,何か飲み物を」

「うん,分かった。いつものでいいかい?」

「あ,できればアイスで・・・」

「了解!」




「はあ・・・」

 なんか疲れた。

 でも,まだ始まったばかりだ。


「どうぞ」

 向陽さんが,アイスカフェオレを出してくれた。

 ストローを差して,一口飲む。

 向陽さんのカフェオレは,アイスでも美味しい。

 多分,ホットで煎れるときと,豆の配合や挽き方,抽出の加減が違う。

 他にも何か・・・?


「ふふっ。いい顔だ」

「え?」

 向陽さんに声を掛けられて,我に返る。

「さっきの難しい顔より,今の難しい顔の方がいいよ」

「はあ・・・?」

 『難しい顔』にも違いがある?

「聡二君は,まだ15歳でしょ?」

「はい。10月に16歳になります・・・」

「うん。さっきの難しい顔は,10代の顔じゃなかったね」

「はあ・・・」

「今の難しい顔は,10代とも大人とも違う」

「え?」

「『美味しいもの』を探している顔だね」

「はあ・・・」

「その顔の方が僕は好き・・・いや怖いな」

「怖い?」

「だって自分にとっては,手強いライバルじゃないか」

「はあ?」


 ライバル?

 僕は向陽さんには,まだまだ追いつけない。

 彼の煎れてくれるカフェオレを飲む度に,自分の実力のなさを感じる。


「・・・僕はね,君が初めてこの店に来たときの顔が,今でも忘れられない」

「・・・」

「あの時の,この世の全てに絶望した顔がね・・・」

「・・・でも,向陽さんの煎れてくれたカフェオレで,希望を持てるようになりました」

「そう言ってくれるのは,本当に嬉しいよ」

「本当に感謝しています」

「でもなあ,その後がなあ・・・」

「何か問題がありましたか?」

「問題というわけではないよ?さっきの君の顔がね,その後の君の顔とおんなじでさ」

「『美味しいもの』を探している顔ですか?」

「うん。この店の味を少しでも自分のものにしたい,という挑戦者の顔だったね」


 そうだろか。

 そうかもしれない。


「・・・それは,僕の求めていた温もりが,この店の味,そのものだったからですよ」

「ははは。でも高校に行ってからも研鑽はしてたんだろう?」

「自分なりには,ですけど」

「それでまどかちゃんの『世界』を変えられたんだから,すごいことだよ」

「そうでしょうか?」

「ああ,誇っていい」

「・・・ありがとう,ございます」


 僕も,あなたのようになれたんだろうか?

 いや,まだまだだ。


「山崎の味も研究したんだろ?」

「・・・あれはマネできるものではないです。ただ奥さんの陽子さんの作るケーキは,かなり参考になりました」

「へえ?ひとみの作るケーキより,美味しいのかい?」

「いや,美味しさの質が違います」

「質?」

「はい。陽子さんのケーキは言わば『よそ行き』の味。ひとみさんのケーキは『家庭の味』と言ったところでしょうか?」

「なるほど。よく分かる」


「・・・でも僕は,ひとみさんにお菓子作りの基本を教わりましたから,どうしてもベースが『家庭の味』になっちゃいます」

「いいんじゃないか?」

「え?」

「陽子さんのケーキは,言ってみればオシャレなレストランで外食したようなものだろ?そしてひとみのケーキは,お袋の味?だとすると,聡二君のケーキは,『お誕生日にお母さんが張り切って作ってくれたご馳走』みたいなもんじゃないのかな?』

「・・・『ご馳走』」


「コーヒーだって,カフェオレだって,ケーキだって,この店の味がベースにあるのかもしれないけど,その後は,聡二君が山崎の店で勉強して,自分で研究して作った『聡二君の味』なんだから」

「・・・はい」


「あー,将来店をもつときは,この近くに出店しないように!」

「え?」

「山崎の店の近くならいいぞ?」

「ははっ。地価が高すぎますって」

「そうか・・・」


 そこへひとみさんがやって来た。

「楽しそうね?」

「お,賄いが出来たのかい?」

「ええ,まどかちゃんが頑張って作ってくれました!」

「え?まどかさんが?」


 ひとみさんに続いて,まどかさんが銀のトレイを持って現れた。

「お,お待たせしました・・・」

 テーブルに置かれる料理が二皿。

「オムライス?」

「ちょ,ちょっと形が悪いけど…」

「ううん。とても美味しそうだ」


「さあ,まどかちゃん!最後の仕上げよ!」

 ひとみさんが元気よく,まどかさんに声を掛ける。

 仕上げ?


「や,やっぱり,出来ませんっ!」

 どうやらひとみさんは,メイド喫茶でやる『アレ』を,まどかさんにやらせようとしてたらしい。




 オムライスは,とてもホッとする味だった。

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