(7)空襲

  ロビーの椅子に座って、

 

 「今日は、予定通り、甲武国境の山道の方に行きはりますね」

 

 とアズサが確認する。すると、アヤミが、

 

 「アズサちゃん、ウチ、今日、穴に入りたい」

 

 アズサは一瞬、アヤミが遅刻魔なので、「穴があったら入りたい」と言ったのかと思ったが、そうではないらしい。

 

 「穴て?」

 

 「地下壕」

 

 「地下壕?」

 

 「この街は、戦争中の地下壕があちこちにあるらしいんよ。ウチ、ここに来る前から興味あってん。有名なところは市で月イチとかで一般公開してるんや。けど、今回こっちに来る日程だと、公開の日が合わんで、これは見られへんな思っとったんよ。そしたら」

 

 「はい」

 

 「昨日、取材の後ホテル戻ってネットで調べたら、個人で穴持ってはる人がおるのが分かって、さっき電話で聞いたら、今日午後見せてくれはるって。だからウチ、今日作業着やねん」

 

 「え、そうなんですか。さすがアヤミさん!」

 

 アヤミはどうやら一種の「人たらし」らしい。関わった人はたいていアヤミを好きになってしまう。アズサもあっという間にアヤミと親しくなった。同じように、地下壕の所有者も、今朝のいきなりのアヤミの電話で、普段は見せない地下壕をあっさり見学させてくれるという。

 

 アズサとアヤミは、ホテルから一旦歩いてアズサの会社に行き、少し打合せをしてから、また昼食を取って、そのあと、アズサの車で、地下壕の所有者のところへ向かった。

 

 「アズサちゃん、ここらへん、ひどい空襲があったって、知っとった?」

 

 「はい、少しは」

 

 この街は、戦前から関東の主要都市のひとつで、特に、旧陸軍の施設が多かった。空爆にそなえて、トンネル式の地下壕が各所に掘られ、一部は軍需工場として使われていた。そして、終戦の数日前に、この街は大規模な空襲を受けて大きな被害を受けた。市街地の大部分が焼け、数百人の死者が出たという。

 

 「知っとるて、さすがやね。というか、有名やもんね。ホンマ怖い話」

 

 「はい、悲惨ですね」

 

 「それから、大津も空襲受けたやんか?」

 

 「え、そう、でしたっけ?」

 

 自分の出身地も戦争末期に空襲を受けたことは、アズサも、小中学校時代に学校で習ったことがあったはずだったが、アヤミに言われるまでは、すっかり忘れていた。この時は、軍需工場が狙われ、一般市民にはほとんど被害が無かったが、工場関係者十数人が犠牲になった。

 

 「大津は、こん時、原爆落とされたんやで」

 

 「え、ウソ? 原爆?」

 

 「知らんかったやろ」

 

  アズサはアヤミの言葉に少し口が開いたままだった。

 

 「原爆って、広島と長崎だけやないんですか?」

 

 「ゴメン、正確には、原爆と同じ形の模擬爆弾や」

 

 「モギ爆弾?」

 

 「うん、アメリカは、広島の原爆は、ぶっつけ本番で落としたんやて。長崎の原爆はそれとは全然違う形のものやったんで、落とすときにどうやって落ちていくか、ホンマモンとまるきりおんなし形と重さの爆弾を何十個も作って、日本のあちこちに落として実験したんやて。えげつないやんなぁ」

 

 「模擬爆弾て、どうなったんですか?」

 

 「普通の火薬が何トンも入っとったらしい。何トンて、爆弾としてはめっちゃ大きいんやて。だから、大津は一発だけ、軍需工場に落ちたんやて。で、その一発で十何人亡くならはった」

 

 「ここも大変やけど、大津は原爆の模擬爆弾かぁ」

 

 アズサは、空襲というと、街を焼き払う焼夷弾のイメージしかなかったので、こんな攻撃のやり方あったのかとおどろいた。

 

 「ここは数百人、大津も十数人亡くなっとる。コワイなぁ」

 

 アヤミが静かに言う。

 

 「ここの空襲は、焼夷弾がめっちゃ落とされて、ひどかったらしいですね。それに比べて大津はまだよかっ…」

 

 「アズサちゃん、それちゃうで」

 

 「え」

 

 アヤミがアズサの言葉をさえぎった。

 

 「人が十人死んだら、悲しむ人は、一人死んだときの十倍おるんやで。一人死んでも、一万人死んでも、一人一人に悲しむ人の数は一緒なんや。そやろ?」

 

 「あ、はい…」

 

 アズサは、なにか自分の考えがひどく薄っぺらで、アヤミがその下にある隙間にいきなり、金属のヘラのようなものを差し込んで、自分の考えがベリベリとはがされたような気がした。本当の悲しみや辛さは、はがされた地の面にむき出しになっている。そう思ったら、急にアズサの体に震えが来たように感じた。

 

 「アズサちゃん、どうしたん?」

 

 アヤミが無邪気に尋ねる。

 

 「え、いや、ちょっとウチ、なんや考えが浅かったて…」

 

 「ん? なんやよう分からへんけど、大丈夫?」

 

 「はい、問題ないです。かんにん」

 

 「あ、アズサちゃん、あの店入って。あの百均!」

 

 アヤミが急に指示する。アズサはきょとんとしながら、アヤミの指した百円ショップの駐車場に入った。店内に入ったところでアズサが尋ねる。

 

 「アヤミさん、なに買わはるんですか?」

 

 「ライトよ、ライト」

 

 「あ、そっか」

 

 アヤミは、ひたいに付けるヘッドライトと、手に持つ懐中電灯を二個ずつ買った。百円よりは高い値段の、すこし良い作りのものである。

 

 「アヤミさん、さすがですね」

 

 準備のいいアヤミにアズサが感心する。

 

 「逆やよ。ウチ、作業着は持ってきたのに、ライト持ってこんかった。いつも抜けてるんよ」

 

 笑いながら自分の欠点を白状する。憎めない性格だった。

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