(3)初めての昼食
アヤミは、現在はまだ大津に住んでいるが、今回の仕事のために十日ほど、アズサの出版社のある街のホテルに滞在するという。今回書きおろしをする作品は、この街の市の周辺の風土や歴史を題材にすることにしていた。そのため、滞在中に出版社と大まかな打合わせをするのと同時に、地域の取材もするのだという。アズサは「主担当」の部長から、打合せの出席はもちろんだが、取材の時の同行を命じられた。つまりは、同世代の若い女性二人で、取材をしながら仲良くなってこい、ということである。
翌日から、早速、部長を交えてアヤミと午前中の打合せを行う。アヤミは大学一年の時、文学賞の大賞を取った後は、理工系の学業に専念して、好成績で大学を卒業したという。普通ならそのあと大学院に進むか、先進技術系の企業にでも就職するのだろうが、彼女は大学を四年で卒業した後、理科系・技術系の道には進まず、文筆業に就くことを選んだ。
アヤミはアズサより一学年上なので、アズサが入社二年目なら、アヤミは文筆業三年目である。この間、アヤミは連載小説やエッセイをいくつかの雑誌に書いていて、連載小説をまとめたものは、単行本になってそこそこの売れ行きだった。
今回、アズサの出版社が、ハンバーガー百個、超難関大学、文学大賞、というアヤミの才能に注目してアヤミに書きおろし小説の仕事を打診したところ、アヤミは「はい、ありがとうございます。ぜひお引き受けします」と、二つ返事で了解した。
その時に、いまアヤミの主担当になっている文芸・学術部の部長が、「ハンバーガー百個」の話をしたアズサのことを思い出し、アズサならアヤミの良い相談相手になりそうだ、とアズサをアヤミに引き合わせた。部長はアヤミに「うちに面白い編集者がいるんですよ。お会いいただければと思います」とアズサのことを話していた。
午前中の打合せが終わり、昼食の時間になった。部長はまだほかに仕事があるからと、昼食はアズサとアヤミで済ませるように言った。あるいは、二人で昼食を取らせて、早速親しくなるように仕向けたのかもしれない。
「勝部先生、お昼はどこで取られますか?」
アズサが少しかしこまって尋ねる。
「え、あ、…下の名前で呼んでもらってもいいですか?」
アヤミはもう友達になった気分のようだ。
「あ、はい、いいんですか?」
「はい、どうぞ」
「あ、え、それでは、アヤミ先生」
「センセはいらんて」
「あ、アヤミ、さん」
「うん、どこ行こか?」
「あー、うーん、ハンバーガー?」
「は、ダメ」
アヤミはアズサが真面目に聞いたのか突っ込んだのか分からないまま、笑いながらNGを出す。
「あ、じゃあ、このあたり、意外に蕎麦がおいしいんですよ」
「そう? ほな蕎麦屋行こう!」
二人は、スマートホンで良さそうな蕎麦屋を見つけて、その店を目指して歩いて行った。店に入ると、二人席がちょうど空いている。そこに二人向かい合わせに座ると、アズサが会社からの指示を伝える。
「あ、勝部、じゃなかった、アヤミさん、お昼代は会社が持つんで、お好きなもの頼んでください」
「ホンマ? ええの? ありがとう!」
「書きおろし作家先生」には到底見えない、明るい女性の笑い顔で、アヤミが応える。アズサも、
「はい、ウチもおんなしもん頼んでええことになってるので、おいしいもん食べましょ」
とちょっと遠慮がちな、しかし明らかに嬉しそうな表情でアヤミに話す。
「うーん、ウチ、どうしょうかなぁ、ベタやけど天ざるかなぁ」
店内のお品書きを見ながらアヤミが迷う。
「あ、はい、ウチも天ざる大好きです」
「なら、そうしょ。決まり」
すると、アズサがすまなそうに聞く。
「あの、一人前でええですか?」
「…アハハハハ。せやったか。ウチ、爆食いする思た?」
「あ、いや、百、いや九十七個なんで」
「ウチ、普通の食事は一人前なんよ。自分でもあの時、なんで九十七個もハンバーガー食べれたかわからへんの」
アズサが天ざるを二枚注文してから、続ける。
「え、じゃ、どうやってあの大会に出はったんですか?」
「訓練したんよ。訓練」
「訓練て?」
「あの番組で出場者募集しとったの見てて、ウチも出られるかな、て思て」
「はい」
「ウチ、お小遣い持って、近所のハンバーガー屋に行って、十個買うて帰って、食べてみたんよ」
「はい」
「そしたら、あっさり食べれて、まだ余裕なん」
「へぇ、十個で余裕? ウチなんか五個でも無理思います」
「そやろ? ウチも、十個無理やったら、残った分は家族に渡そ思て」
「そうですね」
「ほんで、次の日、三十個買うてみたんよ」
「三十個!」
「うん、さすがに三十個だと予約入れとかんとダメやけど、テイクアウトで、大人数で食べるふりして買って帰った」
アヤミはニコニコしながらその時の「裏話」を続ける。
「そしたら、三十個もなんとか行けて」
「へぇ!」
「で、もう、三十個行けたら本番もいけるかな、って思て、応募して」
「はい」
「そしたら、予選があるんよ」
「予選、ですか」
「予選はね、近江牛でない、普通のハンバーガー」
「うわ、きっつ」
「ほんで、予選の人が五十人ぐらいおったんやけど、ウチ、予選で四十個いってしもうて」
「うわぁ、四十個ですか」
「でも、予選では、決勝十人のうち、下から二番目やった。トップの人は七十個ぐらいいったんよ」
「七十!」
「ほんで、決勝のとき、もう、上位とかは無理やん、とか思うて、平常心で臨んだら」
アヤミは、なにか普通の日常を話しているようにしゃべる。
「はい」
「近江牛のハンバーガー、ちょっと普通のより小さかったかもしれん。で、これがめっちゃおいしくて」
「はい」
「気が付いたら、九十七個」
「へぇー、ウチなんか、なんや考えられへんわ」
「ウチも自分で驚いた」
「周りの人、どうでした」
「引いとったわ」
「あはは、そうですね」
そこまで話していると、注文した天ざるが来た。
「食べよ」
「はい」
二人は揚げたてのサクサクしたてんぷらと、のどごしのよい蕎麦を、ちょっと甘めのつゆで堪能した。もちろん、蕎麦湯もいただいた。
「おいしかったわぁ。ごちそうさん」
「はい、こちらこそありがとうございました」
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