第2話 小学校へ

第二話 小学校へ


 翌朝、パンの焼けるいい匂いで美空は目を覚ました。

「パン焼けてるよ。もう明るいし、軽く食べて出かけようか」

 塔子が少しまぶしそうに美空を見ると、食事の用意ができていることを告げる。二人は、軽い食事をとると、前日寝る前に準備した荷物をそれぞれリュックに入れて背負った。火の元を確認し、ガスの元栓も締めた。冷蔵庫にはまだ食料が多少あったので、戻ってくることも考え、電気のブレーカーは落とさずにおく。

 外に出る前、テレビをつけてみたが、昨夜とほとんど変わらなかった。変わっていたのは、あるチャンネルだけ、テロップも消えて砂嵐と雑音になっていたことだけだ。その放送局にだけ何か起きたのだろうか。あまり外の状況は変わっていないようだ。むしろ悪化している予感がした。

 準備が終わって、今は朝の七時半だ。二人は玄関に向かった。果たして、外の様子は一晩でどうなっているのだろう?

「よし、じゃあ行こう」

 ドアの前で、塔子は美空の肩を叩いた。

「最後に聞きますけど、本当に一緒に行くんですか? 結構きついです……本物のゾンビは」

 美空は言った。

「もう言わないで。このままずっと部屋に籠っているのはイヤ。ビールも切れたしね」

 塔子が肩をすくめる。

 美空は、玄関にある慎吾の金属製の野球のバットを手に取った。

「いざとなったら、これで身を守ってくださいね。基本的には私が何とかしますけど」

 美空は、塔子にバットを渡しつつ言った。

「任せてよ。これでも高校時代はソフトボール部だったんだから」

 塔子は笑ってバットを受け取る。

 美空は、ドアに耳を当てて外の様子をうかがう。特に物音や人、もしくはゾンビらしきものが歩くような音も聞こえなかった。玄関に立てかけておいた棒を手に取ると、ゆっくりとドアを開けて、隙間から外を覗き見る。見えるところにゾンビの気配はない。

 美空は振り返って、塔子にうなずくと、ドアからマンションの廊下に滑り出た。塔子がそれに続くと、静かにドアを閉め、あらかじめ渡してあった鍵をかけた。


 昨日の様子では、エレベータを使うのは危険かもしれない。それに、あの密室で何かあれば、全く身動きが取れなくなるのも怖かった。昨夜のうちに塔子と打ち合わせた通り、昨日入ってきた非常階段を目指して慎重に歩いた。ゾンビは音にも敏感だというドラマの設定が頭にあったので、なるべく音は立てないように塔子にも伝えてある。

 昨日、美空が階段を昇ってきた後を、ゾンビ達がついてきていたかもしれないと心配だったのだが、幸い非常階段にもゾンビの姿は見えなかった。

 だが、もうすぐ一階に辿り着く間際で、階段出口を一体の男のゾンビが塞いでいるのに気づく。ゾンビのほうも、すでにこちらを見て餌の存在に気づいたようだ。うつろな表情のまま、足を引きずりながらゆっくりと昇ってくる。

 美空は昨夜の夢を思い出して、一瞬身体がすくんだ。

「美空――」

 塔子が言いかけるのを、美空は手で遮る。そして狭いところでは扱いづらい、六尺棒を塔子に手渡した。

「ちょっとこれ持っててください」

 美空は、喉の奥から息を吐きつつ、丹田に力を込めた。慣れた動作が、すぐに身体に力を戻してくれた。そのまま、前を向くとゾンビに向かって階段を駆け下りる。ジーパンの後ろに差し込んでいたヌンチャクを後ろ手に取り、クルクルと体の横で二回ほど回して勢いをつけると、そのままゾンビの頭部に思い切り叩きつける。グシャリと嫌な音がして、ヌンチャクが頭にめり込む。その感触に身震いしたが、そこであることを思い出す。ゾンビ相手には二度撃ちが基本!

 美空は、間髪入れずに同じところに二撃目を叩き込んだ。そのまま、棒立ちになったゾンビの胸のあたりに、足刀を蹴り込んだ。ゾンビは階下まで吹っ飛んでいった。

 後ろで塔子がヒューと口笛を吹く。

「行きますよ!」

 美空は少し照れながら振り向き、棒を受け取りつつ塔子に呼びかけた。

 二人は、倒れているゾンビを横目に、非常階段を出た。

「うげげ。確かにこりゃグロいわ……」

 ゾンビはヌンチャクの一撃で、頭部が凹み、目玉が半分飛び出している。それをしげしげと眺めつつ、塔子が吐き気を抑えるような声でつぶやく。

「気を付けて! まだ死んではないかも。動きはノロいけど、力はやけに強いので気を付けてください」

 美空は、昨日の経験から忠告した。

「了解。そうか、こいつは筋肉の断裂とか痛みとか気にしないから、基本的に常時『火事場の馬鹿力』状態ってことなのかもね」

 塔子の言葉が冷静なので、美空はホッとしたと同時に、さすが医学部――と感心してしまった。

 マンションの敷地内は、思った通り、何体かのゾンビが回りをうろついていた。しかし、まだこちらには気が付いていない。

 弟の通う小学校は、マンションを出て、住宅地を抜けた先にある。

「車の免許取っておくんだったなあ」

 塔子がぼやく。

「十分も歩けば着きますよ。こいつらは全部相手にしてられないので、避けながら歩いて行きましょう」

 美空は、ヌンチャクに付いてしまった血を、地面の土でこすり取りながら言った。

 このゾンビの血は、素手で触らないほうがよいのだろうか? 飛び散った血が手や顔に付いたら、もしくは目や口に入ってしまったらどうなるのだろう? だが、今はそれに答えてくれるものはいない。なるべく触ったりしないよう、注意するしかない。

 二人は、マンションを後にした。


 通学路でもある住宅地は、昨日と同じような状況だった。相変わらず、何体ものゾンビが道路をうろついている。途中の住宅は、いくつかは雨戸やシャッターが下りていた。そういった家の中では、誰か人が隠れているのだろう。

 ある家の二階の窓からは、明らかに誰か人がこちらを見ていた。塔子が手を振ってみたが、慌てたようにカーテンを引いて隠れてしまった。声をかけようとした塔子を、美空は手ぶりで止めた。あまり大きな声を出すと、周囲のゾンビ達を呼んでしまうと思ったからだ。

「あのゾンビ達って、音が聞こえるのかな?」

 塔子が小さな声で疑問を口にする。

「どうでしょう? 前に一緒に観た映画だと、音に反応してましたよね」

 美空は首をかしげる。

「ちょっと試してみない? それが分かれば、二人のどちらかがおびき寄せて、その間に……とか、色々利用できるかも。ほら、こことかでどう?」

 塔子は、丁度住宅が六つ固まっている、あるブロックの角に差し掛かったところで言った。

「音を出して、あそこのゾンビがもし向かってきたら、こっちから回って行けるじゃない」

 そして、少し先でゆらゆら体を揺らしているゾンビを指さした。

 美空はうなずくと、そこにあった道路標識の金属製の柱を、棒で強めに叩いて、大きな音を出してみた。案の定、ゾンビはピタっと体を揺らす動きを止めると、顔をこちらに向け、ゆっくりと向かって来た。

「来ました。やっぱり音に反応するんですね」

 美空は棒を構えて言った。

「よし、あれは置いといて、こっちから回って行こう」

 二人は角を曲がると、そのブロックを逆から回り込んで、そのまま小学校のほうへ向かった。


 小学校に着いた美空は困惑した。思ったより、ゾンビの数が多い。正門の中、校庭、昇降口の周りや体育館前のピロティーと、至る所でゾンビが闊歩している。小学生らしき子供のゾンビが、結構な数で混じっているのが痛ましかった。開いている昇降口から、ゾンビが出てくる様子も見受けられた。校舎内にも、ゾンビが入り込んでいるということだ。

 とりあえずは見える範囲のゾンビの中に、母も慎吾もいないようだ。しかし、これだけの数の大人のゾンビ達は、どこから来たのだろうか。教師だけとは思えない大人のゾンビの数は、まるで何かに呼ばれたかのようだ。

 正門から少し離れたところに止めてあった、軽トラックの陰に身をひそめて様子をうかがいつつ、二人は顔を見合わせた。果たして、この状況で、校舎の中に母たちが無事でいるのか。そもそも、校舎内にいるのだろうか?

 美空は一瞬不安に思ったが、他に母と弟がいる場所の当てもない。何とか中に入って、探してみる以外ない。

「すごい数ね……このまま突っ込むのはちょっと自殺行為よ?」

 塔子が言った。

 二人でしばらく作戦を練ることにした。

「ここから見るに、昇降口は開いているみたい。なんとか、あいつらをどこかにおびき寄せて、そのすきに入れるかもね」

 塔子が言って、校舎回りをしばらく観察する。

「正門まで行って音を立てて、彼らをおびき寄せて、あっちの裏門から入るのはどう?」

 そう言って、塔子は裏門のほうを指さした。確かに、裏門の周りはゾンビがかなりまばらなようだ。

「先にあの正門のドアを閉めちゃえば、多分あいつら外には出て来られないんじゃないかな」

 正門のスライド式の鉄のドアは、半分ほど開いていたが、今なら一、二体のゾンビさえ避ければ閉められそうだ。ただし、多少の戦いは避けられないかもしれない。

「このトラックのクラクションはどうです?」

 塔子が戦いに巻き込まれるのが心配な美空は、目の前の軽トラの運転席を見ながら言った。

 塔子は少し考えて、首を横に振った。

「学校にいる以外の、そこら辺のゾンビまで全部おびき寄せちゃうかも」

 塔子が言うと、美空もうなずいた。

「そうか……このあたりにまだ隠れてる人たちにも、迷惑かけちゃうかもしれませんね」

 美空は、辺りの家々を見回して言った。さっきのように誰か隠れてこちらを見ているかもしれない、と思ったが、その気配は無かった。

「いれば、ね」

 塔子は肩をすくめる。

「さっき、途中通った家の二階にいたじゃないですか?」

 美空が答える。

「今頃もう食べられちゃってるかもよ? でもこのまま、もし私らだけになっちゃったらどうしようねえ?」

 あっけらかんと塔子が言った。

「やっぱり、定番のショッピングモールに籠る……じゃないですか? ここらだと駅の近くのホームセンターとか。スーパーも中に入ってるから生鮮食品もありますよ。あそこ、あんまり美味しくないけど」

「あそこの食べ物不味いよね。でもさ、ショッピングモールに籠る映画って、だいたい最後は内部崩壊してなかった?」

 塔子が笑って言った。

「ふふっ、そうですね」

 美空もつられて笑った。塔子が一緒に来てくれてよかったと思った。一人なら精神的に追いつめられて、小学校に来ても冷静な判断ができなかったろう。

 笑うことで力がいい具合に抜けたと思った。組手の試合前にリラックス出来たときと同じ感覚だ。

「じゃあ行きます。塔子さんは、私の後ろにいてくださいね」

 美空は棒を脇に構えると、正門に向かって慎重に歩きだそうとした。

「ちょっと待って」

 塔子は、手を伸ばして美空を捕まえると、その顔を両手で挟み、真剣なまなざしで見つめながら言った。

「気を付けるんだよ。やばいと思ったら一度逃げること。いいね? 絶対無理はしないって約束して」

 塔子の言葉に、美空はうなずいた。だがもし何かあったら、自分は塔子の盾になろう。自分が戦っている間に塔子には何とか逃げてもらうのだと改めて決心するのだった。


 美空は正門に近づき、あらかじめ見えていた、門の外に出ている一体の男のゾンビに向かった。こいつだけは、対処しないと門を閉められない。

「私が戦っている間に塔子さんは、門を閉めてください!」

 美空は叫びながらゾンビに走り寄り、振りかぶった棒を、その頭部目がけて振り下ろした。

(?)

 美空は首をひねった。ガツンと音は大きかったが、今一つ手応えが不満だったからだ。ゾンビも一度体がゆらいだが、すぐさま向き直って手を伸ばしてくる。マンションを出る際にヌンチャクで戦った時の手応えには、遠く及ばない。

 どうやら棒の打撃の一撃だけで頭蓋を割るには、美空の技量では不十分なようだ。もっと真面目に棒術の稽古をしておくのだった。武器の重さの問題もありそうだ。

 美空はそれを悟ると、すぐさま棒を地面に置き、ヌンチャクを取り出した。円を描くように体の左右で振りながら、一歩下がって距離を取る。

「やあっ!」

 掛け声とともに、重いヌンチャクの先端に、遠心力でさらに威力を乗せると、正面からゾンビの頭に力いっぱい叩きつけた。マンションの時と同じように、二度目の打撃を叩き込む。

 ゾンビの頭蓋が割れる感触が、めりこんだヌンチャクから伝わる。ゾンビはゆっくりと膝から崩れ落ちていく。

「今です! 門を閉めてください!」

 美空は、塔子に向いて叫んだ。

「もうやってる!」

 ガラガラと音を立てて、門扉が閉まっていく。だが、門が閉まる寸前、もう一体のゾンビが倒れこむようにして出てきた。そのまま、意外な速さで塔子に近づいていく。

「キャー!」

 完全にすくんでしまっている塔子は、手にしていたバットを使う素振りも見せず、両手を口に当てて叫んだ。ゾンビの手が伸び、塔子のシャツを掴んだ。

 慌てた美空は一足飛びで近寄ると、今にも塔子を引きずり倒そうとしている、ゾンビの膝の後ろを目がけ、右の下段蹴りを上から落とした。

 ガクンと後ろにのけ反ったゾンビの眉間に、左の上段回し蹴りを叩き込む。焦っていたのでとっさにヌンチャクが出て来なかったのだ。左足の脛の骨がゾンビの眉間に強烈に食い込む。美空はそのまま、蹴り倒すつもりで左足を押し込んだ。だが、ゾンビは倒れなかった。

 その手が、その美空の左足のふくらはぎを、両手で抱えるようにして掴む。

(やばい)

 美空は焦った。

 大きく口を開けて、ゆっくり美空の足を口に運ぶゾンビを、塔子は動けもせず呆然と眺めている。ゾンビの歯が脛に当たり、ジーパン越しに不気味な圧力を感じた瞬間、美空はとっさに左手のヌンチャクの先を、今まさに噛まれようとしている脛と、ゾンビの口の間に突っ込んだ。ゾンビは無表情でヌンチャクの先をかじっている。

「そのバットをください! 塔子さん早くっ!」

 切羽詰まった美空の声に我に返った塔子は、慌てて手にしたバットを美空に押し付けた。

 美空は、蹴りを出した片足のままの状態でバットを受け取ると、何度もゾンビの顔に叩きつける。ゾンビは、ようやく美空の足を離すと、よろよろと下がった。

 蹴りの姿勢のまま、何分でも片足で立っていられる、鍛えられた体幹が美空を救った。引きずり倒されていたら噛まれていたかもしれない。

 美空は、バットを振りかぶると、思い切りゾンビの頭に叩きつけた。

「うわああああ!」

 倒れたゾンビに向かって、叫びながら無我夢中で何度もバットを叩きつける。ゾンビの頭と顔から血しぶきが飛び、美空の顔と体を濡らした。

 ゾンビの動きは完全に止まっていた。


 美空はバットを落として、地面に座り込んだ。

 横にあるゾンビの頭は、グロテスクにひしゃげて中身をのぞかせていた。脳髄らしきものが流れ出てくる。美空は、顔に飛んだ血の匂いと、その光景に我慢できず、朝食べたものを、またその場で吐いてしまった。ゾンビとの闘いは少し慣れてきとはいえ、さすがに耐えられなかった。だが、何とか息を整えると、口を拭い立ち上がった。へたり込んでいて良い場合では無かった。

 袖を使い、顔についた血を拭うと、そばで同じように座り込んでいる塔子に向き直る。

「だ、大丈夫ですか……」

 呆然としている塔子に美空は声をかけた。

 塔子は、まだ話せなかったが、美空の顔を見てうなずいた。美空は、塔子の手を取り、自分の肩に回すとなんとか立ち上がらせた。

 塔子に肩を貸して、校門脇のフェンスに近寄り、そこに塔子を寄りかからせる。美空自身も寄りかかって少し息と心とを整えた。

「ご、ごめん、何もできなくて……」

 ようやく塔子が言葉を口にした。

「こんなの怖くて当たり前です。門は閉まったし大丈夫ですよ」

 美空は微笑みながら答えた。だが、正直もう駄目かも、と思ったのも事実だ。この先も、塔子にはゾンビと戦うのは期待できそうもない。襲ってくるゾンビは、全て自分で対応しなければ。

 美空は、落ち着きを取り戻すと、棒を拾いに戻った。学校に入れば、さらに多くのゾンビと戦う羽目になるかもしれない。そのためには、さっき感じた棒での打撃の違和感を解消したかった。

 拾った棒を何度か振ってみる。複数のゾンビを相手にすることを考えると、出来れば一振りで倒してしまいたい。美空は、棒術の型を最初から軽くなぞってみた。型の中にある突きを繰り出す技を繰り返すうちに、ふと考えが浮かんだ。そうか、別に打撃だけで倒す必要はない。

「塔子さん、少しそこで休んでいてね」

 美空は背中のリュックを下すと、持ってきた包丁を中から取り出した。左手に棒を持ち、アスファルトの地面に突き立てて支えると、右手に持った身の厚い出刃包丁を、棒の先に向かってななめに振り下ろす。包丁を鉈のように使って、棒の先を尖らせようと考えたのだ。

 固い樫の棒を削るのは、思ったより骨が折れた。包丁の刃はうまく棒の先に食い込まず、何度も滑っては地面に叩きつけてしまう。

 だが、諦めずに繰り返し、ようやく思った通り、棒の先を尖らせることができた。包丁の刃はボロボロになってしまった。両手を使い、コンクリートに棒の先をこすり付けることで、さらに先端を鋭く尖らせる。

 美空は何度も棒を突いてみる。いい感じだ。ゾンビの目の部分をしっかり狙えば、一度で脳まで突き通せるかもしれない。

 そんな美空の一連の様子を、塔子は後ろからじっと眺めていた。

「美空はすごいね……」

 塔子は、その美空の背中に向かって呟く。

「え?」

 美空は振り返って、塔子のほうに向いた。

「ううん、何でもない。私ももう大丈夫」

 塔子はそう言うと、フェンスから離れ、転がっているバットを拾い上げた。

「塔子さん……やっぱり家で待っ――」

 言いかけた美空の口を、塔子が指で塞ぐ。

「それはもう言わない。見てて、今度はちゃんとあいつらをやっつけるから」

 塔子は笑って答えた。

 美空は、何も言えずこくりとうなずいた。


 重い門を閉めて塞いだ校門の向こうには、何体ものゾンビがうろついている。昇降口周りのゾンビを、何とかこっちまでおびき寄せるには、音を立てるしかない。

 二人は顔を見合わせると、鉄の門をそれぞれ棒とバットで叩きながら、口々に声を出して叫んだ。

「おーい、こっちこっち!」

「こっちに来て!」

 あまり大きな音を出すと、校内以外のゾンビもおびき寄せてしまうかもしれない。二人は、後ろに注意を払いながら、ひかえめに音を立てた。

 校内のゾンビ達にその音は聞こえたようだ。少し先にある昇降口にいるゾンビ達も、こちらに顔を向けると、ゆっくりと近づいてきた。そのまま声を上げつつ、校門に集まってくるのを待つ。

 その時、塔子が驚いた声を上げた。

「美空見て! 二階のあそこ!」

 塔子がそう叫んで、校舎のほうを指さす。

 塔子が指差すほうを見ると、ある教室のカーテンが開き、誰か女性が、こちらに向かって手を振っていた。小学校に通っていたころの美空の記憶が確かならば、あの教室は図工室だったはずだ。誰かが生きて残っている。

 教師であれば、母と弟のことを何か知っているかもしれない。

「まずあの教室まで、行きましょう!」

 美空は、ゾンビ達がもう校門に十分におびき寄せられたのを見て、塔子に言った。今なら昇降口から入れそうだ。

 二人は、最後にひとしきり大声を上げておいて、そのまま西側の裏門に向かって走った。ゾンビ達がその二人を目で追う。急がないと何体かはもう二人を追って、動き始めている。

 裏門は開いていたが、ゾンビに邪魔されることなく、校内に入ることができた。そのまま、二つあるうちの西側の昇降口から校舎内に入る。

 昇降口の中にはゾンビの姿は見当たらない。美空は扉を閉めて鍵をかけようとして困った。この扉は、キーが無いと中から鍵は掛けられなかった。

「仕方ないよ。このまま行こう。どのみち、反対側の昇降口も開いていたでしょう? ここだけ鍵を閉めてもあまり変わらないよ」

 塔子は言った。美空も鍵は諦めて、二階に向かうことにした。

 二階へ上がるための階段は、昇降口のすぐ横だ。校舎の一階をのぞき見ると、廊下には、血だまりや、食い散らかされたような人の残骸らしきものが、所々に散らばっており、何体かのゾンビが彷徨っているのが見えた。以前、友達と行った遊園地に、こんな感じの学校だか病院だかの情景を模したアトラクションがあったのを思い出したが、もちろんこっちは本物だ。ゾンビの中には、子供のゾンビや、教師と思われるゾンビの他に、近隣の住人だったと思われる姿のゾンビが、少なくない割合で混じっている。

 美空は、それに違和感を覚えつつ、階段前にうずくまってゆらゆらと体を揺らしている、子供のゾンビ一体を棒で押しのけた。さすがにゾンビとはいえ、幼い子供の頭部を破壊することなど出来なかった。子供ゾンビの足を払って転がしておいて、その隙に二階へ駆け上がる。塔子がその後ろに続く。

 

 二階に辿り着いた美空は、唇を噛みしめた。

 目的の図工室までの廊下に、少なくとも五体のゾンビがいるのが見える。ゾンビ達は美空と塔子に気付いて、すでにこちらに向かってくるところだった。図工室に辿り着くには、全て何とかする必要がある。

 美空は戦う決意を固めた。子供のゾンビも一体混じっているが、この先はもう躊躇は出来ないだろうと思った。図工室に辿り着き、安全を確保するには、あのゾンビは全て倒すしかない。

「塔子さん。私、これからあれ全部倒してきます。塔子さんはここで待ってて」

 後ろを見ずに塔子に告げる。そして、棒を握りしめると、息吹を使って、心と体を一気に戦闘モードへと持って行った。

「分かった。気を付けて」

 塔子は震える声でそう言うと、美空の背中に手を触れた。

 その温かいぬくもりに勇気づけられた美空は、ゆっくり足を踏み出した。不幸中の幸いで、ゾンビ達はそれほど密集して迫ってきてはおらず、一体ずつ対処できそうだ。

 美空は、最初の一体に大股で近づくと、斜め上から棒を振り下ろし、その男のゾンビをなぎ倒す。そのまま、逆手に持った棒を持ち上げ、その尖った先端を、倒れたゾンビの目に思い切り突き刺した。その感触に思わず身震いしたが、ゾンビの動きはその一撃で止まった。

(いけっ)

 倒したゾンビの頭に足をかけ、棒を引き抜くと、そこから先の美空の動きには躍動感が出てきた。

 すぐ後ろに迫っていた、中年の男のゾンビには、クルリと一回転して後ろ回し蹴りを急所に叩きこむと、たたらを踏んだゾンビの口に、脳に向かって下から棒を突き通す。棒を引き抜く余裕もなく、さらに次のゾンビが襲ってくるのを、腰から抜いたヌンチャクで迎え撃つ。

 そのゾンビの頭部を完全に破壊した手応えを感じたところで、四体目の女のゾンビが手を伸ばし、今にも美空に掴みかかろうとしてきた。間合いを取る余裕もなく、美空は肘をその女ゾンビの顔の中心に叩き込んだ。その足元に、子供のゾンビがしがみついてくるのを、蹴り飛ばすと、女ゾンビの頭にヌンチャクを連打で叩き込んだ。飛び散る血しぶきが美空の頬を濡らす。

 ゆっくり倒れるゾンビを見もせずに、口に棒を刺したまま倒れているゾンビの顎に足をかけ、一気に棒を引き抜く。棒の先に、何か付いているが、アドレナリンが放出されていて、興奮状態の美空はもう気にならなかった。

 蹴り飛ばされて転がっていった子供のゾンビが、再度向かってくる。美空は、それに回し蹴りを放って蹴り倒した。そのまま、胸に足をかけて床に押し付け、棒を振りかぶる。

 だが、そこでピタっと止まる。

 子供のゾンビは少女だった。白く濁った目と、美空に噛みつこうと噛み鳴らしている赤い口、どす黒い顔はゾンビのそれに間違いなかったが、可愛らしいキャラクターTシャツと、膝までのスカートが少女らしさを残していた。胸には『六年二組 〇〇 〇子』と、名前とクラスを書いたプレートがピンで留めてあるのが目に入った。

 弟の慎吾と同じクラス。

 いくら興奮状態の美空でも、その少女のゾンビの顔めがけて、棒を突き下ろせるほど、非情には徹しきれなかった。

 急いで辺りを見回すと、トイレの入り口が目に入る。

 かつて慎吾と同級生であった、と思われる少女のゾンビの両足首を掴むと、トイレまで引きずっていった。噛みつこうと暴れる少女の髪を掴んで立たせると、トイレの中まで連れていき、個室に向かって突き飛ばすとドアを閉めた。鍵はかかっていないので、そのうち出てくるだろうが、少しは時間が稼げるだろう。

 トイレを出ると、そこに塔子が待っていた。

「凄かった。アクション映画みたい。大丈夫?」

 塔子が、美空の肩に手をかけて言った。心配している顔だ。

「大丈夫です。でも、あのゾンビの女の子。慎吾の同級生だったみたい……」

 美空はげっそりして、うめくように言った。

「……」

 塔子は声もなく、美空の背中に手をあてた。

「げっそりしてるところ悪いけど。多分そこの図工室だよ。中に人の気配がする」

 塔子が、すぐ先の教室を指さした。


 二人が、『図工室』と札のある教室の前に立つと、ドアの向こうに人が立っているのが、すりガラスの向こうにうっすらと見える。外の様子をうかがっているようだ。

「どなたか中にいますか?」

 美空は、ドアをノックしつつ呼びかけてみた。

 応えはすぐにあった。

「さっき校門の外にいた人達ね? 誰なの??」

 中から、不安そうな女性の声が聞こえた。

「私は立花と言います。この学校の六年生、立花慎吾の姉です。もう一人は友達の塔子さんという方です。開けてもらえますか? 今なら安全です」

 その美空のしっかりした返事に、中の女性は少し安心したのだろう。鍵を開ける音がして、ドアが静かに開いた。

 中から顔を見せたのは、スーツを着た、四十代ぐらいの中年の女性だった。様子からして、おそらく教師だろう。怯えてはいるようだが、意外と落ち着いた様子でもあった。

 女性は、美空と塔子が中に入ると、急いでドアを閉めて鍵をかけた。

 二人に向き合うと、ほっとした様子で話し始めた。

「慎吾君のお姉さん? 美空さん……そうなの。私はこの学校の四年生の担任の山口といいます。慎吾君とは、縦割り班で一緒になるので、よく知ってるわ。一体何が起きているの? 外の様子は? 警察は何をしているの??」

 立て続けの質問に、美空は知っているレベルのことを話した。いわゆるゾンビと呼ばれる、生きた『死体』が現れたこと。しかも、伝染性らしく、人々がかなりのスピードで変異していること。外は、どこもゾンビが彷徨っており、生きた人間が、どこにどれだけいるかも分からないこと。警察は昨日一度見かけただけで、その後は見ていないこと。倒すには、脳を破壊するしかないこと。噛まれるとおそらく感染してしまうこと。

「私たちがお話できるのは、これくらいです」

 山口という女性教師は、黙って聞いていたが、時々首を横に振って、信じられない様子だ。

「信じられない話だけど……でも、ここで起きた事とも一致するわね。そう、昨日の午後だったわ。放課後のある教室で、一人の子供がいきなり、友達に噛みついたって連絡が職員室に来たの」

 彼女は、昨日の出来事を話し始めた。

「最初は同僚の先生たちが、何人かその教室に向かったわ。私も心配だったけど、喧嘩だろうと思って、他の対応もあったので職員室に残っていたのね。でも教室に行った先生達が誰も帰ってこなくて、おかしいな? と思った時だったわ。校舎のあちらこちらから、子供たちや先生方の悲鳴が聞こえてきたの」

 山口は思い出したように震えた。彼女の話では、悲鳴を聞き、職員室を飛び出したところを、幽鬼のような表情をした教師や、子供達が襲いかかってきたのだそうだ。

 止めようとした体育教師や校長が、彼らに引きずり倒され、食いつかれながら恐ろしい声で叫んでいるのを聞いたのを最後に、その先の記憶はあまり定かではないらしい。何とか襲撃を振り切って、図工室に逃げ込めたのは、山口一人だった。

「無我夢中だったから、子供達を守れなかったのが悔しくて……」

 山口は、涙をこぼしてうつむいた。

 彼女は、恐怖で図工室を出ることもできず、子供達への申し訳なさもあり、一晩中眠れずにいたらしい。トイレにも行けなかったろう、と美空は思った。部屋内にわずかに漂う異臭に、それを察して、気づかないふりをした。

「先生、この状況じゃ無理もないですよ。ゾンビなんて普通どうしたらいいか分からないですもん。私だって、この美空が居なかったら、多分さっき食べられちゃってましたよ?」

 塔子が、山口を慰めるように言葉をかけた。

「美空は空手をかなりやってるので、頼りになりますよ。もう何人もアレを倒してるんですから」

 その塔子の言葉に、山口は顔を上げた。

「そうなの……慎吾君を探しに来たの?」

 山口の問いかけに、美空はうなずいた。

「はい。母が、弟を迎えにここへ来たらしいんです。二人のこと、何かご存じですか?」

 美空は、希望をこめて聞いた。

 だが、残念なことに山口は左右に首を振った。

「いいえ、ごめんなさいね。ずっとここに閉じこもっていたから、何も分からないの。ただ、誰か男の先生が『子供達はみんな屋上に逃げろ!』と、必死に何度も叫んでいたのは聞こえたわ。もしかしたら、その先生と一緒に、屋上に避難している子供達がいるのかもしれない」

 山口は申し訳なさそうに答えた。

「それでなければ、緊急時の広域避難場所に、誰か先生方と一緒に避難している可能性は無いかしら?」

 山口は、この辺りの広域避難場所は、少し離れたところにある球技場だと教えてくれた。

 一晩中、子供達が屋上にいたとも考えにくいが、一度行ってみるか、と美空は考えた。もし、屋上に誰もいなければ、仕方がないので一つずつ教室を探そう。山口のように、鍵のかかる場所に逃げ込んでいるのかもしれない。校内にいなければ、球技場にも行ってみよう。

 今の美空には、家族を探す以外に出来ることも、したいこともなかった。

「二人はここで待っていてください。私、屋上まで行ってみます」

 美空は、塔子と山口に向かって言った。

「私は一緒に行くわよ?」

 塔子は即答する。美空はがっくり肩を落とす。

「では、先生はここで待っててくださいね。母と弟がいてもいなくても、後で一度戻ってきます」

 美空は、山口に向かって言った。

 だが、彼女も首を横に振った。

「いえ、私も一緒に連れて行ってください」

 山口の言葉に、美空は思わず叫んだ。

「駄目ですよ!」

 自分の声の大きさにハっと手で口をふさぐ。

「お願いです、迷惑はかけませんから。子供達が屋上に残っているとしたら、私でも何か出来ることがあるかもしれないんです。もしかしたら、子供達だけしかいなくて、ひどく怖がっているのかも……」

 美空は、山口のその言葉に決心の固さを感じた。

「でも、私も二人を一度には守れないかもしれません。多少、ゾンビと戦うのは慣れて来ましたけど、そこまで自信はないんです」

 美空は、正直に言った。

「いざとなったら、私だって戦うわよ、美空。まずは――」

 塔子が話しかけたその時だった。

 静かだった学校中に、大きなチャイムの音が響き渡った。

 ハッとして、美空は塔子と顔を見合わせた。そして、壁の時計を見る。八時四十五分。鳴り響いたのは、始業のチャイムだった。慌てて教室の窓に駆け寄り、外を見渡した。

 恐れた通り、先ほど校門に集めたゾンビや、校庭をうろついていたゾンビ達は、チャイムの音にひかれて、一斉に校舎に向かって歩き出していた。入ってきた昇降口と反対の、もう一つの昇降口は開いている。もうすでに、その昇降口から何体かが校舎内に入っていくのが見えた。続々とその後にゾンビ達が続こうとしている。

(これだったんだ)

 美空は、学校内のゾンビ達の中に、教師以外の大人のゾンビが多数いた違和感の原因を悟った。チャイムの音は、近隣の住宅地まで聞こえているはずだ。この音にひかれてゾンビ達は次々と学校に集まっていたのだ。

 校門は閉じたが、開いていた裏門や、他に入り口があれば、そこからさらに呼び寄せられたゾンビが学校に集まってきてしまう。急がなければ。

「美空やばいよ! どんどん入ってきてる。昇降口を閉めなきゃ!」

 塔子が青い顔で叫んだ。

 チャイムはしばらくして止んだが、ゾンビ達の流れは止まっていない。

「待って――」

 急いで昇降口を閉めに向かい、屋上に向かうべきか。もしくは、この図工室に留まるか。美空は決めかねた。

 図工室に留まれば、しばらく自分たちは安全だろう。しかし、このまま続々とゾンビ達が集まってくれば、屋上を探しに行くことが難しくなるかもしれない。それどころか、もう二度と出られないかもしれない。助けが来るかも分からない中、食料も水もない空間で閉じ込められたら、長くはもたないだろう。

 美空は決断した。

「昇降口に行きましょう。扉を閉めて屋上へ行きます!」

 美空はそういってドアに向かった。鍵を開けて外をのぞく。まだ二階にゾンビ達は現れていない。

「分かった、行こう」

 塔子が意を決した表情で、バットを手に後に続く。女性教師も青い顔でついてくる。

 美空は先頭で階段を駆け下り、一階の廊下に飛び出したところで急ブレーキをかけた。

 

 そこには、すでに十体以上のゾンビであふれていた。開いている昇降口に行くには、その廊下を突破しなければならない。歯を食いしばって一瞬考えると、すぐそこの入ってきた側の昇降口を見た。もし脱出するならそこしかない。

 だか、その扉の外にも数が分からないほどゾンビがいるのが分かった。ゾンビ達は扉を開けようとしているのか、がりがりと引掻く音がしている。そこから脱出するのは難しい。

「美空、ここが考えどころだよ。戻るか突っ込むかの二択」

 塔子が、美空の肩に手を置いていった。

 美空はこくりとうなずいた。

「塔子さん、突破しましょう。なるべく下がった位置でついてきてください!」

 美空は昇降口を閉めるべく、突破を決断した。

「も、もう駄目よ、あんなにいるのよ? 私戻る!」

 だが女教師はそう叫ぶと、一人で後ろを向いて階段を駆け上っていった。

「待って――」

 塔子が叫んで追いかけようとした時、階段の上から山口らしき悲鳴が聞こえた。その声は恐ろしい断末魔の叫び声となり、そのままぷつりと途絶えた。すぐに何かペチャペチャと咀嚼するような音が聞こえてきた。

「美空……」

 塔子が振り返って美空の顔を見た。その顔が何を考えているかは言われなくても分かった。

 美空は唇を噛みしめた。おそらくもう、山口は助けられないだろう。上にもまだゾンビがいたのだろうか? 美空は、さっき殺せなかった少女のゾンビを思い出した。もしあの少女が、トイレから脱出して山口を襲ったのだとしたら。

 美空は後悔で気が狂いそうだった。やはり女教師と塔子は図工室に残すべきだった。しかも、あの少女のゾンビもしっかり殺しておくべきだったのだ。

 その自分の甘さが、山口を死に追いやったのだと美空は思った。

 今度こそ、正しく決断しなければ。美空は前を向いてゾンビ達の群れを見つめた。今の一幕のほんの少しの間に、ゾンビ達の最後尾には、奥の昇降口から入ってきた新たなゾンビが次々と加わり、その数はもう一目では数えられなかった。ほんとに自分がここを突破できるのだろうか?

 その時、手前側の昇降口の扉が、少しずつこじ開けられていく音がしたと思うと、その隙間を押し広げながら、さらにゾンビ達が入ってきた。完全に挟み撃ちだ。

 必死に考えをめぐらせる美空の肩に、塔子の手がかかる。

「もう……ここは無理だ、美空。あんなの全部やっつけられないよ。上に逃げよう?」

 振り返る美空に向かって、塔子が苦しそうな表情で言った。

 美空の目に涙があふれてくる。

「……はい」

 美空は振り返ると、涙を拭いて階段に向かった。

 その後ろをゾンビの群れが、ゆっくりと、だが確実に彼女たちを追っていく。

 階段を二階まで登ると、そこには女教師の無残な残骸が横たわり、殺し損ねた少女のゾンビの他に、別のゾンビがその死体を一緒に貪っていた。重苦しい自責の念が美空をおそう。だが、今は自分たちの命があぶない。山口の骸から目を背けて二階の様子を探った。

 二階にはすでに少なくない数のゾンビ達が入り込んでいた。校舎には階段は二箇所あるのが普通なので、おそらく美空たちが使った階段とは、反対側の階段から登ってきたのだろう。図工室に戻るにしても、その前のゾンビ達を処理している間に、後ろからきているゾンビ達に囲まれてしまうだろう。もっと上に逃げるしかない。

 階段にはもうすぐそこまで、ゾンビ達が迫ってきている。

「……二階ももうだめね」

 塔子が言った。ゾンビ達の歩くスピードはゆっくりではあるが、確実に彼女たちを追いつめている。このまま三階、四階に上がっても、安全な場所を探している余裕は間違いなく無い。

「塔子さん、母たちがいようがいまいが、もう屋上まで行って閉じこもるしかないかもしれません」

「そうだね……鍵が開いていればいいんだけど。屋上の」

 美空はハッとした。鍵のことを忘れていたのだ。最近の学校は、子供が不用意に屋上に出ないよう、通常時は鍵がかかっている。鍵を開けるキーがあるとすると一階の職員室だろう。今から一階に戻るのは無理だ。

 だが、殺された女教師が言っていたことを思い出す。確か、子供たちに屋上に逃げるように男の教師が叫んでいた、と。もしかすると鍵は開いているのかもしれない。もはや、それに賭けるしかない。

 二人は一気に四階とそのさらに上の屋上を目指し、階段を駆け上がった。美空の記憶が確かなら、今登っている階段をそのまま行けば屋上に行けるはずだ。

 四階に着いた美空は、そこで足止めた。屋上へ抜ける階段と、扉の前にはすでに数体のゾンビがいた。一体は教師と思われるジャージ姿の男のゾンビだ。さらに別の教師と思われる女のゾンビ、そして子供のゾンビが三体。今朝入ってきたゾンビではなさそうだ、おそらく昨日からいたのだろう。女教師が言っていた、屋上に逃げようとしていたのは彼らかもしれない。

 下から追い上げてくるゾンビは、あと一、二分もすればここまで登ってくるだろう。その前にこの五体のゾンビを倒し、屋上に出るしかない。

「塔子さんは、下からくるゾンビを見ていてください!」

 美空はそう云い放つと、屋上前のゾンビ達に襲いかかった。

 向かってくる子供達のゾンビを、左右の回し蹴りで蹴り倒すと、とびかかって棒を目から突き通す。あふれる涙で前がよく見えない。だが、美空はもうためらわなかった。歯を食いしばって涙を振り払い、たちまち三体の子供のゾンビを始末すると、手を伸ばしてきた女のゾンビに向かう。その口から脳まで一気に棒を突き通して瞬殺すると、背の高い男教師のゾンビにおどりかかる。

 足刀で両ひざを蹴りぬき、よろめくゾンビを棒の一振りでなぎ倒す。その胸に足をのせると、両手で持った棒を一息で目に突き刺した。さらに体重をかけて押し入れると、ぐいっと捻る。ゾンビの動きが止まった。わずか二十秒程度の出来事だった。

「美空! 来たよ!」

 塔子が悲鳴のような声で叫ぶ。

 下から登ってきたゾンビが、もう四階の踊り場にまでたどりついていた。思ったより早い。登ってきたのはまだ二体だが、次々と後続が来るのが見える。塔子が勇敢にもバットを振りかざし、先頭のゾンビに向かって打ちかかっていく。

「塔子さんは屋上の鍵を見て! 下からの奴らは私が食い止めます!」

 美空は走りよると、塔子に頭を打たれてよろめいているゾンビにとびかかり、前蹴りで階下に蹴り落とした。そのまま、階段を下りながら、次々と登ってくるゾンビの脳を棒で突き破りつつ、階段から蹴り落としていく。

「分かった!」

 塔子が屋上の扉に向かう。どうか開いていてくれますように……

 だが、塔子の悲痛な叫びが聞こえる。

「だめ! 鍵かかってるよ!」

 目の前が真っ暗になる。美空は血に濡れた棒を見つめ、ぎゅっと握りなおした。登ってくるゾンビを倒して倒して倒しまくるしかない。四階と三階の間の踊り場で、美空は覚悟を決めてゾンビ達に向き直った。

「あ、待って?」

 塔子がまた叫んだ。

「この男のゾンビが持ってるのが鍵かも!」

 振り返ると、塔子がゾンビの上にかがみこんで何かを探っている。

「気を付けてください! まだ他にも奴らがいるかもしれません!」

 美空はまた一体のゾンビを蹴り飛ばしながら叫んだ。そこに、数体のゾンビが固まりとなってどっと押し寄せてきた。だめだ、さばききれない――

 なんとか押し返そうとする美空の棒のすきまから、一体のゾンビがすり抜けて塔子のほうに向かっていく。なぜ私に向かってこない! こっちに来い! 美空の思いをよそに、一体のゾンビが塔子に向かっていく。

「塔子さんあぶない! 一人そっちに――」

「あった! きっとこれだ!」

 鍵に夢中で、美空の声が聞えないのか、嬉しそうな塔子の声が聞えた。

 ――カチャリ

 鍵の開く音が、天上の音楽かのように響いた。しかし駆け戻ろうにも、美空の周りをゾンビが取り囲んでいた。

「塔子さんお願い後ろを見て!」

 口をあけ、肩に噛みつこうとするゾンビを、体当たりでふっとばしながら必死で叫ぶ。背中のリュックをつかまれ、ゾンビに引き寄せられそうになるのを、無我夢中で棒で押し返しながら、足元を登ってくる子供のゾンビを膝蹴りで突きはなす。

「開いたよ美空! はやく来――」

 嬉しそうな塔子の声が途切れた。

 美空は棒を振り回して、がむしゃらにゾンビ達を振り払った。ようやく振り返った時に見たのは、開きかけた扉から差し込む光を背に、大きく眼を見開いた塔子の姿だった。

「塔子さん!」

 その腰には一体のゾンビがしがみついていた。鷲のように曲げられたその手の指が、塔子の服の下に潜り込んでいくと、みるみる塔子の服が血にそまっていく。ゾンビの指先が塔子の腹部を突き破っているのだ。美空は昨夜の夢を思い出して頭が真っ白になった。

 信じられないといった塔子の表情が、たちまち恐怖と苦痛にゆがむ。

 美空は、二段飛ばしで階段をかけ登ると、夢中で塔子に走り寄った。

 すでにゾンビの手は、手首ほどまで塔子の腹部に潜り込んでいた。みるみる血が噴き出して床を濡らしていく。そのまま塔子は細い悲鳴を上げながら床に引きずり倒されていった。

「離せええ!」

 大きく口をあけて、血の噴き出す腹に食いつこうとしているゾンビの後頭部に、追いついた美空の棒の先が突き刺さる。動きの止まったゾンビの腕を、塔子の腹部から引き離すと、血まみれの腕に引っ張られたかのように、腸の一部がはみ出してきた。

「ああ……あああああ!」

 塔子の口からほとばしるように、苦痛の叫びが漏れる。そして頭がガクリと落ちた。

 すぐそこまでゾンビ達が押し寄せてきていた。考える間は無かった。美空は屋上の扉を押し開け、塔子の脇に手を差し入れると、なかば引きずるようにして屋上に出た。扉を閉めると、塔子が手に握っていた鍵で錠をかける。扉から少し離れたところに、意識のない塔子を横たえると、狭い屋上を見回した。

 屋上は無人だった。もちろん母と弟も姿もない。

 美空は気を失った塔子の横に膝をつくと、顔をおおって大声で泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゾンビと私とヴァンパイア @rukoyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ