閑話 桜真里花の初恋~その7~
「そうだったの。あの子も早まったことをしたわね・・・」
私が事の次第を話すと,宗宮先生は渋い顔をした。
「ですがまどかは,笹宮さんは大変だったんです!」
「それについては理解しているわ。でも,よりによって聡二と・・・」
「よりによってって何だよ!・・・です。聡二と笹宮さんは好き合っているんだぜ・・・です」
大川君が激高しながらも,言葉尻だけ直す。
少し滑稽だ。
「その・・・愛し合っている二人を引き裂くなんて,たとえお家の事情があっても・・・」
君島さんがおどおどしながら言う。
「愛し合っていると言っても,二人ともまだ子どもよ?」
宗宮先生とは家庭科の授業でしかやり取りしたことがなかったが,意外と頑固者らしい。
でも,この人を味方に引き入れなければ,楢崎君の立場は危うくなってしまう。
「・・・確かに,笹宮さんも楢崎君も,私達もまだ子どもです。じゃあ先生は何なんですか?」
「・・・私は,大人よ」
ああ,そうね。
でも・・・。
「子どもを守れない人間が大人って言うなっ!」
自分でも,出したことのない大声で,使ったことがない言葉遣いで怒鳴ってしまった。
大川君も,君島さんも,宗宮先生も驚いている。
「楢崎君が,過去にどんな辛い目にあったか,先生は知っているんでしょう?」
「それは・・・」
「実家から隠すようにして,囲って,それで楢崎君が幸せになれるって,先生はそう思ってるんですかっ!」
「私だって,いろいろ苦労したのよ・・・」
「苦労したかどうだかなんて,どうでもいいっ!今,二人は苦しんでるんです!あなたは大人として,彼に,まどかに何をしてくれるんですかっ!」
ハアハアという自分の息づかいが,耳にこだまする。
「桜さん・・・」
「私はっ!私は二人にっ!幸せになって欲しいんですっ!でないと私はっ・・・!」
涙が溢れて止まらない。
私の『初恋』も,二度目の恋も,何もかもがダメになってしまうなんて,許せない。
「・・・あなたの,あなたたちの気持ちは分かりました。でも正直私一人では何ともできません。確かに聡二の身元引受人ではありますが,それは形式上のものですから」
「先生,じゃあどうすれば・・・」
「『Cafe Carrot』に行きましょう」
「え・・・?」
先生からその名が出るのはある程度予想していた。
けどあまりに唐突で,私の思考は真っ白になってしまった。
4人で『Cafe Carrot』を訪れた。
マスターは宗宮先生の顔を見ると,バイトの亜美さんに閉店の指示を出した。
「・・・話は,聡二君のことですね」
「ええ・・・」
奥様の陽子さんと,亜美さんも同席している。
「大丈夫。亜美ちゃんも聡二君の事情については前から話してあるから」
私が怪訝そうな顔をしたのを感じて,マスターはそう言った。
「まああたしも?少年のことは弟みたいに思ってるし・・・。それにあながち無関係でもないしね」
亜美さんは気まずそうに言う。
無関係でない?
亜美さんの存在が,埋まりかけていたパズルをぐしゃぐしゃにする。
「・・・まず,最初に聡二君には内緒の話をしておこう。絶対に内緒にしてくれると約束してくれるね?」
「はい」
大川君達も頷く。
「僕はね,『山崎晃助』と名乗ってるが,それは本当の名前じゃない」
「え?」
突然何を言い出すんだろう?
「まあ名字は妻の籍に入ったから変わったし,名前もちゃんと改名手続きを経て変えたものだから,戸籍上は正しい名前なんだけどね」
「はあ・・・?」
「僕の元々の名前は『楢崎晃一』という」
「!」
驚いた。
宗宮先生は顔を伏せた。
彼女は知っていた?
「じゃあ,楢崎君のお兄さん・・・?」
「ああ,12年前,幼い弟を残して家を出た,ひどい兄貴さ・・・」
パズルのピースが一つ埋まる。
「亜美ちゃんはね,聡二君・・・聡二が向こうにいたときに通っていた喫茶店のマスターの妹なんだ」
また一つ。
「その喫茶店のマスター,間宮向陽って言うんだけど,そいつとは幼馴染みなんだ」
また,一つ。
「・・・じゃあ,楢崎君がこのお店で働くようになったのは」
「ああ,それは本当に偶然なんだ。多分,向陽の店と家の店の雰囲気が似てるから,聡二はこの店で働こうと思ったんだろうな」
「あたしもビックリしたよ~。あたしはさ,高校の時からこっちで一人暮らししてんだけど,兄貴とは頻繁に連絡取っててね。よく少年の話,聞かされてたからさ~」
「僕もね,向陽とはたまに連絡取ってたんだ。まさかあいつの店に聡二が通うようになるなんて思わなかった。でも,聡二が実家でひどい目にあってるって聞いて,いても立ってもいられなくなって・・・」
「・・・私に相談してきた,という訳よ」
宗宮先生が後に続いて語り出す。
「私もね,聡二の母親・・・久美子さんとは従姉妹だけど,そんなに交流あるわけじゃなかったのよ。でも晃一君・・・今は晃助君だったわね。彼から聡二君の置かれている状況を聞いて,なんとかしなきゃって思ったのよ」
「先生・・・」
「大人として,教育者として,できることをしたかった。だから間宮さん・・・お兄さんの方ね。彼と連絡を取り合って,聡二をうちの高校に進学できるよう取り計らったの」
「でも,楢崎君のご実家がよく許しましたね?」
「まあ,そこは夜逃げ同然だったんだけど。あと,聡二の継いだ遺産がすぐにどうこうできないと分かって,事業の拡大にやっきになっていたことも幸いしたわ」
「・・・他にも協力者が?」
「そうね。楢崎家の顧問弁護士と先代の側近だった方々にも協力してもらったわ」
「そうですか・・・」
良かった。
他にも大人の協力者がいたんだ。
「・・・でも,楢崎君は本当に自由になったわけじゃない?」
「そうね。いずれは聡二の居場所も『あの女』に知れるでしょう。あの子が成人して,正式に遺産を相続できるまではなんとかしたいとは思っていたんだけど・・・」
「なるほど・・・」
なんとなく,どうすればいいか。
細い細い道が見えてきた。
「・・・どうしてマスターは実の兄って名乗らなかったんですか?」
君島さんが鋭い質問をする。
「・・・それは」
「晃助さんはね,自分の『贖罪』だと思ってるの」
「・・・陽子」
それまで黙って話を聞いていた陽子さんが言う。
「自分は,聡二君に全てを押しつけた。そしてひどい目にあわせた。いくら償っても償っても,許されるべきではないと,この人は考えているのよ・・・」
ああ,そうか。
マスターもまた,楢崎君に謝りたかったんだ。
「・・・確かに今,実の兄だと告げて『謝罪』をしても,彼は受け入れないと思います」
「ああ,分かってる。だからそばで見守りたかったんだ」
「マスター・・・」
「あいつがうちの店で働きたいとやって来たとき,本当に神の起こした奇跡だと思ったよ。僕はすぐ向陽に連絡した。奴はさ,泣きながら言ったんだよ。『聡二君が初めてうちの店に来た時のことが,今でも忘れられない』ってさ」
「あなた・・・」
マスターも泣いている。
「だから,だから僕はっ・・・」
みんな目尻に涙を浮かべていた。
「・・・事情は分かったけどよ。これからどうすんだ?」
一人だけ,空気を読めない男がいた。
「大川君,あなたって人は・・・」
「だってよ,マスターは聡二に事実は話さないんだろ?表だって聡二を助けることはしないって言ってるようなものじゃんか」
「・・・確かにそうね」
「・・・大川君だっけ?あんまりマスターを責めないでやってよ」
「でもよう!」
亜美さんはマスターを庇うが,大川君は納得がいかないようだ。
私も納得がいかない。
だから。
「・・・じゃあ,楢崎君にちゃんとした後ろ盾があればいいんですね?」
私は言った。
みんな不思議そうな顔をする。
「私に策があります。もし上手くいけば,マスターはちゃんと楢崎君に事実を明かしてください」
「いあや,それは・・・」
「・・・どんな策があるの,桜さん?」
陽子さんの問いかけに,私は答える。
「それは・・・」
私はこれから,大きな賭に出る。
上手くいくかは分からない。
でもきっと,何かが変わる。
いえ,変えてみせる。
私は自分を信じる。
まどかが,そして楢崎君が信じてくれた,自分を信じる。
そうじゃなきゃ,私の『初恋』は終われない。
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