第6章:死をまたいだ通帳──制度が答えなかった管理の構造

【節1】DAY 5|死をまたいだ通帳

ある年の冬、一人の高齢者が亡くなった。

だが、その数か月前から、妙な動きが始まっていた。


通帳から、金が出ていく。説明はない。

誰のために、何の目的で使われたのかも、明かされなかった。




通帳の名義は、たしかに別人の名だった。だが、それは家業の収益が流れる通帳であり、

実際の管理と支出の決定は、長年その高齢者が担っていた。


そして──その通帳を誰が使い、誰が記録し、誰が税務申告していたのか。

そこに浮かび上がるのは、**名義とは異なる“実体の構造”**だった。




さらに奇妙なことに、

その人物がまだ生きていた間に「使った」のではなく、


「詐欺に遭ったから持ち出した」


という言葉だけが、理由として語られた。




対立と沈黙


通帳をめぐる対立は、何度もあったという。小さな諍い。重なる不信。

けれど、それらは制度の外側で起き、

記録にも残らず、ただ時が過ぎた。


制度は、応答しなかった。「詐欺が理由」と言われれば、

それ以上の検証もされなかった。




だが、動いていたのは金だけではない。その金を誰の意思で動かしたのか、

そして、なぜ本来の支出者が“生きている間”に通帳を使えなかったのか。


──制度は、その“ズレ”を拾わなかった。




通帳は、何を語っているか


「名義が誰か」ではなく、

**「誰がいつ、どう使い始めたか」**が問われるべきだった。


税の制度には、かつての支出者の名が記録されていた。

だが、実際に金を動かしていたのは、別の手だった。


意思確認はなかった。委任もない。

あるのはただ──


「詐欺に遭ったから、持ち出した」


という、説明にならない説明だけだった。




応答しなかった制度


制度は黙した。名義がそうなら、それで済まされた。

「家族の問題だから」と、沈黙が積み上げられた。


だがその沈黙の中にこそ、

制度が応答できなかった“構造”が浮かび上がる。




通帳は、“死”によって奪われたのではない。

“死”が近づく中で、静かに準備されていた可能性がある。




これは、単なる家庭の物語ではない。

これは、制度がどこまで“説明なき略取”に沈黙し得るのかという、構造の試験だった。

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