第7話 親友の苦しみ

 カーテンを開けると左手のブレスレットの金色が朝日を反射する。結局私の手元にあるのは、手を離れても効果が顕れる以上、術者が持っていた方がまだ呪いの進行がゆるやかになる可能性があるという煉の見解によるものだ。これが不幸を呼ぶのだとわかっている私の意識が抑止力になるかもしれないんだって。

 そして、昨日教えられた通りに私は右手のリングに祈る。特定の宗教には属していないけど、だからお祈りするときは祈る先がはっきりしているほうが効果が出るそうだ。指輪には、悪意を抑える力があるみたい。


「今日は誰にも不幸が起きませんように」


 青い石を額に当てるようにして呟く。それから、キスをひとつ落とす。これでおしまい。ちょっと気恥ずかしいけど効果があるならいくらだってする。

 登校すると、緊急の全校集会があってそこで純の訃報が知らされた。純も、そのお姉さんもパパママも、誰も助からなかったらしい。火事は放火によるものらしいと、そのことを告げる校長先生の声は少し震えていた。たぶん、怒りだった。


「放火の罪は重いですから、皆さんはよく覚えていてください。罪の重さとは悲しみの多さです。私たち教員も、同学年や同じクラブ活動をしていた仲間たち、泣いてる方もいますね、そのすべての悲しみに取り返しがつきません」


 愁傷は贖えない、と言っていた煉の言葉を思い出す。たぶん校長先生も同じことを言っていた。煉は私のせいじゃないと言ってたし、琴のときも琴のママがそう言ってくれたけど、それでも一昨日私がこのブレスレットを選ばなければ、と考えてしまう。何のためかもわからない儀式のために、人が死んでしまった。その恐ろしさを考えてしまう。

 ――もう絶対、誰のことも傷つけたくない。

 指輪を包むようにして手を組む。黙祷の声かけに従って、私はもう一度、祈った。


 ターゲットがどんなふうに選定されているのか。それは多分私と親しい間柄とか、生活にどの程度関わりがあるかによるんじゃないか……っていうのも煉の予想なんだけど、予測ができるようにある程度身近な人をリストアップしておいて、異様な力の流れに置かれている人がいないか、見ていてくれることになった。それで不幸を止められるとは限らないけど、やらないよりマシだって。

「できれば悪魔を引き摺り出したい」と、煉は言った。そんなことできるの?って聞いたら、「祓魔は一通り学んでる」って。なんか、住む世界が違う人なんだなあと思う。そもそも桜夢だし本当は接点なんかなかったんだけど、――ないままの方がよかったのかな。だけど今は結構心強い。ちょっと言ってること胡散臭いのに、煉の表情見てたら嘘じゃないってなんとなくわかる。まあその、やや面白くはあるけど……。


 放課後は病院へ。琴から、「ゆずみ きて」とだけメッセージが入っていたから多分純のこと、知ったんだと思う。到着したら涙でぐしゃぐしゃの顔で「柚実………じゅ……じゅんは……?」と問いかけられた。胸が痛い。病室の他の患者さんは、気を遣うようにして皆目線を逸らしていた。


「琴、」

「ねぇじゅんはっ……? 一緒に……来てるんじゃないの?」


 泣き崩れながらそう言う琴も、本当はわかっているんだろう。そうじゃなければメッセージにも「純と来て」って打ったはずだ。

 琴がこんなに泣いている姿は初めてみた。いつだって楽しそうにしていて、怒る時は怒るけど、でもすぐ笑顔になる子だって私は知っている。純に不幸が起きたとき、私が真っ先に考えたのは琴のことだった。こんな琴はみたくなかったんだ。


「琴……琴、」

「柚実、やだよぉ……っ。なんで、じゅん、ずっと一緒にいてくれるって約束したのに……なんでっ………」


 私は何も言えず、ただ彼女の肩を抱くことしかできなかった。琴は私にしがみついてわんわん泣いて、泣き疲れたころには私に向かって「柚実、ずっと一緒にいて。あたしを一人にしないで……」と幼子のように縋るから、「うん、一緒にいるよ。一人にしないよ」と繰り返す。やがて疲れ果てて眠ってしまっても、私の手だけはずっと離さなかった。サイドテーブルには、あの日フリーマーケットで買ったペアアクセサリーの片方だけが置かれていた。お見舞いに来たときにもう片方をじゅんにあげてたのかな。


「心の一部、持ってっちゃったんだね、純」


 もし見つかっていないなら、私が見つけてあげなきゃと思う。悲しみは贖えないけど、琴がいま出来ないことを代わりにしてあげることはできるから。

 やがて琴のママがお見舞いに来て、交代するよと言ってくれる。「琴、一人にしないでって……」「うん。私がいるからもう大丈夫」そっと彼女が私たちの手にその手を重ねると、琴の手は不思議と掴む力を弱めた。琴ママと交代して、起きるまで一緒にいられなくてごめんねって書き置きだけして病室を出た。彼女は多分、ちゃんと目が覚めるまで琴の手を握ってくれる。寂しくないように、明日はもっと早く来てあげようって心に決めて、私は帰路を歩み出した。


 十月も下旬に差し掛かろうとしていて、この時間になると日は完全に落ちている。街は帰宅ラッシュで、車道は混み合ってるし歩道にも私みたく制服姿の学生やスーツ姿の人たちが多い。携帯を見ると、昨日連絡先を交換した煉からメッセージが届いていた。

『今から行く』? 

 ――さて皆さん突然ですがクイズです。煉くんは一体何処に行ったのでしょう? チッチッチッチッ………正解は、どーん!

 私の家!


「さすがにストーカーじゃない?」

「いいから早く鍵開けろ」


 どう考えても厚かましいんだけど、彼に命運を握られていると言っても過言でない私は大人しく玄関を開けるしかない。うーん、片付いてたかな。

 私の家はメゾネットタイプのアパートで、一階はリビングやキッチン、お風呂があり、二階に私とお母さんの私室がある。もう一つあるお部屋は妹の瑠璃香の部屋ということになっているけど、幼少期はお母さんの実家で育って、今は叔父さんの家だからあんまりあの子の部屋というかんじがしない。もっというと、お母さんもほとんど帰らないからそっちは開かずの間みたいになってる。私は煉をリビングに通す道すがらにさりげなく片付けをしながら「アポくらい取ってよ」と文句をつけてみたけど、相手は何か考え込んでいるのかスルーされた。ひどくない?

 そのまま当然のようにソファに座り、持っていた鞄の中からファイルを取り出す。「机片付けろ」「ねえ亭主関白!」「誰が亭主だ」拾うのそこなんだ。やっぱり仕方なくテーブルの上を整理して綺麗に布巾で拭く。と、彼は手に持っていた資料をそこに並べた。座るように促されるので、お茶を出してから向かいのクッションに腰掛けるようにして座った。


「まずはじめに。お前は、何か特別な血筋の者か?」

「中二病?」

「違うらしいな」


 あっ、いなし方を覚え始めてる。このままではいけないと颯爽と立ち上がって「そう我こそは! 選ばれしなんか高貴な血筋の……」と口上を述べ始めてみたけど「座れ」と一蹴された。

 それから煉は、現状ブレスレットの影響によるような変調はどの人物にもみられていないことを教えてくれる。全員煉が調べてくれたのかな、という素朴な疑問は、聞いてみたら「そんなわけないだろ」と返ってきた。やば、真面目な質問も全部ボケだと思われてる。


「周囲の人に様子がおかしい者はなかったか」

「うーん……と言われても、みんなショック受けてたから……」


 同窓の学友が他界するなんて、たぶん純を知らなかった人だってびっくりしたはずだ。クラスメイトたちもいつもより言葉少なだったことしかわからない。当たりがつかないな、と煉は息をついた。やっぱ難しいんだ、誰が標的になってるかを調べるのって。


「左手」


 もう、単語言えば指示できると思ってるね君? だる絡みしようかどうかちょっとだけ迷ってやめた。あんまりそんな気分でもない。

 差し出した左手、ではなくその手首のブレスレットに煉が触れる。それから不快そうに眉を顰め、目を閉じて、「『誰一人として神の名を呼び、憐れみに縋ろうとはしない』」と呟いた。


「『そこで神も、我々から目を背け、罪に引き渡したのだ。しかし主よ、それでもなお、神は我々の父である』」


 ぞぞ、と悪寒のようなものが左手から競り上がってくるのを感じる。とはいっても、本当に少しだ。一方の煉は眉間の皺を増やしているから、なんとなく、同じ不快感のもっと強いものと戦っている気がした。


「……『主は星を数え、その一つ一つの名をお呼びになる』」

「アハハッ」


 次に彼がそう言ったとき、急に誰かが笑った。

 はっとして、私たちは周囲を見渡す。するとその景色はもう見慣れたリビングではなくなっていて、どこか真っ暗な空間の中だった。


「無駄だよ」


 その中で、淡くひかりをまとったひとつの存在がにいと笑った。

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