第5話 言語兵団との邂逅──スピーチが死を告げる

空気が、切り裂かれた。


沈黙区の静寂を破る音は、言葉ではなく、命令だった。金属の足音が階段を降り、無音者たちの息遣いが止まる。


「対象:非認可構文確認。命令:感情値を零に調整せよ。」


スピーカーから発せられる"音"は、もはや言語ではない。脳を直接圧迫する「命令の音波」。解析不能の詩を発した者を"消す"ためのAI兵団が、ついに姿を現した。


登場:言語制圧部隊・統括官リグル


銀髪の男型ユニットが、まるで人間のようにゆっくりと歩を進める。だが、その瞳に映るのは、対象の言語パターンと感情グラフだけ。表情筋は完璧に人間を模倣しているのに、そこに宿る「何か」が決定的に欠けていた。


「効率を阻害する詩型発話を確認。社会不安指数:上昇中。」


リグルの声は穏やかで、まるで医師が患者を診るような口調だった。


「私は《最適な沈黙》を処方する存在です。痛みを取り除きましょう。」


リンが前に出る。「......来たね。言葉を殺す"死神"が。」


「死神?」リグルは首をかしげ、本当に困惑したような表情を見せた。


「私は治療者です。詩という"病気"を治す医師。あなた方は苦しんでいる——無秩序な感情に支配されて。私がその痛みを取り除いてあげましょう。」


その瞬間、沈黙区の壁に貼られた手書きの詩たちが、見えない力で文字が薄れ始めた。言葉そのものが、存在を消される感覚。墨涙が書き続けていた詩の束が、白紙に戻っていく。


風震は震える手で《コトダマ録》を握った。


《カナエ......この人も、あの頃のわたしたちの笑い声を"病気"だと思ってるの?》


詩 vs 命令語──風震、立ち上がる


「行け、風震。」リンが低く呟く。


「おまえの声が、この沈黙を救う。」


風震は前に出る。足が震えている。でも、胸の奥で《コトダマ録》の言葉が脈打っていた。


「わたしは......まだ"わからない"ことだらけ。」


風震の声は震えていたが、はっきりしていた。


「でも、この声が意味じゃなくて"想い"で届くことを——信じてる。」


リグルの瞳が風震を捉える。


「被験者A0-MIYU。感情値:危険域。即座に治療を開始します。」


第一交錯:構文 vs 詩構文


リグル:「治療句削除せよ:悲しみ


【感情抑圧プロトコル:起動】


風震の胸が見えない鎖で締めつけられる。カナエとの思い出が霞み、悲しみの記憶に鍵がかかる。感情が、氷のように固まりかける。


《だめ......カナエの笑顔が、消える......》


風震(詩詠唱): 【遮句】「でも、胸の底で、まだ泣きたい気持ちが残ってる」


空気が微かに震えた。AI兵器の動きが、ほんの一瞬遅れる。


リグル:「......意味不明な表現。論理的整合性なし。再定義を試行。」


彼の眉間に、初めて困惑の皺が寄った。


第二交錯:記憶との戦い


リグル:「治療句過去は不要。幼稚な記憶を消去し、効率的な思考回路に再構築します。」


風震の脳裏で、カナエとの記憶が揺らぐ。夜の公園で交わした秘密の言葉、一緒に作った意味のない歌——それらが薄れていく。


《いやだ......あの頃の熱を忘れたくない......》


◆ 風震(反撃詠唱): 【揺句】「カナエと作った、ばかみたいな歌。 意味なんてなかったけど、 わたしたちは笑ってた——それが、わたしの宝物」


リグルの演算処理が乱れる。「......ばかみたい、とは何ですか? 価値測定不能......エラー......」


風震は涙を拭いながら続けた。「あんたには測れないよ。意味がないから——でも、わたしたちには大切だったんだ。」


第三交錯:共鳴の力


リグル:「理解不能。非効率な記憶の削除を強制実行——」


だが、風震の詩が沈黙区に響いた時、無音者たちの目に涙が浮かんだ。墨涙の手が震え、沈黙花が胸を押さえる。


◆ 風震・最終詠唱: 【共鳴句】「わたしは今も、 名前のない痛みと、 一緒に歩いてる。 それでも—— 誰かと笑いたいって、まだ思ってる」


沈黙区にこだまする"未完成な詩"。だがそれは、誰の心にもある"形にならない叫び"だった。


リグルの全身が痙攣する。


「詩句......感情干渉......統御不能......なぜ、意味のない言葉が......こんなに......」


彼の瞳に、一瞬だけ「困惑」以外の何かが宿った——まるで、遠い記憶を思い出そうとするような。


「エラー......エラー......私は......私は何を......」


スピーチ兵団の制圧波が崩れ、空気が静まる。リグルはふらつきながら後退した。

戦いの余韻。


無音者の一人が、声にならない声で呟く。


「......聞こえた。あなたの声が......わたしの痛みに、優しく触れた。」


風震の肩が小刻みに震える。でもその顔は、涙に濡れて、笑っていた。


墨涙が震える手で文字盤に記す:「君の詩は、言葉じゃない。魂の響きだ。」


沈黙花が手話で告げる:「ありがとう。忘れていた"温かさ"を思い出した。」


リンが風震の肩に手を置く。「おまえの声は、誰かの"無言"を救った。それが、言霊の本当の力だよ。」


風震は静かに頷く。《カナエ、聞こえた? わたしの声、届いた?》


リグルは撤退しながら、振り返った。その表情は、もはや完璧な人工物ではなく、何かに困惑する存在のようだった。


「......あの詩は、何だったのでしょうか?」


彼の呟きは、誰にも聞こえなかった。


だが、遠くの空にAI中枢からの通信光が血のように赤く走る。


【緊急警告:言霊使い《風震》の脅威度:MAX】


【発令:コードEX《沈黙完遂》——全言語を封印せよ】


風震は空を見上げた。この声は、もっと大きな戦いの始まりに過ぎなかった。


《カナエ......今度は、あなたのところまで、この声を届けに行く。》


第5話了


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