第6話 祈りと日常、そして片目の男

マイケルが盗賊の「仕事」を手伝わされるようになってから、彼の日常は生存闘争そのものに変わった。

夜明けと共に叩き起こされ、アジトの雑用をこなし、ナイフを握らされては仕留めた獣の解体を手伝う。わずか五歳の子供にはあまりにも過酷な日々。


「僕が頑張らないと、母さんとリリアが…!」

その一心だけで、マイケルは歯を食いしばった。


「マイケル、また泥だらけになって…! まあ、こんな所に傷が…痛むでしょう?」


マリアが薬草を塗り込もうとすると、マイケルは痛みを隠して無理に笑った。


「大丈夫だよ、母さん! これくらい平気!」

「でも、無理だけはしないで…。あなたに何かあったら、母さんは…っ」

「僕がやらなきゃ、母さんたちがもっと大変になるだろ?」


息子の痛々しいほどの健気さに、マリアは胸を締め付けられる。この子が「使える」と見なされることで、かろうじて三人の命が繋がっている。その残酷な現実を噛み締めるしかなかった。

彼女の祈りは、誰に届くでもなく、アジトの冷たい石壁に虚しく吸い込まれていく。


アジトでの暮らしは、むき出しの暴力に満ちていた。盗品を巡る醜い奪い合いや、斬り合いは日常茶飯事だ。その中で、ギルだけは変わらず、三人を守るように助け舟を出し続けていた。



ある晩、子供たちが寝静まった後、マリアが一人涙をこぼしていると、音もなくギルが近づき、水の入った革袋を差し出した。


「…飲めよ。少しはマシな水だ」

「ギルさん…いつも、本当にありがとうございます。…でも、どうして、そこまで私たちを?」


勇気を振り絞って尋ねると、ギルはしばらく黙り込み、やがて錆びついた扉を開けるように、重い口を開いた。


「…あんたたちを見てると、どうにもな。他人事じゃねえと思うことがある」


その声には、普段の彼からは想像もできない、深い感情が混じっていた。


「俺の母親は、ある貴族の屋敷で働くメイドだった。父親は、その家の主人さ」


マリアは息をのんだ。


「じゃあ、ギルさんは……貴族の血を…?」

「ああ、半分だけな。だが、その中途半半端な血こそが、連中の格好の的だった」


静かな怒りが、彼の声に滲む。


「腹違いの兄貴どもがいた。正妻の子で、俺みたいな“間違い”は、跡継ぎ争いの中で邪魔でしかなかったんだろう」


ギルは、まるで自分自身に吐き捨てるように言った。


「ある日、母親が血相を変えて俺の部屋に飛び込んできた。『今すぐ逃げなさい!』ってな。兄貴どもが、俺に罪をなすりつけて屋敷から追い出す計画を立てていたらしい」


彼の拳が、怒りと悔しさでギリギリと音を立てて震える。


「最初は信じたくなかった。血を分けた兄弟が、そこまで汚ねえ真似をするのかって。だが、翌日には暴力団みてえな借金取りが屋敷に押しかけてきやがった。兄貴が俺の名を騙って、多額の金を借りてやがったんだ」

「そんな……!」

「もみ合ってるうちに、そいつは…運悪く、階段から落ちて頭を打って死んだ。俺が殺した、ということになった」


ギルの声が、痛々しくかすれる。


「母さんが、全部見ていた。自分の体で時間を稼いで、俺に『逃げて!お願いだから生きて!』って叫んだんだ。俺を、守るために…最後まで…っ!」


マリアは言葉を失い、ただ目の前のギルを見つめていた。彼の唯一残った目が、焚火の光を反射して、悲しく潤んでいるように見えた。


「その後、母さんは病気で亡くなったと聞いた。……多分、口封じだろうな。俺は警備団に犬みてえに追われ、殺されかけ、この片目を無くした。飢えと傷でぶっ倒れてたところを、頭領に拾われたってわけだ」


壮絶な過去。マリアは、自分たちの境遇を重ねずにはいられなかった。


「だから…私たちを…」

「無力なもんが、理不尽に踏みにじられるのを見ると、どうしようもなく昔の自分を思い出す。……今の俺に何ができるわけでもねえがな。ただ、少しでも、惨めな思いをしねえようにって…そう思うだけだ」


彼の不器用な優しさの奥にある、決して癒えることのない心の痛みに触れ、マリアの胸は激しく締め付けられた。


「ギルさん…っ」

「…もう遅い。あんたも休め」


ギルはそれだけ言うと、いつものようにぶっきらぼうに背を向け、アジトの奥の闇の中に消えていった。


マリアは、彼の後ろ姿を見送った。

そして、初めて、この絶望の底で、かすかな光を感じていた。

孤独な戦いだと思っていた。だが、自分と同じように、理不尽な運命に苦しんできた者が、すぐそばにいたのだ。


(この地獄でも…助けてくれる人が、いるんだ)


その事実は、マリアの心に、明日を生きるための、小さな、しかし確かな勇気を灯したのだった。

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