第5話 アジトの日々 試練と小さな光
シーザー帝国から戻った盗賊団の新しいねぐらは、深い森に隠された、湿っぽく陽の差さない洞窟だった。
マリアにとって、それは再び息の詰まる日々の始まりだった。
彼女は他の女たちと共に、奴隷のように下働きに明け暮れた。食事の準備、雑用、そして盗賊たちの欲望のはけ口にされる夜もあった。
そんな絶望的な日々の中、母親の心痛など知る由もなく、幼いマイケルは持ち前の好奇心でアジトの中を駆け回った。
「こら、マイケル! そっちの剣に触っちゃだめ!」
マリアの悲鳴も、彼には面白い音にしか聞こえない。彼女が息子をかばうたび、盗賊たちの怒りを買うことも一度や二度ではなかった。
「ちっ、ガキのしつけもできねえのか!」
怒声と共に突き飛ばされる。マリアは唇を噛み、ただ耐えた。この子だけは何があっても守り抜く。その一心だけが、彼女を支えていた。
そんな二人を、若い盗賊のギルは変わらず気にかけてくれた。
他の者の目を盗んでは食料を分け与え、マイケルが怪我をしないよう、さりげなく危ないものから遠ざけてくれる。
「ギルさん…いつも、本当にすみません…」
「いいってことよ。坊主もやんちゃ盛りだからな」
彼のぶっきらぼうな優しさだけが、この暗闇の中の唯一の救いだった。
*
フラン王国に戻って2年目の春。マリアは自身の体に起きた異変に気づき、血の気が引いた。誰の子かもわからない命。
「ああ…神様…なぜ私ばかり……」
洞窟の片隅で
「おい、どうした? 顔が真っ青だぞ」
マリアは何も言えず、ただ助けを求めるようにギルを見つめ、そして、そっと自身のお腹に視線を落とした。
その仕草だけで、ギルはすべてを察したようだった。彼は深いため息を一つつくと、決心したように言った。
「…俺が何とかする。頭領には上手く話しといてやる。お前はとにかく、体を大事にしろ」
ギルの言葉は、暗闇の中で差し伸べられた一本の細い蜘蛛の糸のように思えた。
「ギルさん…」
マリアは、かすれた声で彼の名を呼ぶことしかできなかった。
ギルは約束通り、マリアが重労働から外れるよう取り計らい、栄養のあるものを優先的に回してくれた。その献身的な行動は、仲間たちのいやらしい噂の的となったが、彼は意にも介さなかった。
そして、凍えるような3年目の冬。
マリアは、ギルと他の女たちの助けを借り、命がけで女の子を産んだ。娘に「リリア」と名付けた。
「かあさん、あかちゃん、ちいさいね」
4歳になったマイケルが、おそるおそる妹をのぞき込む。
「そうよ、マイケル。あなたの妹よ。お兄ちゃんだから、優しくしてあげてね」
マリアは弱々しく微笑んだ。この地獄で、二人の子をどう育てればいいのか。途方に暮れそうな心を、リリアの小さな寝息と、マイケルの無邪気な瞳が必死でつなぎとめていた。
*
そして、マイケルが五つの誕生日を迎えた頃、恐れていた瞬間がついに訪れた。
その日、アジトの広間で酒を飲んでいた頭領が、隅でリリアと遊ぶマイケルに目をつけた。獲物を見つけた獣のように、その目がギラリと光る。
「おい、そこの小僧。こっちへ来い」
頭領の低い声に、マイケルの小さな肩がびくりと震えた。マリアに促され、おそるおそる前へ進み出る。
「お前もそろそろ役に立ってもらわねえとな。明日から、俺たちの『仕事』を手伝え。まずは見張りからだ。できるか?」
ついにこの時が来た。愛する息子が、人としての道を踏み外す手伝いをさせられる。
「お、お待ちください、頭領! この子はまだ幼すぎます! どうかお慈悲を!」
マリアは地面に手をついて懇願したが、頭領は冷たく言い放った。
「黙れ。こいつが飯を食えるのは誰のおかげだ? 嫌なら、親子三人でここから出ていくか? この山を生きて降りられる保証はねえがな!」
マリアは言葉を失い、ギルも唇を噛み締めるだけだった。
「かあさん…どうしたの? お顔がまっさおだよ?」
何もわからぬまま、マイケルが不安そうにマリアを見つめている。彼女は震える手で息子をきつく抱きしめた。
「大丈夫よ、マイケル…母さんが、ちゃんとそばにいるから…」
その言葉が、どれほど無力か。彼女自身が一番よくわかっていた。
翌日から、マイケルは盗賊たちの「仕事」を手伝うようになった。
アジトの入り口での見張り。それが彼の最初の役目だった。
「ここをしっかり見てろよ! あやしい奴が近づいたら大声で知らせるんだ!」
「うん、わかった!」
緊張しながらも、どこか誇らしげに返事をする。大人たちからもらえる木の実の褒美。退屈な日々の中の、少しだけスリリングな「ごっこ遊び」。
幼い彼にとって、そこが危険な世界の入り口だとは、まだ知る由もなかった。
「母さん、見てるー?」
洞窟の奥から自分を見つめるマリアに、マイケルは無邪気に手を振る。
マリアは、その先に待ち受ける過酷な運命を思い、胸が張り裂けそうになるのをこらえながら、ただ力なく微笑み返すことしかできなかった。
息子が人として生きる未来を、今はただ、祈るように。
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