影とビール

立談百景

影とビール

 ソウタは初めてじゃないと言っていたが、それはきっと嘘なんだと思った。

 私の身体を触る手つきはどこかしかったし、酔ってるから勃ちにくいと言って中折れしてたし、結局最後はどうにか手で終わらせて、それでもソウタは終始どこか浮ついた様子だったからだ。

 でもそれをソウタに言うことはしない。彼は小さくなって絶望した顔でしょぼくれていて、それでも不器用に余裕のある振りをしていて、それがどこか可愛いと思ったからだ。

 ――ソウタはひとつ下の大学の後輩で、同じ高校の出身だ。高校時代はソウタのことを知らなかったけど、彼が映画サークルに入ってきて以降、よく話すようになった。

 筋肉質ではないけど背は高く、どこか骨張った印象の男。気の強い方ではないし、和を重んじるタイプで、はにかみ顔が可愛いやつ。

 私としてはていの良い、飲みに付き合ってくれる後輩ができて嬉しかった。映画の趣味も話も合う……というか、合わせてくれるし、お互いにジャンルの違う話をしても変にぶつかったり気負ったりすることもない。

「ユエミ先輩の話は面白いし、好きですよ」と、いつかの飲み会で言われて、私もどこか絆されたところがある。サシで飲むことも増えたし、最終的には私の一人暮らしのワンルームに呼んで宅飲みしながら映画を観る、なんてこともしょっちゅうやっていた。

 狭い部屋に押し込んだギリギリ二人掛けのソファに身を寄せて、無理して買った分不相応に大きなテレビで映画を観る。ソファの前の小さなテーブルにグラスを置き、500mLの缶ビールを二人で分ける。

 私の中では、ソウタは男じゃなかった。

 だからソウタと付き合うとかそういうつもりも無かったし、ソウタがどう思っていようと、この私のことを尊重してくれる後輩を都合良く利用していたと言えば、そうだろう。

 だからその日、部屋にきて酒を飲み映画を見た後にソウタが私をベッドに押し倒しても「良いよ」と言ってそれを受け入れて、まあ……罪滅ぼしみたいな気持ちで体を開いたのだ。

 ソウタは私のことが好きなんだろう、なんて気付かないほど鈍感ではない。私のことが好きで我慢できなくなって押し倒してくるなんて、いじらしいとも思う。

「ごめんなさい、俺……」と、パンツだけ履いて、いつものソファに腰かけるソウタに、私は冷やしていた水のペットボトルを渡す。私も下着姿のまま、その隣に腰かける。ソウタが水を一口二口飲んでテーブルに置いたのを、今度は私が口をつけ、半分までごくごくと飲んだ。

「……ま、次はお酒飲まないで、しようね」と、私はわざとらしく明るく言った。

 けれど二回、三回と寝ても、ソウタとはうまく出来なかった。

 別にソウタと寝るのは嫌じゃなかった。私だって誰とでも寝るわけじゃない。だからそういう意味で、ソウタは特別ではある。求められるなら応えてあげたいと思うし、嫌われて離れていかれるのも嫌だった。

 ――なし崩し的に付き合うことになっても、まあそれはそれで構わないかも知れない。身体の相性は悪いのかも知れないけど、別にそれだけが全てじゃないし。二人で部屋にいて、テレビを消したとき、その黒い画面に二人分の影が映り込むのも、悪くはないと思っていた。

 なんて思うようになった頃、珍しく部室に来ていた映画サークルの同期のササグチから「イリエジ。キミ、コイデ君となんかあったん?」と何かを探るようにそう聞かれた。

 ササグチは関西のどこかの訛りの強い、色白で華奢で、飄々とした男だ。いつも人につかず離れずフラフラと色んな人間の元を渡り歩いてるようなやつで、掴み所のないやつだった。

「別に何もないけど、なんで?」

「何でも何もないよ。なんとなしそう思っただけや」

「ふうん、そう」

 ササグチに話すようなことは何もない。ササグチはソウタのことを一方的に気に入っているようだけど、ソウタはササグチのことは少し苦手みたいだった。確かに人を常に煙に巻いてるようなやつと、人の良いソウタは馬が合わないのかも知れない。

「あんたに心配されなくても、仲良くしてるよ」

ねえ」

 ササグチはどこか含みを持たせた顔をしていた。

 ソウタから何か聞いているのかも知れないが、ソウタが私にそれを話さないのなら、それは知らないこととしておいた方がいいだろう。

 仮にササグチに何か言われても、こいつは私とソウタにはなんの関係もないのだし。

「――まあええよ。そんで悪いけど今晩、ボクがコイデ君借りるで」

「わざわざそんな許可取りに来たの? ……ソウタは私のじゃない」

「そうかそうか、ほんなら安心やね。じゃそういうことで」

 そう言うとササグチはひらひら手を振りながら、部室を出て行った。

 ……その晩、ソウタから連絡があったのは午前一時を回ってからだった。家に泊めて欲しいと言うので、私は何も聞かずにそれを受け入れた。

 家に来たソウタは、どこか熱を帯びた表情をしていた。

「ユエミ先輩、俺」

 急いできたのだろう、肩で息をするソウタが、玄関先で出迎えた私を強く抱き締める。熱く、固い身体。じっとりと湿気を感じる吐息に、私も少し熱に浮かされた気がした。

 ソウタからは、お風呂上がりの匂いがする。

 そんなにすぐに私としたかったの?なんて思うのは尊大だろうか。けれどそう思うと、腹の奥がジリジリと熱くなるのが分かった。

 ソウタを部屋に引き入れ、ベッドに座らせて、彼のズボンを脱がす。股間の膨らみは、しかしまだ勃っていないみたいだった。ボクサーパンツ越しのその肉の棒に触れ、上目でソウタの顔を見る。どこか苦しそうな顔――でもその顔を、私は見たことがないような気がした。

 そしてボクサーパンツを脱がすと、汗ばんだソウタの香りと、それに乗る石鹸の香りと、その奥に、の臭いがして、私は思わずたじろいだ。

 ソウタは私の怪訝な顔が見えたのだろう、私が何か言葉を発するよりも前に「ごめんなさい、ごめんなさい」と、泣きそうな声を上げた。

 先輩とは、できません。と、ソウタは言った。

 ――だったら誰とならできるんだよ。

 私はソウタの言葉に少しカッとなり、その萎えた性器を手で強く扱いた。しかしそれが固くなることは終ぞなく、私はソウタを放っておいて、手を洗うために洗面所に向かい、念入りに、ただいつもより念入りに、手を洗った。

 ソウタには服を着てもらい、夜だからと追い出すわけにもいかず、私は無言でソファに座って、ネトフリでおすすめの一番上に出ていた映画を流し始める。ソウタは私の隣には来なかったので、私はソファに横になった。映画の内容は何も入ってこない。

 私はソウタを追い出さなかった。それはまだここに居て良いのだと言う合図だったし、私はソウタが何かを言うのを待っていたし、けれど彼がどうやら泣いているらしいのを、抱き締めることはしなかった。

 結局ソウタは、私と顔を合わせることもなく、泣きながら部屋を出て行った。

「コイデ君、ほんまにイリエジのこと好きやったらしいんやけどなあ」

 翌日、私が部室に一人でいるのを狙い澄ましたように、ササグチがやってきてそう言った。

 ソウタは――ササグチと寝ていたらしい。

 男同士で、男同士で、男同士で。

 私はそういうのを差別しない人間だと思っていたが、無理だった。

 素直に気色悪いと思ったし、私はソウタのボクサーパンツを下ろしたときに誰の精液の臭いを嗅いだんだろうと思うと、鼻腔の奥にこびりついたその臭いをいつまでも思い出すようになってしまった。

 きっと、ソウタは私のことが本当に好きだったのだ。

 だけど身体は違った。

 ササグチはそれを分かっていたのだ。

「かわいそやったな、コイデ君。キミとようできんからって相談してきて、いじらしかったよ。――でも身体に嘘はつけんやろ? ボクはそういうの、なんか分かったから」

 ……だから、私を抱いても不完全燃焼になったソウタを、ササグチが満足させたのだ。

「コイデ君から言づて預かっとるけど、聞く?」

「……聞かない」

「ほなコイデ君に、何か言づてある?」

「ないよ」

 私はササグチとこれ以上の会話をしたくなかったので、部室を出て、どこに行くでもなく歩き始めた。

 それから、しばらく日が経って。

 キャンパスの西側の渡り廊下に彼らが二人で居るのを見つけた。

 私はそれをなぜか、遠い向かいの校舎の廊下から見ていた。二人は並んで、何かを話しているようだ。

 渡り廊下の屋根が影を落とし、彼らの表情はうまく見えなくない。暗い人影がふたつ。

 ふと、二人の影が重なった。

 それはそもそも始めから一つの影だったんじゃないかと、どこか映画でも見るように、ぼんやりとそう思った。

 私はその影法師から目を背け、350mLの缶ビールをコンビニで買って家に帰って、グラスに注ぐことなく、そのまま口を付けて飲み干す。

 それでも私には少し多い量だったと思う。


おわり

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