太陽と月

月瀬ゆい

太陽と月

 あたし、太田陽菜は天才だった。


 何でも人より早くできるようになって、誰より上手だった。


 周囲の人たちは全員、手放しであたしを称賛した。一人の例外を除いて。


 彼女の名前は下村菜月。あたしの大好きな大好きな幼馴染だ。


 みんなは菜月のことを「ぼんやりしている」「何を考えているかわからない」とか「陽菜ちゃんに釣り合わない」なんて言うけれど、あたしはそうは思わない。


 菜月はぼんやりしているんじゃなくて、誰より深く物事を考えているんだ。成績だって悪くないし、むしろいい方。あたしが隣にいるから、できないように見えるだけで。


 菜月はあたしのことをやたらめったら褒めたりはしない。菜月の基準であたしが褒めるに値することをすれば、しっかり褒めてくれる。適当におべっかを並べ立てるんじゃなくて、心からの賛辞を送ってくれるんだ。


 菜月はあたしのことが嫌いだ、と思っている。それは間違いじゃないけれど、少し訂正しなくちゃいけない。

 菜月はあたしを憎んでいる。でも、情もある。家族さえ血の繋がりがあるだけの他人だと割り切る薄情なあたしと反対に、菜月はとってもやさしい。だから、菜月は十五年間一緒にいたあたしのことを、憎み切ることができないんだ。


 愛しいという感情をあたしに教えてくれるのは、後にも先にも菜月だけだ。

 愛と憎しみの狭間で揺れる菜月はとっても可愛い。

 だから、菜月にはあたしのことを憎んでもらわないといけない。あたしに非がない形で、菜月の負の感情を煽るようにしなくちゃないらないんだ。


『どうしてあなたは、そんなにキレイでいられるの?』


 中学二年生の時、菜月はあたしに、そう聞いてきたことがあったよね。たしか、目立つ女の子グループが控えめな女の子に嫌がらせをしているのを見つけて、それをさりげなく止めた時かな。菜月は気づいていなかったから何もできなくて、少し落ち込んでいたよね。懐かしいなぁ。

 あたしは、満面の笑みでこう答えたよ。


『周りに恵まれたんだ。無償の愛を注いでくれる、やさしいみんなのおかげだよ!だから、感謝して生きていかないといけないなぁ』


 この答えは、嘘にまみれている。

 みんなやさしくなんてない。みんながあたしにくれるのは、無償の愛なんて美しい物じゃなくて、打算でできた醜い偽りの愛。

 感謝、というのもよくわからない。あたしを育ててくれたことはありがたいけれど、それだけだし。その恩の分は返しているし、あたしは菜月さえいればどこでも生きていける。

 あたしは周りに恵まれている。これは本当だ。だって、隣に菜月がいるんだもの。最高に人間らしくてかわいくてやさしくて、あたしのことが大嫌いで大好きな、菜月が。


 あたしの言葉を耳に入れた菜月は、きっと自分がどんな顔をしていたか、わかっていないんだろうなあ。泣きそうなのを隠すように笑った、くしゃっと歪んだ顔は本当にかわいかった。まるで、迷子の小さな子供みたい。


 あのやり取りを転機に、菜月はあたしが憎いって感情を自覚したんだよね。あたしを見る目が少しだけ変わったから、すぐに気づいたよ。菜月は隠せてるって思ってたみたいだけど。気づいてないのは、目が腐ってる周りの人たちくらいじゃない?って、それだと気づいてたのはあたしだけってことになるか。じゃあ、菜月は演技、上手だったのかな?


 あたしと菜月の家は隣同士だ。そして、自室のベランダからお互いの部屋を行き来することができる。あたしたちは、毎日かわるがわる相手の部屋に行き、自分の部屋に招いていた。


 今日は菜月の部屋に行く日だったから、帰宅して着替えなんかを済ませて、すぐに菜月の部屋にお邪魔した。

 菜月は緊張で顔を固くして、遊びに行こうよと笑った。室内遊びが好きで外遊びが苦手な菜月からの珍しすぎるお誘いに、あたしは内心、やっとかって思った。


 遊びに行ってくる、と互いの親に声をかければ、気を付けてねとだけ返ってきた。どこに行くの、なんて聞かれない。


 菜月に言われるがまま電車に乗ってしばらく歩いて、たどり着いたのは自殺の名所として悪名高い樹海だった。

 あたしは何も気づいてないふりして、ちょっと入ってみようよと言う菜月の後をついていった。


「ずっと見下してきた相手に殺されかけている心境はどう?——陽菜」


 そして、今に至る。

 少し森に入ったところで、瞳からハイライトを消した菜月に首を絞められた。

 予想はしていたけどあの菜月が本当に決行するんだ、という気持ちと、世界一大好きな人に幕引きをしてもらえるなんてあたしは間違いなく宇宙一の果報者だな、という考えが脳内をめぐる。

 苦しさと湧き上がる様々な感情から目を見開くと、菜月はあたしが驚いているとでも勘違いしたのか、笑みを深めた。


「……あたし、菜月のこと見下してなんてないよ」


 見当違いのことを言うと、あたしの首を絞める手に力が入った。カハ、と乾いた息が漏れる。

 正気を失った菜月は語りだす。


「確かに陽菜は、私のことを見下してなんてなかったよね。陽菜は、誰に対しても平等にやさしかったもの。……でも、周りの人たちは違った。家族でさえ、事あるごとに陽菜を引き合いに出して、私を貶めた」


 うん、そんな風に思っていたこと、知ってるよ。節穴な周りに「菜月には価値がない」というニュアンスのことを言われ続けて、自分だけはそうじゃないって否定したかったけど、あたしに勝てるところがたったの一個もないって思って、おかしくなりそうだったんだよね。


 あたしのことで壊れてしまう菜月がかわいくてたまらなくて、自然と口角が上がる。綺麗な菜月の手が、明確な殺意を持ってあたしの首を絞めている。その事実にどうしようもなく興奮した。


「太陽は自分で光を生み出す恒星。月は太陽に照らしてもらわないと輝けない衛星。私はずっとずっとずっと、あなたと比べられてきた」


 周囲の人間はあたしたちを「太陽と月」と評したけれど、あたしはそれを否定したい。菜月はあたしに照らされないと輝けないなんてことはない。あたしの隣にいるから、あたしの光が強すぎて、菜月の持つ光が見えなかったんだ。菜月という星も光っていたけれど、一番近くにいるあたしの光が強すぎた。それだけの話だ。


「私はあなたが隣にいなくても輝ける……それを、証明してみせる」


 菜月は昏い笑みを浮かべた。そろそろ意識が限界だ。目の前が真っ暗になって、感覚が指先から消えていく。


 かわいいかわいいあたしの菜月。あたしは永遠にあなたの中で生き続ける。菜月はとってもやさしいから、気にしてないと言いながら、この先ずっとあたしのことを考えて、罪の意識に苛まれながら生きていく。


 大好きな人の心の檻に囚われる、なんて幸せなんだろう。意識が薄れて、「ああ、死ぬんだな」とぼんやり思った。


 菜月、愛してるよ。


 それは言葉にならなくて、あたしは永い眠りについた。

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