ジャメ教奇譚 正義の勇者か悪魔の化身か
ハロイオ
第1話
「あァ!蛇、蛇!」
蛇が家に入って来た。
ジャメ教の施設からの蛇除けの薬をまくとさらに暴れて、鳥籠を壊した。
飛び出した鳥が家から逃げてしまった。
蛇にとどめを刺した。
あの鳥は自然では生きられない品種だ。本能的に逃げても、かえって死んでしまうだろう。
「あ!天使様!」
天使様が連れて帰って来てくれた。
「私ははぐれた命を連れ戻す」
天使様は短く話した。いつも断片的な台詞だ。
その蛇は最近増えた、黒い鱗の多い種類だ。
鱗の一部が時々青く光ることもあるが、今の僕にその意味は分からない。
蛇の中には、鱗の光と体のうねりで信号を表す種類もいる。専門家によると、たいてい人間には悪い意味の信号しか返さないというから忌々しい。
家のジャメ教の魔除けの本を読み返した。そこに書いてある悪魔と天使様について、ふと考えた。
ジャメ教の語源はよく分からないが、伝説では蛇が恐ろしい罠で人間を陥れたところから、この世の苦しみが始まったとされる。悪魔は蛇の仲間として登場する。
実際に、蛇を駆除すると、時折悪魔が現れて様々な罵倒をして来る。
ただ不思議なことに、天使様と悪魔は同時には現れない。天使様はそれを聞かれても答えることはない。
天使様と悪魔にはどちらも翼があり、悪魔は本質的に同じだった、堕天使だとも言われる。
しかしいずれにせよ、ジャメ教の天使様が様々な恵みで人間を助けてくれている。
危険な場所を教えて警告し、物質の加工手段や植物の毒にも詳しい。
天使様は人間に様々な知識を与え、感謝の音楽で喜んでくれる。『闇を拓いて』という題名を与えたことがある。
「善行の種」と呼ぶ、ある植物の非常に小さな種を多数子供に運ばせて、それが大きな作物となり、子供の働きとして認められた事例もある。
様々な知識のうち、「金持ちが救われるのは、針の穴を馬が通るより難しい」という言葉から、募金や慈善事業、社会保障や累進課税の制度も社会に生まれた。特に政府による社会保障や累進課税は、ビルトイン・スタビライザーと呼ばれる作用がある。好況なら高所得者が増えるので自動的に増税され政府支出が下がり、不況なら低所得者が増えて減税され支出が増え、景気を調整してくれるという。天使の教えが経済を安定させたのだ。
とにかく蛇除けの薬をまこう。徹底して駆除しなければならない。これも家のため、町のため、世の中のためだ。
蛇が大発生すると、家だけでなく周りの土地の評判が落ちることもある。
落ちた黒い鱗を役人に提出しよう。最近の蛇の黒い鱗には未知の成分が含まれている。
そう言えば、逃げた鳥の近縁種には、野生で白い蛇を食べるという報告も多いらしい。何故かは分からないが。
鱗が少し熱かった。体温が低いとされる蛇の鱗なのに、何故熱いのだろう?
熱に関連して魔除けの本を読み返すと、何年か前に、天使様が人間に警告した記録があった。「
また、ある山で、石から泡が出て、暑くて困る人間の体を冷やしてくれるので使われたのを、天使が警告した。やはり天空が怒るという。実際その地域で、奇妙な火傷が見つかった。
それから何ヶ月か、蛇を見かけなくなった。突然いなくなったようだ。
また、街の金属板から妙な音が出たり、発熱したりすることがある。
ふと疑問に思った。魔除けの本に、悪魔と蛇が仲間というより、同一の存在かのように書いたところがある。しかし蛇と悪魔は、翼があるかが決定的に異なる。手足なら蛇に元々あったという伝説もみられるが、翼は見当たらない。もしあるならば、それは...
いや、考えるのはやめよう。不吉だ。
まあいずれにせよ、見かけないのは、気分からも良いことで...
爆発音。
「何だ、あれ?」
街に近付いているのは、巨大な黒竜だった。
翼を羽ばたかせ、高速で接近して、強烈な炎を吐いて来る。頭から尻尾まで、並の船を超える大きさだ。
次々と家や城が焼かれて行った。
黒い無数の鱗がわずかに日光で照り返している。だが鱗自体も時折青白く光っている。
よく見ると、鱗自体が蛇のような形をしている。まるで蛇の集合体の鎧のようだ。
その光に応じて炎が口から放たれる。
悪魔が多数現れるのを見た。
悪魔が叫ぶ。
「これは正義の黒竜だ。蛇の正義の証だ。お前達への警告だ」
何を言っているのかさっぱり分からない。
黒竜に何の正義があるというのか?
悪魔は蛇の駆除の禁止を要求しているようだ。
街は地獄絵図だ。
子供が逃げ回り、瓦礫に挟まれそうになったが、大人が挟まれた中、小さいので抜け出せた。
柵の小さな穴を通って逃げる子供もいた。
もろい橋を子供が渡ったが、大人が通ろうとすると崩れてしまった。しかし子供が縄を垂らして助けた。
ある家で、門が壊れ、使用人が隠れて使っていた抜け道から、主も含めて逃げ出していた。
貧しい薬屋が、火を消す薬をまいていた。
子供が荷車をひっくり返し、こぼれた燃料に引火して子供も含めて巻き込まれた。
家から逃げ出した鳥に燃料が付着して、その鳥が運んだことで火が広がった。
黒竜が地上に降りたとき、塔の高いところに逃げ遅れた子供を助けに行った大人が、黒竜を見下ろす形になった。
それを悪魔や黒竜が何故か見ている。
突然攻撃をやめた。
そして無言で去って行く。何のつもりだろう。
*
人間に見聞き出来ない場所で、黒竜を連れた悪魔は天使と会話していた。
「我々は弱者の味方のつもりだった。だがあの街で、弱者でも強者を傷付ける手段があると気付いた。人間のジャメ教もある程度正しかったかもしれない。介入していた我々が単純過ぎたのかもしれない」
悪魔は天使と会話していた。
本当はジャメ教の「弱者」と「蛇」を滅ぼすという語源の教えを嫌悪し、ひそかに天使と悪魔と名乗り介入していたのだ。
といっても、悪魔と天使は本来同一の種類であり、人間のいないところでは区別出来ない姿だった。それどころか、同一の個体が別のときにそれぞれ悪魔、天使と呼ばれることさえあった。
彼らの正体は、惑星の環境や人間社会を管理する宇宙人だったのだ。
彼らは光や熱しか探知出来ない希薄な素粒子で構成された生命体であり、音の概念に乏しい。
翼により素粒子の風を泳げるが、空気の風の音などは間接的にしか認識出来ない。
しかし、光や電磁波を通さない惑星の地下でも、音波なら低速ながら調べることが出来る。素粒子に影響を与える惑星の磁場のもとの対流などを、音波で調べられる。
惑星やその生命、その情報をまとめる人間が、宇宙人にとって、貴重で豊富な「音波資源」だったのだ。
人間の脳に干渉して、幻覚で天使や悪魔の姿に見せかけていた。
その気になれば素粒子を調整して人間を滅ぼすことも出来る彼らにとって、人間は「管理される弱者」だった。その管理に後ろめたさを感じる個体も宇宙人にはいた。
その議論の果て、「1段下の人間という弱者にして良いこと」は、「2段下の弱者をさらに傷付けるのを止めること」、「その人間自身のためのパターナリズム」だと結論付けた。
ジャメ教の始まりの歴史、人間の信者や教える側ですら忘れ去った歴史を、悪魔と天使は振り返った。
かつて蛇が鱗の信号で、人間の恥や秘密を次々広めていた。理解しておらず、害をなすつもりもなく、鳥の一部が声を真似るようなものに過ぎなかった。
しかしある毒を含む果実の情報を蛇が広めたことで、経済や物流に大混乱が起き、怒った人間は「弱者でも強者を傷付ける手段がある」という理論に基づき、「その弱者を戒める」、蛇を罪の源の弱者として滅ぼす、「
それに宇宙人は憤った。「弱者こそ保護すべき」と考えていたからだ。
蛇は人間のような鼓膜と異なる内耳という器官で音を探知出来るのが、また独特の音波資源であった。
人間がジャメ教により、蛇を駆除するのを虐待とみなした宇宙人の一部が、怒りで人間に姿を現したが、人間の恐怖心により天使と異なる状態に見えていた。
そこで、あえて天使と悪魔に分かれて現れることで、優しい指導と厳しい警告の二重の指導を目指した。
天使と悪魔の行動は一貫しているつもりだった。
ジャメ教の語源を忘れた人間達には、蛇こそ嫌悪しても、人間の弱者や鳥を大切にする個人はいた。
人間の子供に「善行の種」を運ばせたのも、「弱者の働きの評価」の精神を与えるためだった。
「枯油」という燃料の使用を止めたのは、それを燃やして発生する温室効果ガスによる温暖化が、海水の水蒸気を増やし、さらなる温室効果の連鎖で暴走を招くためだ。一部の人間も数学的に認識してはいた。
累進課税や社会保障による景気調整は、経済の不安が環境破壊や自滅に繋がりかねないためでもあった。人間の弱者を助けたい精神もあったが。
なお、温室効果ガスの増加による温暖化がさらなるガスを増やして悪循環を招くのは数学的に「正のフィードバック」、ビルトイン・スタビライザーは「負のフィードバック」だとされる。
ある山の石から出る泡とは、フロンガスに近い成分で、オゾン層を破壊して紫外線による火傷などを招くおそれがあった。宇宙人の知る惑星では一時期破壊の危機があり、解決は出来たが、未然に防ぐに越したことはないと考えていた。
音楽を喜ぶのは、人間の音波資源としての能力を詳しく確かめられるためだ。光を通さない物質も音を通じて分析出来るのを、『闇を拓いて』と表現していた。
鳥を連れ戻し助けたのは、動物保護の精神である。「籠の中でしか生きられない鳥を閉じ込めて守る」のは、天使が人間にするパターナリズムにも通じると、宇宙人はみなしていた。
天使が鳥を助けるのも、悪魔が蛇を助けるのも同じ精神だったのだ。蛇を駆除する際中の人間の前には、脳への干渉の都合から天使が現れることは出来なかったが。
しかし、悪魔も蛇を助けるために、蛇自身の協力が必要だと結論付けた。自然の生物として当然だが、蛇には自種全体の減少を認識して恐れる、防ごうとするほどの知能がなかった。
蛇を保護しようとする宇宙人は、蛇に団結心、仲間を守るために努力する精神を与えた。蛇は人間への怒りや嫌悪の信号を意図的に送るようにもなった。
まず特殊な鉱石の成分を少しずつ蛇に吸収させ、鱗に集中させる。その脱皮した抜け殻を集めさせ、鎧の材料とした。その成分は日光を吸収して炎となる。さらに蛇と、宇宙人の翼を生やす能力が融合し、1個体の蛇が「勇者」として鎧をまとい、翼で飛び火を吹く黒竜となったのだ。
「正義」はこの惑星の一部の言語で、「犠牲」という意味合いもあるとされる。蛇に元々なかった、仲間のために自らの一部、脱皮した鱗を集める精神により、「正義の勇者」としての竜を生み出したのだ。
蛇の鱗を集める「正義」で、蛇に団結を促した。
また、仲間を巻き込まないように、本来の蛇にはない連絡能力を特殊な音波で与え、避難させた。人間の製造物の一部に共鳴して、音や熱が発生してはいたが。
あの都市が選ばれたのは、蛇が迅速に脱出出来る場所だったためだ。
そうして蛇が避難して、その都市を見せしめに黒竜が攻撃したのだ。「弱者を守る正義のため」に。
しかし、人間の中でも子供や貧しい薬屋のような弱者が、荷物をひっくり返す、隙間を抜ける、もろい橋を渡るなどの物理的な手段や、燃料に引火させる、薬で火を防ぐなどの化学的な手段、抜け道を知るなどの情報の手段で、強者を上回ったり傷付けたり逆に助けたりするのを悪魔や黒竜は見た。
高い塔から黒竜を見下ろした大人を黒竜は恐れた。その角度から、鱗の薄い箇所の弱点が見えやすくなっていたからだ。弱い子供の行動がきっかけに、強いはずの黒竜の弱点の情報が広まる可能性があった。
そうして認識を改めたのだ。
ジャメ教の伝説のもとの歴史において、確かに蛇も有害だったかもしれないと。蛇はあの時点で弱者だったが、それでも強者に有害な行動はしていたし、恨まれても仕方がなかったかもしれないと。
蛇という弱者が、家の隙間を通り抜ける物理的な手段、毒に関わる化学的な手段、信号で秘密を流す情報の手段の3つで、人間という強者を傷付けてはいた。
ただ人間が「自分より弱い蛇」を駆除するのを、それより強いつもりの宇宙人が止めるのが彼らなりの「正義」だった。だがそれに限界があったと、彼らは考え直した。
「弱者でも強者を傷付ける手段はあるし、それで逆に助けることも出来る。弱者でも強者を傷付けてはならないときがあり、むしろ助けるべきときがあるならば、それを蛇にも教えてあげよう。人間もそれで変われるかもしれない」
黒竜や蛇にもそれに賛同する向きはあった。
黒竜は自分の鎧の弱い部分として、特に尻尾に注目した。細長いためにどうしても鎧も弱くなる。そこで思い出したのは、蛇が大発生した地域で全体の評判が落ちるように、「確率的に低いが、起きると致命的な」テールリスクが発生すると経済学から分析する人間がいたことだ。それもまた、「強者でも弱点があり苦しむ」と言えるのかもしれない。
悪魔と天使は人間に、自分達の正体は隠したまま、「弱者でも強者を傷付けることがあれば助けることもある」という文章を送った。
蛇に、隙間を抜けることによる農耕や災害救助の能力を与え、「善行の種」を運ばせた。鱗による薬品合成の能力を与えて、脱皮して人間に提供するようにした。信号も人間の役に立つように改造した。
それを人間が受け入れるかは後世に託した。
強者にも弱者により傷付けられる恐怖があるのは確かだろうが、それを弱者がやめるなら事実として認める義務があるし、弱者に助けてもらうなら感謝する義務もあるはずだと考えた。
それを人間が出来るか、ジャメ教が変われるかを宇宙人は賭けてみたくなった。
後始末として、宇宙人は鳥への影響を調べていた。黒竜の影響で、鳥が黒い蛇を避けて白い蛇ばかり狙うようになった。生態系への悪影響も懸念される。
何より、知性を与えてしまった蛇を食物連鎖からどう扱うか、宇宙人達も悩んでいた。そこから解放された蛇達が自分達の繁栄ばかり目指せば、人間の次の「新たなる生態系の破壊者」にもなりかねないと。
自分達の「正義」が試されるときが来たと考える宇宙人の個体もいた。
だが彼らは、人間と蛇と共に変わりたくなったのだ。
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