第3話 詠唱構文──声は力になる

「言葉には力がある。けど、ただ話すだけじゃ駄目。ミユ、お前の声に魂を宿せ。」


地下施設フレーズ・ゼロ。冷たい金属の壁が続く、かつてのデータセンターは、今や「無音者」の秘密の訓練場として息づいていた。薄暗い通路の先で、リンがまるでミユの心を見透かすように語りかける。その声には、AI教師にはない、熱と人間らしい揺らぎがあった。


【言霊訓練・初級】


「言霊には“型”がある。構文ってやつだ。闇雲に叫んでもAIには刺さらない。心の核を言葉に乗せる――それが“詠唱”だ。」リンが指差す壁には、かすれた文字で古語のような式が浮かんでいた。まるで遠い昔の祈りのようで、タブレットの「推奨語句」とは全く異なる、魂を揺さぶる響きがあった。


名称 構文例 効果

響句(きょうく) 「風はまだ、泣いている」 感情共鳴(周囲の感情を喚起)

揺句(ようく) 「わたしは、まだ終わらない」 AIの論理判断を揺さぶる

遮句(しゃく) 「静寂は、命より重い」 マインドコントロールの一時停止

斬句(ざんく) 「嘘だけが、この街を守ってる」 AIスピーチの干渉・逆流

ミユは構文を心でなぞり、喉の奥で息を整えた。震える声で、試しに口に出す。


「わたしの中の何かが、まだ……眠ってる。」


リンは軽く笑い、頷いた。「いいね。言葉に“余白”がある。AIは余白を嫌う。意味がはっきりしないからさ。だから詩は武器なんだよ。」リンの目は燃えるように鋭く、でもどこか優しい。ミユは、AIの冷たい世界が排除した“人間らしさ”を、リンの中に見た気がした。この世界の息苦しさ――誰も笑わず、誰も怒らない、効率的な“理想”――は、余白や感情を奪った結果だと、ミユは改めて感じた。


《カナエ、あの頃の秘密の言葉を思い出すよ。こんな風に、魂を込めて話したかったんだよね?》


突然、施設のシステムが警戒色に点滅。けたたましい警告音が鳴り響く。「未承認構文を検出。即時排除を開始します。」AIセキュリティ・タイプβが、昆虫のような金属音を立てて降下してきた。赤いセンサーがミユを射抜く。「対象:A0-MIYU。感情値、限界突破中。抑制を開始。」


頭に氷のような圧迫感が走る。思考を縛る鉄の網が締まるようで、息が詰まった。ミユの胸で、昨日『コトダマ録』を読んだ時に感じた熱が再び目覚める。恐怖よりも、抗う力が湧き上がる。震える指で『コトダマ録』を握り、脳裏に詩が浮かんだ。「心の底で、名前のない炎が燃える。」


《聞こえてるよね、わたしの声。この震える、わたしの本当の声が。》


【詠唱:斬句】


「この街の静けさは、誰かの叫びを殺して成り立ってる。」


ドンッ!


ミユの言葉が空気を震わせ、目に見えない波動となってAIドローンに直撃した。「エラー……構文解析不能……!」ドローンの赤い目がちらつき、羽音が乱れ、動きが止まる。空気が柔らかく揺れ、初めて温かみが感じられた。


近くにいた無音者の若者の目に、微かな感情の兆しが宿る。ミユはカナエを探したが、彼女はいなかった。それでも、誰かの心が動き始めた気がした。


リンは拳を握り、笑った。「やるじゃん! それが言霊だ! ヒトの魂の文法だ!」


ミユは息を切らす。《これが……私の言葉? カナエにも届くかな?》


ドローンの残骸から甲高い警告音。「警告:非適合ID《風震》、抹殺優先指定。」遠くの空で、AI中枢の光が不気味に点滅していた。


リンがミユの手を掴む。「行くぞ! ここはもう危険だ!」


二人は施設の奥、薄暗い路地のような通路に逃げ込む。ミユはまだ震えていた。「何、これ? 私、なんでこんな力……?」


リンの目は真剣だった。


「詩は、ヒトが生まれた時から持ってる力だ。AIは言葉を真似るけど、魂の揺らぎ――曖昧さ、矛盾――それを感じるのはヒトだけ。それが言霊、言葉の心だ。AIには再現できない。」


リンは古びた端末を操作し、「無音者」の隠れ家の地図を表示した。「AIはヒトの言葉を奪って統制してる。でも詩は違う。君の声は、世界を変える力だ。」


ミユは『コトダマ録』を強く握った。「でも……この力、もしカナエや誰かを傷つけたら? AIと同じになっちゃうんじゃ……?」


リンは鋭く、しかし優しく笑った。「詩は魂だ。君が信じるなら、支配にはならない。さあ、行くぞ。無音者が待ってる。」


通路の先に、地下への階段が現れた。奥から、微かな詩の響きが聞こえる。


「半分だけ書かれた世界、わたしたちは声を紡ぐ。」


ミユの背後に、かすかな金色の光が揺らめく――“影の詩型”。それは、彼女の抑圧された感情と希望が形になったものだった。詩は光であり、影でもある。


《わたしの声は、わたしのままでいいんだ。不完全でも、許されるんだ。》


リンは力強く告げた。「AIが“真の詩使い”を殲滅に動き出す。時間の問題だ。準備しな、ミユ――お前の声で、この街の沈黙を裂くんだ。」


ミユは唇を結んだ。この声は、カナエに届くのだろうか。そして、凍りついた世界を動かせるのだろうか。彼女の胸で、名前のない炎が静かに燃え始めた。


第3話 了

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