希望と絶望のりんご
はるはるな
第1話 希望の芽
私は埼玉県浦和で一人暮らしをする30歳の女だ。日々、JR高崎線に揺られて上野のオフィスまで通勤している。
2023年、新年の慌ただしさが落ち着いた頃、友人の勧めでNISA口座を開設した。少額投資非課税制度であるNISAは、年間の一定額まで投資信託などの運用益が非課税になる仕組みだ。
銀行預金の利息では雀の涙、物価は上がる一方だという不安から、私は資産運用に関心を持ち始めていた。友人は「毎月コツコツ積み立てれば将来きっと役に立つ」と背中を押してくれたのだった。
最初は慎重に、つみたてNISA枠で国内外の株式インデックス型の投資信託を毎月積み立てることにした。すると、皮肉なことに順調すぎる滑り出しだった。
米国株式市場は前年に大きく調整していたが、2023年前半は再び上昇基調となった。日経平均株価も企業業績の改善期待などから上昇し、2023年通年では28%近い上昇率を記録する強気相場となった 。
私の保有していたインデックスファンドも値を上げ、口座残高は見るたびに増えていった。開始から数カ月で評価額が数%もプラスになり、銀行預金では考えられない増え方に胸が高鳴った。わずか数万円の含み益ではあったが、初めての投資で「お金が働いて増えている」ことが嬉しくてたまらなかった。
しかし、順風満帆に見えた船出にも、小さな不安の種はあった。指数は日々上下し、順調に思えた市場も時折荒れる。春先には米国の銀行破綻のニュースで株価が急落し、私の投信も一時的に含み損へ沈んだ。
あのとき、平静でいるのは難しかった。投資は長期で、と頭では分かっていても、評価額がマイナスに転じた画面を見た瞬間、心臓が凍るような思いがした。わずかな下落にも過敏に反応し、積み立てを止めてしまおうかと何度も迷った。
実際、私は感情に揺さぶられ、一時的に積立額を減らしたり、追加投資のタイミングを逃したりしてしまった。
それでも相場は持ち直し、私の不安は杞憂に終わったかのように思えた。評価額は再びプラスに転じ、含み益はさらに大きくなった。
周囲では「新NISA」に向けた制度拡充の話題も盛り上がり、投資を取り巻く空気は明るかった。勤務先でも同年代の同僚が「NISAで先進国のファンド買ったら利益が出てさ」と楽しそうに話すのを聞き、私も内心ほくそ笑んだ。
自分も同じ船に乗っているのだという連帯感と、選ばれた者だけが味わえる果実を手にしているという優越感があった。
小さな芽生えだった“希望”は、着実に育ちつつあるように感じられた。
毎月の給料日後、NISA口座に定期積立の振替が行われるたびに、未来の自分への貯金が一つずつ増えていくようだった。資産曲線が右肩上がりに伸びていく様子に、私は静かな高揚感を覚えた。
「このまま続ければ、5年後10年後にはまとまった資産になるかもしれない」――そんな明るい計算を何度も頭の中で繰り返した。経済的な安心と自由への淡い期待が、日常の潤いになっていたのだ。
だが、その希望の芽は、同時に新たな欲望の種を心に植えつけていたことに、私はまだ気づいていなかった。
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