第8話
私の王都帰還拒否の報は、第二王子アルフレッド様とその取り巻きに大きな衝撃を与えた。彼らは私が王国の中枢に戻ることで、自分たちの立場を立て直せるかもしれないと考えていた節がある。
「あのイリスが…なぜ王都に戻ることを拒否したのだ?」
「辺境の領地など、王都の華やかさに比べれば…」
彼らの理解を超えた私の行動は、焦りを生んだ。特にアルフレッド様は、私の功績と自身の度重なる失態(婚約者に対する不貞、疫病への対応の遅れなど)により、王位継承権が剥奪される寸前だった。
そんな窮地に立たされたアルフレッド様が、私の元に使者を送ってきた。今度は公式なものではなく、個人的な書状だ。
「公爵令嬢イリス・エルグランド殿。私は過ちを認めます。かつてあなたにした仕打ちを深く後悔しております。どうか、もう一度私の傍に戻ってきていただけないでしょうか。あなたの力が必要なのです」
書状には、懺悔の言葉と、私に対する未練めいた懇願が綴られていた。そして、私が王都に戻るならば、かつての婚約関係に戻ることも視野に入れている、というような、虫のいい内容も含まれていた。
私はその書状を一読し、静かに燃やした。
(今更、何を言っているのかしら)
かつて私を断罪し、私の心を傷つけた相手だ。しかも、謝罪ではなく、自分の窮地を救うための助けを求めているだけ。心からの反省など、そこにはない。
私は返事をしなかった。無視することが、彼にとって何よりも堪える罰だと知っていたからだ。
すると、今度はアルフレッド様自身が、私の領地へやってきた。護衛も連れず、一介の貴族として、ひっそりと。
公爵邸の門前で、彼はかつての威厳を完全に失った顔で私を待っていた。
「イリス…」
彼は私を見るなり、縋り付くような声を出した。
「お前は…本当に変わってしまったのだな」
彼の目に映るのは、かつて彼が知っていた、彼に忠実で、彼を慕っていた公爵令嬢イリスではない。自立し、強く、そして何よりも幸福そうな私だ。
「変わったのは、あなたですわ、アルフレッド様」
私は冷ややかに言い放った。
「かつて、あなたは私を『悪女』と呼び、断罪しました。ですが、私はあなたたちの思惑とは違う形で、自分の人生を切り開いた。今、私はここで、私が本当に大切にしたいものに囲まれて生きています」
「頼む、イリス! 私を助けてくれ! お前の知識があれば、私はまだ…!」
彼は必死に懇願するが、その言葉の端々から、彼が求めているのは私の「力」であって、「私自身」ではないことが痛いほど伝わってくる。
「…もう遅いですわ、アルフレッド様」
私は彼に背を向けた。
「あなたの物語に、私の居場所はありません。私の物語は、あなたとは関係のないところで、すでに素晴らしい結末に向かって進んでいますの」
私は彼に別れを告げ、邸宅の中へ戻った。門前に立ち尽くす彼の後ろ姿に、かつての「悪役令嬢」が感じていた屈辱や悲しみは、微塵も湧き上がらなかった。ただ、哀れみだけが胸に残る。
彼の「ざまぁ」は、私が積極的に行ったものではない。私が、彼らが想像もできなかった場所で、彼らの手を借りずに幸福になったこと。それが、彼にとって最大の屈辱であり、「ざまぁ」だったのだ。
王位継承権を完全に失ったアルフレッド様は、静かに王都から離れ、辺境の別荘に蟄居させられたという話を耳にしたのは、それからしばらくしてのことだった。エミリアさんも、彼と共に落ちぶれていったと聞く。
彼らは、自分たちの過ちの代償を払ったのだ。
私の周りには、私の改革によって生活が豊かになった領民たちの笑顔がある。共に汗を流し、共に喜びを分かち合える仲間がいる。そして、このエルグランド領という、私自身の王国がある。
もう、過去を振り返る必要はない。私は前だけを見て、私が望む未来を、この手で築き続けていく。
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