(4)高台
アズサが会計をして、また徒歩で社に戻る。部長に昼食の報告と、簡単な清算をして、今度は午後の取材に行く。アヤミの希望で、今度は、アズサが社用車を運転して、市の外れにある小高い山の中腹の見晴らし場所に上がった。アヤミは、作品の舞台となるこの市の全体を、高いところから一望してみたいという。
「わぁ、街が全部見えはるね、ここ」
アヤミが、街を一望できる眺めに驚いて言う。
「はい、ここはホンマに眺めがええですよ。真ん中の、ビルがぎょうさん建ってはるあたりが駅ですね」
「ホンマにぎやかやね。大津よりもよっぽど都会や」
「一応、東京ですから」
「アハハ、そうやんね。東京で県庁あるとこいうたら、新宿の都庁やもんね。かなうわけないか」
アヤミは、ここから街が一望できる眺めには満足したようだった。そして、地元の文学賞の大賞をとった作品に話を移す。アヤミの受賞作は、「石山から眺むあはうみの光」というタイトルの、石山という場所から琵琶湖の風景を見た女子高生が、平安時代に思いをはせて自分の心情を吐露する、という小説だった。石山はアズサの実家のすぐ近くである。
「ウチ、びわ湖文学賞の文章を書いた時、石山から琵琶湖を見渡して書いてみよう思うたんよ」
「はい」
「せやけど、石山のあたりって、高いところから湖を見渡せるところが意外にないねんな」
「あ、そかもしれへん」
「そやから、ウチ、高校の時の担任のセンセに頼んで、あのあたりのマンションの上の方の人の家に上げてもろて」
「知らん人の家?」
「うん、センセの紹介。で、その家から琵琶湖見させてもろてん。そしたら、ちょうど太陽が背中にあって、なんや、琵琶湖がキラキラ光っとるんよ。で、なんや爽やか言うんか、そよ風みたいのがサーッと吹いてきて、ウチの髪を揺らしてん。そん時に、ウチの頭の中に、その光景を表現する文章が、バーッと湧いてきて」
「バーッと」
「そしたら、なんや、平安時代の琵琶湖の景色とかのイメージもうわーっと来て」
「はい」
「うん、ほんで、その家にお礼言うて、下に降りて、マンションの前の道路で、ドーっと出たやつを忘れんうちに、ガーッと携帯で打ち込んで」
「マンションの下でですか」
「うん、気づいたら三時間ぐらい経っとったわ」
歩道で立ちながら、三時間もスマートホンで文章を打ち続けたというアヤミに、アズサは素直に驚いた。
「で、できた文章を見てみたら、結局、ウチが高校三年間通っていた時の気持ちが平安時代に飛んだみたいになって、それと琵琶湖の光が一緒になって書いてあった、て感じかな。つまり、完全な私小説や」
「携帯の充電、もったんですか?」
「アハハ、そこか。ギリギリもったよ」
アズサの質問も、関連がありそうな、外していそうな、なかなか普通の人間には出ないようなところを突く。
「文章がバーッと湧いて、それで書けたんですか」
「うん、なんで書けたんやろな。せやから、今日はここの高いところに連れてきてもろてん」
「はい」
アズサが圧倒されながらも、ちょっと心配になって尋ねる。
「あの、こっからの景色はどうですか? なんかバーッと出ましたか?」
「あ、いや、なんも出えへん。かんにん」
アヤミは笑いながら答える。
「いえ、全然」
それを笑顔で受けるアズサは、もう一つ聞きたいことがあった。
「あの、アヤミさん、もう一つ聞いてもいいですか?」
「うん、なに?」
「京都卓越科学大学の先端理工学部に入ったのに、なんで作家なんですか?」
京都卓越科学大学というのは、アヤミが入学した、超絶難関大学である。アヤミはここの先端理工学部に入学して、ロボット工学を専攻していた。
「ウチ、行く大学決める時に、たまたまロボット工学の入門の本を読んだんよ。ほら、よく、マンガで書いてあるやつ。そしたら、なんや面白うて、大津の本屋に行って、専門書みたいの買うたんや。で、読んでみたら、自由度があって、座標変換すると、回転行列でそれが書けて、パラメーター変えてトルクで制御すると、自由に動くて、面白いやん」
アズサには外国語に聞こえるような答えだった。
「あ、はい、それで、なんでその道を進まはらなかったんですか?」
「うん、ロボットてな、結局、世界中で研究者が数えきれんほどおって、毎日メチャメチャ研究しとるやん。アメリカとか中国とか、もうすごいんよ。今は、ロボットがバック転とか普通にしよるん。で、結局、人間や動物と全くおんなし動きができるようにみんながんばってはるんやけど、人間や動物とおんなし動きて、見たらわかるやん。なんか、行きつくところが見えてしもてる気がして。ホンマは、もっとすごい人は、なんやそんな人間とか動物とかの動きとかとは全然違う、もっと、なんか映画に出てくるスーパーなやつ作らはるのかもしれへんけど、ウチ、そういうの全然イメージできひんかってん。なんや、ウチ、あんなんすごい人たちの間で、ウチみたいなもんがゴソゴソやったかて、なんになるんかな、て思て」
「はい」
「でも、文章やったら、すぐに自由に自分の考えを込めて書けるやん。それが好きなんよ」
アヤミは、自分の考えを自由にめぐらしたいために、最先端のロボット工学ではなく、文筆家を選んだという。アズサには自分の理解を超えたところでの選択のように思えた。
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