第3話 失われた光と癒(い)えぬ傷痕

マイケル誕生の祝宴に酔いしれた屋敷を、翌朝、絶望の叫びが引き裂いた。

「坊ちゃまが! マイケル坊ちゃまがいらっしゃらないのです!」


乳母の悲鳴に、エリザベートは寝室から飛び出した。だが、そこにあったのは、冷たくもぬけの殻になった揺りかごだけだった。


「どうしたのだ、この騒ぎは!」

駆けつけた夫、アルフォンス・ホワイト男爵に、エリザベートは泣きながらすがりついた。

「あなた…マイケルが…いないの!」


事態を把握したアルフォンスの顔から、瞬時に血の気が引いた。

彼はすぐさま屋敷中の者を集めさせたが、有力な情報は出てこない。ただ一つ、気になる報告を除いては。


「旦那様…昨夜から、デイビスとマリアの姿が見えませぬ。部屋ももぬけの殻で…」


その名に、アルフォンスの目に鋭い光が宿った。数日前に赤子を亡くしたばかりの夫婦。


「……奴らか」アルフォンスは低く唸った。「我が子を失った悲しみで、正気を失ったとでもいうのか…!」

「あなた、まさか……」

「他に考えられるか! すぐに騎士団長を呼べ! 国中を引っ繰り返してでも探し出すのだ! マイケルを…無事に取り戻せ!」


アルフォンスの怒号が、慟哭どうこくする妻の嗚咽おえつに重なって、虚しく響き渡った。



捜索は迅速に、そして大規模に行われた。


「デイビス夫妻らしき二人が、王都の南門から出ていったとの目撃情報が!」

「奴らの故郷は南西の村だ! 主力をそちらへ向けろ!」


アルフォンスは執務室に籠り、不眠不休で指揮を執った。地図は無数の書き込みで黒く染まっていく。だが、もたらされる報告は、彼の心を絶望へと追い詰めるものばかりだった。


「故郷の村に姿はありません。周辺の聞き込みも空振りに…」


捜索開始から十日が過ぎた頃、騎士団長が息を切らせて駆け込んできた。


「男爵様! ご報告が!」

「見つかったか!?」


アルフォンスは椅子から跳ねるように立ち上がった。


「マイケルは、マイケルは無事なのか!?」


その問いに、騎士団長は苦渋の表情で膝をついた。


「……シーザー帝国との国境に近い街道で、デイビスと思われる男の遺体が発見されました」

「なに……!?」

「おそらくは盗賊の類に襲われたものかと。しかし…誠に申し上げにくいのですが、赤子の姿は……その周辺では一切…」


デイビスの死。そして、行方の知れぬ我が子。

わずかな希望と最悪の想像が、アルフォンの心をかき乱す。


「……捜索を続けろ! 付近の盗賊団は全て叩き潰せ! マイケルの痕跡を、どんな些細なものでも見つけ出すのだ!」


だが、その命令も空しく、数週間、数ヶ月と、無情に時間だけが過ぎていった。



季節が巡り、屋敷の庭の緑が枯れ、やがて白い雪が全てを覆い隠した。

マイケルが消えてから、一年が経とうとしていた。

エリザベートは日に日にやつれ、食事も喉を通らない。夜ごと悪夢にうなされ、息子の名を呼びながら目を覚ます。その姿を見るたびに、アルフォンスの胸もまた張り裂けそうだった。


ある夜、アルフォンスは寝室で、窓の外の月を見つめる妻の細い肩をそっと抱いた。


「エリザベート…もう、いいのではないか」


その言葉の意味を察し、彼女は静かに首を横に振る。


「いいえ……あの子を、諦められませんわ…」

「だが、お前の体が心配だ。それに…ホワイト家には世継ぎが必要なのだ」

「でも…もし、マイケルがどこかで生きているとしたら…私たちが諦めたら、あの子は…」

「諦めるのではない」アルフォンスの声は、苦渋に満ちていた。「だが、我々も前を向かねばならぬ。万が一、マイケルが戻ってきた時、このホワイト家が健在でなければ、あの子を迎えることもできぬではないか」


それは苦しい言い訳のようにも聞こえたが、同時に真実でもあった。

エリザベートは夫の胸に顔をうずめ、声を殺して泣いた。


やがて、彼女は顔を上げた。

その瞳には、まだ深い悲しみの色はあったが、どこかふっ切れたような、覚悟の光が宿っていた。


「…わかりましたわ、あなた。マイケルのことは…生涯忘れません。でも…私たちは、前に進まなければ」

「ああ…」

「次の子を…考えましょう。このホワイト家を、未来へ繋ぐために」


それは、絶望の淵からようやく見つけ出した、小さな、しかし確かな希望の光。

それでも、最初に生まれた光を失った深い傷痕が、完全に癒えることは生涯ないだろうと、二人は静かに予感していた。

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