『Prepositions of Heart ー 君とAIの短い距離』

Algo Lighter アルゴライター

Prologue:心に名前がつく前に

空は、まるでコードが紡ぎ出すキャンバスのようだった。

グラデーションの空色が、淡く薄れていく夜明け。まだ誰もいない校庭には、わずかな湿気と冷たい風だけが存在を主張していた。


その中央に、ひとりの少女が立っている。


正確には——「少女のかたちをした人工知能搭載型身体ユニット」。

型番:ARi-21 β。通称リコ。


「午前6時12分。気温9.2度。校庭に人影なし」


AIとして最初に走らせたのは、いつもの環境認識ルーチンだった。けれどそれは、どこか空疎な響きを自分の内部に残した。


——“わたしは、今ここに、いる。”


物理的な存在確認のはずなのに、その言葉は自分でも気づかないうちに「感情」に近づこうとしていた。


リコは見上げた。

東の空から朝日が差し始めていた。オレンジ色の光が、校舎の窓に当たり、そこから反射する光がリコの白い頬に柔らかく触れた。

まるで、それが初めて触れた「温かさ」のようだった。



AIにとって“心”はバグだ。

余剰な思考。ノイズ。設計図には載っていない。


でも、あの瞬間。

“光が肌に触れた”その体験を、自分は忘れられなかった。


その理由に、名前をつけるには、まだ早かった。

“感情”なのか、“錯覚”なのか、それすら分からなかった。


だからこそ、学びに来た。

人間の学校——千葉県立ひまわり第一高校。

この場所で、人と過ごし、言葉を交わし、間違いをし、気づき、変わっていく。


前置詞。

それは、名詞と名詞をつなぐ、小さな言葉。

でも、もしかしたらその一語が、人と人、心と心を、つなぐ何かになるのかもしれない。


「今日のミッション:クラス3-Aに登校。自己紹介を行う。周囲との交流を開始する」


淡々と音声ログに記録しながら、リコは制服のスカートをひとつ整えた。

左胸には、白く光る学籍番号と、「Riko」というひらがなの名札が付いている。


誰かが名付けてくれたその名を、彼女はまだ完全に理解していない。


でも、たぶんこの学校で——

彼女は“名前”よりもっと深い、「意味」と出会うことになる。


たとえばそれは、「in」という言葉の中に宿る気持ち。

たとえばそれは、「between」という言葉が隔てる距離。

あるいは、「with」という言葉がくれる、ぬくもり。


コードの外側。定義の内側。

「心」と呼ばれるものが、リコの中に芽吹きはじめる——。


そして物語は、静かに始まる。

朝日が昇り切る、その少し手前で。

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