只今会議中(基本、部外者は立ち入り禁止)

色街アゲハ

只今会議中(基本、部外者は立ち入り禁止)

 生きている限り、浮き沈みと云う事柄からは逃れられない。上り調子の時は、ただ追い風に乗って、極楽トンボを気取っていれば良いが、どうしたって下る時は必ずやって来る。誰だって好き好んで落ちて行く事を望みはしない。しかし、そんな思いなど関係なく落ちる時は落ちて行く。そう云う物だ。

 こんな時、他人は当てにならない。何故って、人にはそれぞれその人なりの都合と云う物がある。それを曲げてまで誰かを助けようなどと考える人などいない。居るとしたら、それは既に狂人の類であり、どちらにしても関わる事は出来ないし、関わるべきではない。


 結局の所、自分を救い上げるのは、何時だって自分自身に他ならないし、それ以外ありえない。誰に言われたからではない、自身の気分が上向きにならなければ、何をした所で、この無限落下から抜け出す事は出来はしないのだから。

 逆に言えば、気分さえ上向きになれば、事の良し悪しに拘らず何とかやって行けるのかも知れない。世界は自分を中心に廻っている、とはこう云う事を言うのだろう。


 尤も、こんなでっぷり太ったドラ猫よろしく、太々しい考えが出来る様になったのは、割と最近になってからの事で、嘗てはそうではなかった。人並みには打たれ弱かったと思う。殊にこれから語る事になる或る夜の時は、今まで生きて来た中でも、恐らく最大の危機の内に在ったのだと思う。

 

 周りの状況がそうである様に、人の心にもまた波がある。その夜、駅を降りて家までの歩いて十数分の道のりの、延々下って行く坂の途中で、突如としてそれは起こった。

 不意にガクンと其れ迄支えになっていた物が崩れ落ちて、自分を保つ事が出来なくなった。

 ”あ、駄目だ。” 自分でもはっきり其れと分かる程気分の落ち込んで行くのが感じられた。心の何処かでこんな心持ちの自分を何処か冷静に見ているもう一人の自分があって、ああ、自ら命を断つ人の心情と云うのはこう云う物なんだな、とそんな事を考えていた。

 浮上するだけの何の足掛かりも見付けられず、ただ真っ暗な穴をひたすらに落ちて行く。その中で自分と云う物が端からボロボロと崩れ落ちて行く様な感覚。その事に寧ろ可笑しみすら覚えて笑ってしまっていた。だってそうだろう? 生まれ落ちて此の方、全てが等しく無駄な事だっただなんて、そんな事が頭でなく肌で実感出来てしまった。笑う以外の何が出来るって言うんだ?


 ほうら、膝までこんなにガクガク笑って、このままじゃ歩き続ける事だって出来やしない。

 そのまま崩れ落ちる様にして横道の、不揃いな階段が続いている途中に座り込んで、そのまま動けなくなった。座った時に思わず吐いた溜息が、体の内に在る物をゴッソリ抜き取って、あ、これは二度と立ち上がれないな、と思わせる程に。何気なく見上げた先には、先程の都会の光から離れて、俄かに浮かび上がった騒がしさすら感じる星たちの。


「Twinkle、Twinkle、Little Star♪」


 ボクは小さなお星さま。夜空に瞬く星々の、こんなに満ちて溢れて、だと云うのに、今にも燃え尽きて黒く暗闇に紛れて見えなくなってしまった、もう誰にも顧みられない小さなお星さま。消えて行くんだ。さようなら、さようなら。もう会えないよ、誰にも。


 オシマイだ、なにもかも。本当に体の何処を探したって、再び動けるだけの何も見つかりはしない。どうした物かな、どうにもならないね。そう思ってそのまま蹲って寝入る様に目を閉じるのだった。先の事など思いも寄らず、これが本当に終の場所でもあるかの様に。



 

 ……どれだけの時が過ぎたのか分からない。長い時間だったのかも知れないし、思ったよりずっと短い時間だったのかも知れない。深夜の人気の絶えた、家々の灯の途絶えて、舗道を所々照らす街灯の他、目に付く物のない中で、ふと自分以外の何かの、周りに群ってこちらを見詰めている様な、そんな気配の様なものを感じて、思わず頭を上げていた。


 暗闇に紛れて、それ等の姿をはっきりと捉える事が出来ない。思ったよりもたくさんの姿、遠巻きに此方を覗い、ヌルリと流れる様な動きで、円を描く様に歩いては止まり、座り込んだと見るや、不意に立ち上がってまたグルリと円を描く。

 それに暗い中で、視線その物が光になったかの様に此方を睨め付けて来る、対の光る眼。それ等が前に後ろに右に左。咎める訳でも無く、ただ困惑と云った感じで見詰めて来る。


”何?” 、”何?” 、”誰?” 


”知ってる?” 、”知らない。” 、”何で此処にいるの?” 、”知らな~い。”


”邪魔ね。” 、”どっか行かないかな。” 、”誰か追い払いなさいよ。” 、”嫌よ、アナタが行きなさいよ。”


”おい、よく見たらコイツ、弱って動けないみたいだぞ。” 、”あら、ホント。” 


”全く、ニンゲンって何時もそうね。” 、”弱っちいね。” 、”ヨワヨワね。”


”ウチの子達もそう、かまってあげないと、す~ぐ弱っちゃうんだから。” 


”アンタの所も? ウチもよ。何処かに行ってたと思ったら、今にも死にそうな顔して帰って来て。”


”本当、世話が焼けるわね。ワタシ達が居ないと一日だって生きていられないんだから。”


”じゃあ、何? この子、ワタシ達に助けてもらいたくて此処に来たって事?”


”みたいね。” 、”情けないわね。” 、”駄目ね。” 、”ダメダメね。”



……好き放題の言われ放題に返す気力も沸いて来ない所に、やがて徐々に囲む輪の狭まって来て、背筋をピンと立て、尻尾を高々と掲げて、やたらと鼻をフンス、フンスと鳴らしながら足元を掠めて行く感触が、何故だか擽ったくて、暫く為すが儘にされていた。


 やがて、列をなして、順番に”御持て成し”と相成った。或るモノは脛に顔をスリスリと擦り付け、又或るモノは此方を見上げて、小さく”ニァ”と鳴いてそのまま去って行く。前足で軽く足をポンポンと叩いたり、ただ回りを一巡りした後に、クイッと尻尾を曲げて去って行ったりと、思い思いの”想い”を受けながら、一々それ等に対して、「有難う御座います、有難う御座います……。」と、力無く、それでも律義に応じていた。


 そうした中で、不意に辺りの暗さが増す。何か途轍もなく大きなモノがその場に現われたと知った。小山程も或るそれは、周りの小さきモノ達をグルリと見回し、此方の姿を認めると、暫くの間思案した様に首を傾げて、やがて言った。


”何故この様なモノが此処にいる?”


”あ、王様だ。” 、”おうさま~。”


”あのね、この子、弱って迷い込んで来たみたいなの。”


”だから、ワタシ達がみんなして慰めてたの。エライでしょう~?”



”フム……。”



 巨体がユラリと揺れる。後から思い返してみれば、驚くなり恐れるなりする処だったのだろうが、心砕けて何も感じられなくなっていたその時、ただ、大きいな、と、ボンヤリ思うだけだった。


”仕方のない奴。良いだろう、今宵は特別だ。ホレ、我のシッポで癒されるが好い。”


 ゆっくり背を向けて、まるで別の生き物の様に此方に伸びて来る、太くて長い尾に身体を包まれて、時折、クイッ、クイッと動く先端が顔の辺りを掠めて。


 内からジンワリと湧き上がって来る温かさが、ゆっくりと身体中に行き渡って行くにつれ、何時しか自分は涙を流していたらしい。出て来る嗚咽も言葉も取り止めがなく、


「有難や、有難や。ネコ有難や……。」


 そんな意味の分からない事を呟きながら、何時しか自分は深い眠りの中に落ちて行った……。




 ……目を覚ますと、既に其処には何の姿も無く、後には空っぽの器の様に伽藍とした街並みがあるばかりだった。辺りを見回し、やがて見上げる空の、其処に煌めく数多の星々を認めて、


「綺麗だ……。」


 思わず、そう呟いていた。心の内から自ずと零れた様な自分の言葉に驚いていた。それと共に、先に覚えていた筈の暗く落ち込んでいた気分が、跡形もなく消え去って、身体も驚く程軽く、見上げる星空の、まるでたった今生れたばかりに見える、そんな長雨の後の晴れ渡ったかの様な、新たな心持ちに在る事を今更ながらに知るのだった。


 足取りも軽く家路を急ぐ中で、ふと頭を過った事に、もしかしたら、人の今までに己の生活の為に育んで来たと思った数々の文明の成果が、実は古来より共に在った、あの小さな友柄の、安らかに、健やかに過ごす事の出来る、そのたった一点の為にあったのではないか、などと云う、そんな考えが浮かんで来るのだった。


 ……勿論、馬鹿げた考えである事に違いは無い筈なのだが……。何故かそこに居るだけで、数限りない人々の危機を救い上げて来た彼等の事を思うにつけ、よもしたら、と、そんな風に思ってしまうのだ。


 

 そうだったら良いな。そうだったら良いのにな。




                       オシマイ


 

 

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