閑話 桜真里花の初恋~その8~
呆れた。
韮川温泉グループについての調査報告書を読んだ,私の最初の感想だ。
韮川温泉グループは,かなり強引な手法で事業を拡大していた。
表向きは事業拡大による純利益の増加によって資産を増やし,その資産を運用して各地のホテルや旅館などを買収している体にはなっている。
しかし金の動きに多くの不自然な点が見受けられた。
私は経営学については学んでないが,素人の私でも理解しやすいように,資料がまとめてあった。
「これは島崎にボーナスはずむように,お父様に進言しないと・・・」
「お気遣いは無用です。お嬢様」
目の前にいる壮年の紳士,島崎がそう答えた。
島崎は,桜グループ会長の父の,事実上の第一秘書だ。
あくまでも私的な秘書ということで,家令とか執事だとか呼ぶのが正しいのだが,実際には父の右腕として桜グループ経営を取り仕切っている。
一応,父にはちゃんとした秘書が数名いるのだが,職名では上司に当たらないはずの島崎の元で働いている。
名刺には何て役職が書かれているのかは聞いたことはないけれど。
「で,こっちの楢崎家の調査報告なんだけど・・・」
「少し汚いやり方をしましたが,それを差し引いても・・・」
「おぞましいわね」
以前は身辺調査を興信所に依頼したが,今回は島崎に裏付けを取らせながら詳細に調査させた。
「この美紗という後妻は,随分前から韮川荘の乗っ取りを考えていたようです」
「・・・大学生の時からとは恐れ入ったわ」
「財界のパーティーでコンパニオンをしていたのも,落としやすい男性を探していたと考えるのが妥当でしょう。当時はかなり派手に男遊びをしていたようですから」
「それで楢崎君の父様,晃造氏に白羽の矢を立てた,と」
「晃造氏は,先代の聡一郎氏が遺産を全て聡二様に相続させると仰ったのが気に入らなかったようです」
「だから,楢崎君にも,お母様の久美子さんにもよい感情をもてなくなったわけね?」
「そこは分かりませんが,多分美紗という女にいろいろ吹き込まれた可能性はあります」
「なるほど・・・。それで久美子さんと離縁して,美紗と再婚した」
「はい」
「この久美子さんという方はどうなったの?」
「報告書には載っていませんが,私が調べたところでは・・・」
「なに?」
「自殺されたようです」
「!?」
「・・・久美子様は晃造氏に離縁されたことがショックで,出身地である北陸の港町の近くにある崖から,身を投げたそうです」
「・・・楢崎君は知ってるの?」
「それは分かりません。久美子様の死体は発見されていないので,消息不明扱いになっています」
「久美子さんのご家族は?」
「ご両親も他界されていて,実家ももうありません。唯一の血縁は,宗宮智子様・・・」
「従姉妹の宗宮先生だけ,か」
「はい」
「先代当主の聡一郎氏が亡くなって,遺産は聡二様が相続権を得られましたが,聡二様が成人するまでは相続できないようになっています」
「もしその前に,聡二君が亡くなったら?」
「全て慈善団体に寄付するようにと」
「それで生かしておいた,というわけね」
「おそらくは。・・・遺産相続後は民法に従って,法定相続人を定めることになってるようです」
「え?」
「・・・お嬢様の考えている通りかと」
「つまり成人して遺産を相続しさえしたら,楢崎君の命はどうなってもいいと?」
「・・・聡二様がお亡くなりになれば,晃造氏と美紗が法定相続人になります。たとえ配偶者はいても・・・」
「じゃあ,楢崎君と結婚したら,まどかの命も危なくなるわけ!?」
「どのみち,未成年では婚姻できません」
「だとしても・・・」
「はい」
「楢崎君が成人するまでが,この問題のタイムリミットってわけね」
「・・・はい」
「虐待の事実についてはどうだったの?」
「当時の従業員や児相の関係者にいろいろ当たったんですが,みな口が堅く・・・」
「・・・口止め料でも掴まされた?」
「おそらくは」
「でも児相に12回も保護されたのよね?10歳から5年間で」
「いえ,正確には1年間です」
「1年?どういうこと?」
「3年前,聡二様が中学1年の頃,韮川の児相で働いていた相談員がとても熱心な方で,聡二様の虐待についていろいろ調査されていたようです」
「あ,3枚目のレポートにあるわね。・・・通報者は『間宮ひとみ』さん。亜美さんのご親族かしら?」
「兄の向陽様の奥方です」
「なるほど・・・」
「当時の児相の職員は,1年で異動させられました」
「え?」
「多分,楢崎家から何か圧力がかかったのではないかと推察されます」
「公務員の人事に口出しできるものなの?」
「本来はあり得ません」
そういうことか。
「島崎,もう一度韮川温泉グループの金の動きを洗ってみましょう。きっと『使途不明金』があるはずだわ」
「すでに調査を始めております」
「さすがね。じゃあこの相談員の異動先は?」
「・・・異動が決まったときに退職したそうです。その後の足取りは不明です」
「なんてこと!?」
「お嬢様?」
「その方であれば,きっと楢崎家が何をしたか証言してもらえるでしょうに・・・」
「そうですね・・・」
「島崎が調べても分からないとは・・・」
「申し訳ありません。さすがに戸籍などを調べるのは無理でしたので・・・。弁護士でも正当な理由なしには,職務上請求も難しいでしょうし」
「そうなの?」
「しかし聡二様の虐待についての調査依頼をすれば,なんとかなるかも知れませんね」
「・・可能なの?」
「この調査書を持ち込めば,ですが・・・」
「楢崎家に潰される?」
「おそらくは」
「酷い・・・」
「聡二様が,宗宮先生に保護されていることも掴んでいるのでは,と思われます」
「じゃ,じゃあ何!?二人を駆け落ちさせたのは悪手じゃないの!?」
「・・・聡二様にとっては。失踪したと知れると,楢崎家が動くでしょう」
「でも,そうしないと笹宮本家が・・・」
「そうですね。ですからこの問題の解決は,笹宮本家の跡取り問題も同時に行わなければなりません」
それならば。
「・・・分かったわ。ありがとう島崎。もう少し付き合ってもらえるかしら」
「かしこまりました,どのような方針かお伺いしても?」
「夏休み中に,韮川温泉グループを買収するわ」
「・・・」
「呆れた?」
「いえ,やはり桜家は,真里花お嬢様が継がれた方がよろしいのではと」
「嫌に決まってるでしょ!」
「ははは・・・」
苦笑とは言え,人前ではあまり笑わない,島崎が笑った。
「せめてこの相談員,『畑前光彦』さんが見つかるといいんだけど・・・」
手がかりは,意外なところに落ちていた。
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